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ーーやはり、いくら部活動と言ってもとっつき易さや知識のない状態でいきなり入部しても、楽しめるか分かりませんよね。その点、この部活なら、学校に行ったことある人なら誰でも経験したことがある、走りをメインに取り扱っているこの陸上部なら私でもできるかもしれません。
一人言を呟きながら、テニス部を後にした田中は学園の真裏に広がる本格的な茶色いゴム製のコートに足を向けた。
長距離、短距離、走り幅跳び、高跳び、砲丸投げに、槍投げまで、何でもできそうな広々とした場所で、丁度障害物競走をしていた部長である、ショートカットの女子に挨拶した田中は、終始爽やかで明るい好感が持てる部長から陸上部を案内される。
「それで、マオちゃんは、あ、マオちゃんって呼んでいいかな?」
「はい、先輩」
引き締まった体で、なかなかに際どいコスチュームにも関わらず、エロさよりかっこよさが目立つ先輩のいい影響で田中は益々、陸上部への好感度が上がる。
「あのー、私、実を言うとあまり走るのが得意じゃなくて…」
「そんなの全然大丈夫だよー。初めは皆んな一緒のスタートライン。そこから、頑張るか頑張らないかは自分次第なんだからさ」
ーーああ、なんて優しい先輩なんでしょうか…。
田中の口はいつでも先輩から入部するか聞かれた時に備えて、口をフライング気味にハの形に構えた。
「それで先輩。新入生は先ずは何をやるんでしょうか? やっぱり体力作りからですかね?」
「体力作り? 違うよ。体力作りより大切なことを学ぶの」
「え? 体力作りより大切なことですか?」
不思議がる田中が先輩から連れて来た場所は陸上コートから離れた場所で、そこは何故が学園の離れにある古びた校舎の中だった。
「あのー先輩?」
校舎の更に奥の奥、掃除が行き届いていないのか、埃っぽい空気が漂う中、目的地に着いたのか先輩が立ち止まると、田中を諭す様に背中を軽く押した。
若干の怖さと怪しさを感じながら、田中が扉を開けると、少しすえた臭いが漂ったが中は至って普通の教室内だった。
しかしーー。
「あの、部員の皆さん何をされているんですか?」
教室内。椅子に座り物音一つたてずにVRゴーグルを付けた陸上部員達を不思議そうに眺めながら、田中は質問した。
「何って、イメージトレーニングよ」
「イメージトレーニングですか…」
殺風景で深閑とした教室内でVRゴーグルとヘッドホンを付けて同じコスチュームに身を包んだ30人程の部員を見て、人ならざるモノを感じて田中の腕からゾワゾワとした鳥肌が立つ。
「映像の内容は何を見ているのですか?」
「内容? その週によって違うけど、今日は確か、過酷な長距離マラソン選手の主観映像だったと思うけど」
「ち、ちなみに1日にどれぐらい見るんですか?」
「1日中よ。朝起きて夜寝るまでも24時間ズーと」
「1日中ですか…でも、それって不便じゃないですか? 例えば登下校とか、食事も取らないといけないですし、お風呂だって入らないいけないですし、授業だってあるじゃないですか…」
「そんなの、強くなる為なら些細なことじゃない。ここにずっと居れば登下校なんてしなくていいし、食事なんてそもそも食べなくていいし、風呂なんてなおさら入らなくていいし、授業だって単位さえしっかり取れていれば問題ないし、最悪留年すればいいのよ。それすらもできないなんて私に言わせてもらえば、それは甘えだわ。ねぇそう思うでしょマオちゃんも?」
先輩が同意を求める様に田中の顔を覗いてきたが、田中は眼鏡を拭くふりをして顔を逸らした。
ーー食事もせず、風呂も入らず、授業も受けずに1日中こんな埃っぽく、くすえた部屋でVRゴーグルを付けるなんて、そんなの…。あれ、物理的に無理では?
「あの、先輩。風呂と登下校は別にして、食事は取らないと人間死んじゃいますよね?」
種明かし見つけましたと言わんばかりに、顔を緩ませた田中は、ほっと息を吐き出した。だがーー。
「忘れたのマオちゃん。この学園に修復士がいるの」
「え…」
噂をすれば何とやらガラガラと扉が開き、パンチパーマで薄らと髭を生やした修復士の男が顔を出した。
「ちーす。早速だけどあの子、死にそうだけどどうする? いっちょ治しとく? 部長さん?」
陸上部、部長と親しげに話していた修復士は部長に世間話でも振る様に軽く部員の生殺与奪を聞いた。
「頼むわ」
「了解しましたー!!」
修復士は取り出した銀色のメリケンサックを付けて、先程死にそうと言った生徒の前まで大股で向かう。
修復士の言ったように死にそうと言われていた生徒の体が弱っているからなのか、先程から痙攣気味に小刻みに震えている。
「よし、綺麗に治ってこいよ!!」
修復士は腰を捻ると右のストレートを突き出した。ーー机、椅子が吹っ飛び音を鳴らすが、肝心の部員は瀕死寸前で意識がないのか、口から血を吐き出しても声ひとつ上げずに、床に倒れ伏す。ーー途端部員の体がオーロラに包まれる。
倒れていた生徒はすくっと身を起こし、しばらく止まっていたかと思うといきなり号泣した。
「サライがァアアアア!!!サライがァアアアア!!!!!」
号泣した部員は頭を振り回し激しく掻きむしり、顔に付いたモノを取り外そうとするが、ゴーグルとヘッドフォンは何故かびくともせず外れない。
よく見ると簡単に外れないように頑丈そうなカギが取り付けてあった。
「全く、今日は入部希望者も来ているというのにみっともないわね」
先輩が狂ってしまった部員の近くに腰を下ろす。
「カヤマガァアァアアアア!!! カヤマガァアァアアアア!!!」
先輩は隙を見てその部員の頬を叩き思いっきりその体を抱きしめた。
不思議なことに抱きしめられた瞬間に部員の動きがピタリと静止する。そして、それを狙っていたかのように先輩は部員に取付いていたVRゴーグルとヘッドフォンのカギを取り外した。
「せ、せんぱ、せんぱ、わぅうあああああああ!!!」
取り外されたVRゴーグルから重症花粉症患者のような部員が顔を出し、その分泌液を先輩の体に擦り付けた。
ナメクジが這うようにぐちゃぐちゃに体を汚されても、微笑みを浮かべて全く先輩は動じることがない。
「わたしはわたしは、もう、もう、む、ムリです、できません、わたしは、わたしはーー」
部員は何度も嗚咽を漏らし、体を震わせる。その部員に対して、先輩は何も語ることなく、ただただ寄り添っている。
田中が空気を壊さぬように空気のように、忍足で教室から出ようとした。
「先輩…!!」
「桜吹雪の〜」
「あ、ありがとうございました。私はこれで失礼します」
歌い出した先輩から田中は引き留められる前に、頭を下げると埃っぽい校舎を駆け足で走った。




