3.歴史
ヒトゲノムの解読が完了したのは二〇〇三年だ。それ以来、暴力的な数の遺伝子データが蓄積された。このパブリックデータは多くの研究者を泥沼に引き摺り込んだ。遺伝子の数が予想より足りないのだ。ジャンクDNAとされていた領域に膨大な生理機能がコードされていることがわかった。まだまだ人類は深淵には程遠い。
D-genesが遺伝子検査の会社として頭角を現したのはそんな二〇〇〇年代中頃のことだ。当時は今以上に遺伝子検査から得られる情報の解釈が難しかったはずだが、いち早く市場にDNA鑑定技術を投入したことは相当な先見の明があったと思う。検査項目は数が少なかったが、それでも他の追随を許さなかった。
DNA検査の情報が集まっていく中で、遺伝学的知見を用いた公衆衛生へのアプローチを考えはじめた。遺伝子からわかる集団の健康リスクをいち早く捉えて、病気の予防を行う。このアプローチは医療費の支出に困る政府にも都合がよく、D-genesはいくつかの国のプロジェクトを受注した。行政との関係は今でも深い。
そしてそれだけにとどまらない。
古いSF映画じみた考え。医学的な目的にとどまらない、遺伝子による才能の分類。人生の振り分け。それを世の中に広めたのはD-genesだった。
三十年ほど前、ある国で人類ゲノムリソースインフラストラクチャー、というプラットフォームが開設された。これは遺伝子検査によって子どもの才能をいち早く見出し、英才教育を受けさせる取り組みだ。この仕組みがいくつかの分野で成果を上げだした。
このことを受け、遺伝子検査による選別の必要性が日本でも叫ばれ始めた。当時それは一部の過激派の意見だったが、そこに便乗したのがD-genesだった。D-genesはそれらを公衆遺伝学と銘打ち、遺伝子検査によるリソース選別が可能なサービスをローンチしたのだ。
そのようにして誕生させた公衆遺伝学という概念を D-genesは盛大にプロモーションに活用した。元々あった概念に名前をつけただけだが、知名度を日本人の誰もが知るレベルに高める結果となった。D-genesはこの分野のパイオニアとしての名をほしいままにしている。名は必ずしも体を表さない。
その時流に乗った我が社の広告活動のおかげ、と一言にまとめられるかはわからない。だがこれだけは言える。
今や遺伝子検査は全盛期だ。
だれも彼も遺伝子検査の話をするようになった。学校や会社に入るにも検査結果が要求されている。フリーランスでもない限り、どの職に就くにも遺伝子検査結果の提出は必須と言っていい。人材リソースのマネジメントのための病歴などのリスク管理という名目らしいが、実態は知れない。おそらく遺伝学的形質が選考に使われているのだろう。
遺伝子情報の売買も現実味を帯びている。実際に自分の遺伝情報と略歴や病歴をセットで民間の研究機関に売る個人も少なくない。
たとえ個人の遺伝的形質のデータを解析するとしても、人ではなく機械が行う。人の介在はほとんどない。その認識の広がりも、『究極のプライバシー』を赤の他人に渡す忌避感が少なくなっている一因だろう。
遺伝子検査の結果は公開されない。だから表立って生まれ持った優位性を誇示したり、あからさまに遺伝的差別をしたりするような主張はまともな大人からはまだ出てきていない。
だが前世紀の優生学がもてはやされた時のような、アカデミアに支えられた粗暴な価値観が社会全体を覆って来ているのではないか。
そんな不安が多くの人の頭をよぎることが多くなった。




