その八
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他人に向かって、
「明日も生きましょう。希望をもって」
と言っても、この言葉だけでは何一つ相手に伝える事が出来ません。先ずこの言葉を口にする人がその人にとっても困難であるのに希望をもって本当に明日をも生きんとしていなければ、その言葉に生気が入らず命が宿りません。また、この言葉を聴く人がこれを言う人が努力してそれを敢行しているという事実を知っていて、それで初めてこの言葉の真意が相手に伝わるのです。言葉が相手に『届く』には斯く両者それぞれに具えるべきものがあります。何処の誰にでも、また如何なる場合にも、必ず届く言葉などというものは有り得ないのみならず有ってはなりません。この両者が具えるべきものが具わっていないのに届く言葉など有ってはならないのです。
私が直に対面して相手と話す事を重視している理由が分かると思います。また、奇異で不自然な生活を送っている様では駄目だと私が言う理由も同じ事です。それ無しには最初から言葉が相通じる条件の不備を宣言している様なものです。私は直接相手にぶつかる交流を求めます。と謂うか、それでなくては交流ではありません。
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抑々(そもそも)慕い求める気持ちが無いのに西方浄土が心に浮かぶ筈がありません。それに餓え渇く事も無しにどうして天国がその人の夢に現われるでしょうか。これらは全て求める人にだけ在るものです。それを必要としてはいない人には見えもせず存在もしないものです。
この事を深く想って下さい。尊いものとはその人がそれを二つと無き尊いものに『する』のです。それを尊いものにしているのはその人です。世の中の全ての人にとって共通して尊いものなど私に何の関係があるでしょうか。私はそんなものは要りません。私の欲しいものは私個人にとってだけ尊いものです。命に代えても守るべき。私自身を捧げるべき。
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『もう、駄目だ』、どれだけ私が本気でそう思っても、それでもまだ私が先に進むべき道が見付かるでしょう。『もう、私の人生はここまでにしてほしい』、私がそう求めても、私のその願いは虚しいでしょう。そして見え示された道を行かないならば、私の心は苛烈に責められるでしょう。責められ続けるでしょう。そして苦しいままその道を行く時だけ、私はこの恐るべき良心の責めから逃れる事が出来ていると思います。今までずっと、そうだったからです。
この世の義務地上での使命が続く間、私にあってはこの感覚はずっと続く筈です。この恐るべきものが私を導く者だからです。しかしその恐るべきものを私は信頼しています。ずっと変わらなかったからです。
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『いつも有難う』、老いたる母が私にそう言ってくれます。勿論私も母に何度も同じ言葉を繰り返します。互いに本心からそう思っています。そしてそう感じ、思い、願う心が止む事はありません。生きる限り母も私もそう思うのです。
人が生きるというのは斯ういうものであると私は思います。斯ういう感情をずっと胸に抱いて在る事をこそ『生きる』と謂うのだと思っています。そうでない暮らしに私を誘うものがこの世には確かにあります。それを蹴散らし生きる事が私の在り様です。大切なものは必ず守り育む事をしなければなりません。その義務を私に課す事をしないもの、それが『嘘』です。私が遠ざける事をしなければならないものです。
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