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その十五

7003

 生きていく為の様々な雑用をこなすために、時にはへとへとになります。私などの暮らしはまだまだましな方であると十分理解しているのですが、それでも何ともいえぬ焦燥を感じる事があります。

「これは本当に何かの役に立っているのか」

「この事は本当に今しなければならない事か」

 この年齢になっても確証がもてない事が多々あります。自らへの斯(こ)ういう問い掛けは疲れますね。しかし避けて通れません。それを省けば私は自己点検の機会を失います。他人から何か言われても大抵は言われた通りにしないのみならず抑々(そもそも)聴く事すらしない私です。到底真面目に聴こうとは思えない内容だと常に思いますから。ならばその分厳しい自分自身に拠る内省を欠く事は出来ません。

 生きる事とは斯(こ)の様に大変な事なのだ、抑々(そもそも)生きるとは斯かる事なのだ、私は今一度その事を思い起こさねばならないのかも知れません。地上に楽園を願ってはならない根拠の一つでしょう。その観念が私の天国を追慕希求する動機をより切実に高め、確固としたものにします。導き、それは真実に人心の及ぶところではない。広い広い意味で規模で、私は世の中ではないものに導かれていると思います。


7004

 迷うので可(い)いのです。人たるもの世に生きて能(よ)く迷わずに居(お)る事が出来ましょうや。しかしそれは根本の次元で道を見失うのではなく、根幹は大樹の如くしっかりと聳え、その枝先で手順や方法に就いてあれこれ迷うものです。人は必ず迷うというのは、そういう迷い、寧ろ困惑と謂うべきでしょうか、そういったものから生きる限り人は逃れられないという意味です。自分が何の為に生きるのか判らない、それが自分で皆目解らない、それは違います。それは迷いと謂うよりも殆ど絶望に近いものです。猛烈に、まるで呼吸を阻まれた様に苦しいからです。そしてこの生きる目的というものは『迷うので可(い)い』話ではありません。これは判然と見出し確立しなければならぬものです。

 自分の一生の楽しみが、あのお店に行ってあれを食べ飲む事。いやそのお店に行き何々を飲み食いする事自体が悪い事ではありませんよ。それを楽しみにする事は良いのです。しかし他に自分の生きる喜びが無い事が問題なのです。そのお店は軈(やが)て閉店するでしょう。他の店を見付けますか。そして暫くしたら別のものに興味が移りますか。今度は身嗜(みだしな)みですか。そうやって移り移って一生何かを楽しみにして生きて行く間他に自分の人生の背骨を貫通する生きる目的が無い事がそのままに捨て置けない問題なのです。それは最終的に、自分の歴史その意義に対する根源的な懐疑、そして自分自身への不信頼という形になって具体化するでしょう。それにその途中から、その結末は朧気に陽炎の様に自分の眼前に立ち昇って来ます。その時になってからでは多分、人は目を背ける事しか出来ないでしょう。

 確立して下さい。私はその事を一番言いたい。その為に世に出て様々な人に逢い、人が生きて動いている活動を知って下さい。その懸命さからあなたは今直ぐにでも学ぶべき事がある筈です。


7005

 社会的に地位のある、著名な、或いは歴史的に既に高く評価されている人の言葉であれば賞賛する、ほぼ無審査で受け容れる。そして全く無名の人間の言葉であれば低く評価する。私は人間のこの姿勢をその人物の極端な卑しさとして認めます。著名無名はその人間の発する言葉の真実さ重さと何の関係もありません。そういう事情に関係無く、絶えずいつもその言葉そのものその内実に拠って判断されなければなりません。そうであるのに虚心にその言葉を受け留め考えてみようとしない、全く関係の無い指標に拠って判断する、これは思考能力の低次元ではなく魂の品位の低劣を示すものです。

 私が世の中は汚いという時、斯(こ)ういう事態も含まれているのです。私の目は世の中に在る汚さをはっきりと私に伝えます。けれども同時に私の魂が、そうだ、しかしその中に在っても汝(なんじ)は生きよと命じます。私が日々何に苦しんでいるのか、これで概略分かって頂けるものと思います。私が苦しむのは凡(およ)そ斯かる類(たぐい)のものです。斯(こ)ういうものの無い世界、斯(こ)んなものが在り得ない世界を私は彼岸浄土天国として要請するのです。


7006

 これは若しかしたら私の思い込み錯覚かも知れませんが、私の子供の頃私が目にしたアニメや漫画は主人公を含め登場人物が皆貧しかった様に思います。然(しか)るに今では違います。金持ちか少なくとも生活に困っていない人物ばかりが扱われている様に見えます。そしてその生活に困らない状況の上に何らかの物語、ストーリーが描かれています。ミステリーにせよ恋愛にせよです。そこに明日の御飯に困る、汚れ古び破れてしまって学校に着ていく服が無い、少年なのにバイトしていて馘(クビ)になって次の働き口を探さなければならぬという話は出てきません。

 この事、この変化変遷も、個々人の家庭という規模の話ではなくもっと大きな社会的規模で何か大切な事を私に教えているのだと思います。正に社会的な規模で何かが移ろい過ぎていく事を示しているのだと思います。しかし私が掘り下げればそれは矢張個々の人間の心に帰着します。私は金持ちの行動から何かを学びたいとは思いません。私が教えを乞い学ぶものはいつも貧しさの中に在ります。

 ブログは毎日更新しています。

https://gaho.hatenadiary.com/

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