その十九
7019
一度読んだだけで、もう一発で頭に入り心に染み付いてしまう言葉があります。以前にも手紙で書いたかも知れませんが、
「私は人と話そうと思って町に出た。そしていつも必ず、出掛ける前よりも馬鹿になって家に帰ってきた」
という言葉があります。ローマのストア派の哲学者セネカの言葉です。学生時代に初めて本でこの言葉を読んで以来、忘れられません。一体何という事を言葉にするのか。そして言葉というものは底知れず人間の心の奥に届くものなのだなと、徹底して思わされました。実際凄い言葉であると思います。遥か見えぬ遠くから私の心臓に的中した矢の様に感じました。
嘘の無い言葉、私はそれを求めます。必ずしも語彙豊富、文章の均整、全体としての詞藻洒脱を求めません。本物である事だけを求めます。その言葉がそのまま信念となり行動となり生活人生となる様な、そういう言葉、文章を。
7020
ただ気が小さくて臆病で怖がるのと、多くの人に見えないその真実の恐るべき姿が見えてそれで怖がるのとは同じではありません。それは気が小さくて、臆病で怖がっているのではありません。真実に恐るべきものである事が見えてそれで怖いと感じているのです。それで正常です。それで良いのです。
『恐るべきものを恐る、これは恥ではない』。司馬懿もそうでした。堂々と、自分の価値観を信じて下さい。
7021
もう直ぐ六歳になる息子と短い短い廃線跡の道を歩きました。昔私が高校生の頃まで走っていた、せせこましい街並と工業地帯の間を縫う様に走っていた短い支線の跡です。今では廃止された線路跡の敷地そのままに新しい新築の家が並んでいますが、その一部の区間、百米程だけが樹々の植えられた公園になっています。そしてその地面には煉瓦が埋め込まれていて、線路をイメージする様に色違いの細長い煉瓦が二本一直線に続いています。おまけに一方の終端にはご丁寧に車止めのモニュメントが在ります。此処が曾て鉄道線路の敷地であった事を無言で語り継いでいる訳ですね。私と息子は木のベンチに座り、五月末の晴れた日の空気と樹木の間から零れる木漏れ日を楽しみました。
昔、私が小学生中学生の頃その場所には古い古い民家の如き駅舎の無人駅が在りました。駅のすぐ向こう、道路側には小さな神社。駅の低いプラットフォームに立ち、そして一日に数本しかやって来ない列車が走る線路敷きに下りて線路の先を眺めました。お金は一銭も無し。ただそんな風に駅にやって来て呆然とするしか私には出来ませんでした。しかし今思えば私はそうしたお金の無い日々、けれども私が大切に想う事の出来る平和な家が在ったから、私の中に果てしない想像力とそれに期待する『願い』が生まれたのだと思います。間違い無くこれが五十五歳となった現在の私を支えてくれています。
私と息子、二人ベンチに座りながら息子が憶えたての歌を唄い始めました。私の好きな金田一耕助テレビシリーズ第二部のテーマソング、『あざみの如く棘あれば』です。それを聴きながら私は眩暈の様な感覚を覚えました。大丈夫、四十年の時間が飛び去っても今の私は全部を押し流されてしまう訳ではない。自分の努力でではありませんが、幸いな事に時にも運命にも流されて仕舞わないものをもう胸にもっている、与えられているからです。それを知っているからです。けれども・・・。
帰り道不図気が付くと、そう確かにあの時、私が小学生の時既にその場所に在ったぼろぼろの昔ながらのアパートを見ました。その前を通りました。土道に雑草が生えドアのベニヤ板がめくれ、手摺は錆びてぼろぼろ。しかし二十程の部屋のうち二階の一軒の前にだけ洗濯物が干してありました。地面から二階に上るその部屋の近くの階段だけが封鎖されずに開けられているのも、まだ住人が残っている事を裏付けています。私は息子の手を引いて歩きながら背筋の凍る様な感覚を覚えました。
「お父ちゃん、どうしたの?」
「いや、何でもない。行こう」
息子よ、済まん。お父ちゃんは嘘を吐いた。何でもない、のではないのだ。お父ちゃんは今でも、この年齢になっても、これだけ与えられていても猶、怖いのだ。
7022
原則を言いますね。悪い奴程よく眠ります。これは本当です。飽迄原則ですが。しかしその理由を考えてみて下さい。反省をしないのです。そりゃ悩みませんよ。また誰かの世話を必死になってしてもいません。そりゃよく眠る事が出来るでしょう。考えてみればそれは当然の事なのです。しかしそういう反省もせず誰かの世話に心砕く事も無い者は何も創り上げていません。いつまで経っても自分の隣に信頼というものを確立出来ない事もまた当然です。そうでしょう。これに反論する程あなたは経験の浅い人ではない筈です。だから『毎晩悩みも無くよく眠れる』事を間違って幸福や充実の徴表であると見做さないで下さい。そんなものは幸福とは何の関係もありません。幸福の印は唯一、自分が自身を捧げて尽くす相手をもっているという事、自分が心から認める事の出来る仕える対象をもっている事です。それを見出している、それが与えられている、それが即ち幸福なのです。苦労があってもです。それが与えられない人が如何に多い事か。それも誠実な人であるのにです。
何か価値のあるものを創ろうというのです。自分が信頼出来るものを築き上げたい訳です。苦労があるに決まっているのではありませんか。そうでなければ嘘です。何も苦労無く、どうして自分を支えてくれるものが、まるで郵便の速達の様に一方的に向こうからやって来たりするものですか。落ち着いて再度そこを『確認』して下さい。不安に慄くのも無理はありません。それだけの試練の中に実際今居るのですから。しかし見失わないで下さい。既にあなたにはあなたに必要なものが与えられている事を。
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