最も重要な決定とは、何をするかではなく、何をしないかを決めることだ ‐スティーブ・ジョブズ‐ ν 挿絵付
——あれから2年の歳月が流れた。そう、「神界」で「神々の黄昏」が起きてからだ。
人間界はこの二年間、比較的平穏だった。特に大きな事件は起きておらず、際立った戦争や古龍種等の襲来も起きてはいなかった。
逆に魔獣の襲来等は各地で頻発しており、ハンターは駆り出される事が多かったとも言える。「3.15の厄災」で負った「ハンターの激減」が、未だに尾を引いているのが現状と言えた——
「ママ、今日は何処かに行く?」
フィオはこの2年間で成長していた。身体は二周りくらい大きくなり、少女の肩の上に止まるには重たくなっていた。
その為、少女は屋敷のあちこちにフィオの為の止まり木を用意し、フィオはその止まり木の上で屋敷の中にいる者達の様子を見ている事が多くなっていた。
「えぇ、アタシは出掛けるけど、フィオも一緒に行く?」
「うん!フィオも一緒に行くッ!」
「じゃあ、一緒にお出掛けしましょ」
フィオは嬉しそうに少女の周りを飛び回っていく。その光景を見た少女は、少しばかり顔が綻んでいた。
「それじゃ、行ってくるわね」
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」 / 「マスター、行ってらっしゃいませ」 / 「主様、道中お気を付けて」
少女はセブンティーンのステアリングを握り、アクセルを徐々に踏み込んでいく。セブンティーンの低いエグゾーストは少女の足の動きに合わせて軽快にその音圧を上げ、重低音を奏でながら屋敷を後にして行くのであった。
「ねぇ、ママ?今日は何処に行くの?」
「これから公安に行くのよ」
「じゃあ、ミトラに遊んで貰おっと」
「フィオは本当にミトラの事が好きね」
2人の会話は実に楽しそうに弾んでいた。少女はフィオにとっての良い母親であろうと頑張っていたし、フィオは少女の言う事をよく聞き、いい子であろうと頑張っていた。
2人の間には当然の事ながら血の繋がりはないが、2人は本当の親子のような関係をこの2年の間で築き上げていたのだった。
少女の運転するセブンティーンが公安の敷地内に入って行く。一際低いエグゾーストが一回「ブルンッ」と鳴った後で、セブンティーンのドアがゆっくりと開き、少女とフィオは公安の建物へと歩を進めていった。
「行ッテラッシャイマセ、マイ・マスター」
搭乗者のいなくなったセブンティーンは少女に抑揚の無い声を送った後で、公安敷地内の駐車場に向けて自走し、そこでエグゾーストの演奏を終了させた。
「久し振り、ミトラ!」
「今日はどうしたのにゃ?」
「遊びに来たよッ。ミトラ遊ぼッ!」
「フィオも一緒なのにゃ?」
わしゃわしゃわしゃ
「今日、アリアの試験だと思ったんだけど、もう終わっちゃった?」
「まだ上がって来てにゃいんじゃにゃいかな?」
わしゃわしゃわしゃ
「じゃあ、アタシは様子を見てくるねッ。フィオはどうする?一緒に行く?それとも、ミトラと遊んでる?」
少女はフィオに声を掛けたが、フィオはミトラの手付きに蕩けるような表情を作っており、「ここにいるぅ」と言っていた。
これは遊びに来たというよりも、遊ばれに来たと言うのが正解かもしれないだろう。
「じゃあ、ミトラ、フィオの事を宜しくねッ」
「任せといてにゃ~」
少女はフィオの返事を聞くと一目散にエレベーターに向かって駆けて行った。
だからミトラの返事は、少女の背中だけが聞いていた事だろう。
アリアは2年前、少女とルミネが見付け公安が保護した、水の精霊族と契約を交わした少女である。
今日でやっと15歳の誕生日を迎え、晴れてハンター試験を受けられる年齢に達したのだった。
そして、ハンター試験にアリアが合格出来れば、神奈川国にとって記念すべき日になるとも言える。
「やぁ、ルミネ。アリアはどんな感じ?」
少女はエレベーターでB2Fまで降り、モニタールームへと入って行く。
そこにはルミネとウィル、そしてハロルドの姿があった。
「お久しぶりです、師匠!」
「アンタはいつも元気そうね、ハロルド」
「それだけが小生の取り柄ですから」
ハロルドは2年前の「神々の黄昏」後に、神界から帰って来た少女がマムを説得し、ハンター試験を受けたのだった。
当初、ハロルドの事を見たマムは、ルミネの時と同様にハロルドが魔族である事を見抜き、怪訝な表情をしていた。
だが、少女がルミネのお付きの者と言う事を説明し、「型」の使い手であると言う事をも話し、マムはようやく理解を示してくれて、晴れて試験を受ける許可が下りたのである。
その後、少女がこれまた当然のように「見極め」を行い、晴れて公安所属のハンターとして、ライセンスが正式に交付された経緯がある。
「アルレさま、アリアは順調ですわよ。精霊族との親和性も高く、攻守、そして、治癒にもその力を使えていますわ」
「さっすが、ルミネね!ちゃんとこの2年間で、鍛えてくれたのね?」
少女はルミネに対して思った通りの事を紡ぎ、ルミネは「えっへん」といった仕草を取っており、その表情は得意気だった。
「ですが、わたくしがアリアに教えたのは本当に些細なモノですわ。それよりも凄いのはアリアの「想い」ですわね。そして、その「想い」に応えようとする精霊族の「願い」が重なったから、良い方向に伸ばす事が出来たと言うべきなのですわ」
「想いと願いか……。確かにそれらが合わされば強いかもね。ところで、このプログラムで試験をやってるんだ?」
少女がモニターを見ると、そこには炎の鎧を纏っているワイバーンが映し出されていた。
それは本来であればハンター試験に使われる事がないプログラムであり、実際にハンター試験で使われたのは、片手で数えるくらいしかない。
「はぁ……はぁ……はぁ……。前もって話しは聞いていましたけど、強過ぎますね、このワイバーンは。相性は良い筈なのに、攻撃が効いてる気がまるでしません」
「アリア、どうする?アイツ結構強いよ?アリアの師匠も無理はするなって言ってたし、試験のノルマは終わってるから、諦めても問題は無いんじゃない?」
「イヤです。諦めたくありません。あのワイバーンを、アルレおねぃちゃんも、師匠も、あのハロルドでさえも倒したって聞きました。それなら、わたしも……わたしも、倒さないとダメです」
「まったく……アリアは言い出すと聞かないんだから」
「少し、時間を稼いで……お願い、アンディ」
「ちぇ、仕方無いな。分かったよ、アリア」
水の精霊・アンディは、ため息まじりでアリアの周囲に碧い魔術壁を幾重にも展開していった。一方のアリアの表情には疲れが滲み出ており、肩を上下に揺らしていたが、その姿を見たアンディでも、アリアの瞳に宿る強い意思に反論する気が失せていたと言える。
こうしてアンディが時間稼ぎの為に張った、その魔術壁はワイバーンから放たれるブレスや爪撃を弾く盾となってくれていた。
「わたしの願いよ、届けよ届け。くるくる回れ、正しき水よ。くるっと回れ、清き水よ。回り回って、巡り巡って、わたしの中に集まれ水よ」
防御の全てをアンディに任せ、自身は精霊の力を使わずマナを編んでいく。
そんなアリアの詠唱に応えるようにアリアの身体には、マナが集まり練られ、編まれたマナはアリアの掌へと集まり、収束し磨き上げられたマナはアリアの望む形へと変化していったのである。
「わたしの願いは悪を「絶つ」事。わたしの想いは悪を「断つ」事。わたしの「たつ」よ「辰」となって敵を飲み干せ」
「水龍の調べッ!」
アリアの望む形……それは「龍」であり、アリアの掌のマナはその姿を形造っていった。
こうして、放たれた水龍は炎の鎧を纏ったワイバーンを飲み込まんと、大きな口を開き襲い掛かっていったのである。
「ばくんッ」鈍い音が響き、炎の鎧ごとワイバーンの左脚が姿を消した。放たれた水龍はワイバーンを喰い千切ると、方向を転換させて再びワイバーンへと向かい2度目の「ばくんッ」。
水龍はワイバーンの右翼を喰らい、そして、3度目、4度目、5度目と立て続けに「ばくんッばくんッばくんッ」。
音を奏でながら水龍はワイバーンを捕食していく。そして、一際大きく「ばくんッ」と言う音を立てた時に、ワイバーンは跡形も失くなっており、纏っていた炎の一片すら残さず消え去ったのだった。
「やりました」——アリアは少し、放心しているかのように呟いている。
「やりました」——アリアは放心しながらも、肩の上にいるアンディに視線を移していく。
「やりましたッ!アンディ、やりましたよ、わたしッ!」
「よく頑張ったね、アリア」
「危なげない仕上がりね。それにあの若さであれだけ上手に詠唱が編めるなら、後々、末恐ろしい娘になるわよ?……要するにルミネの指導が上手かったのねッ!」
「それほどでもありませんわ。全てはアリアの努力の賜物ですわよ」
「ルミネは流石ね」
「ぷしゅー」と言う音が鳴り響き、トレーニングルームの扉が開いていく。
そして、試験を無事に終えたアリアは出て来たのだった。
「おかえり、アリア!凄かったわッ、びっくりしちゃった!」
「アルレおねぃちゃんッ!見てくれてたの?」
「えぇ、勿論ッ。試験合格おめでとう。それと、お誕生日おめでとう、アリア!」
少女はそう言の葉を紡ぎ、アリアの為に準備して持ってきたプレゼントを渡したのだった。
「うわぁッ!なんだろなんだろ?ありがとッ、アルレおねぃちゃん。大好きッ!」
少女はフィオをミトラに預けたまま、ルミネとアリアを連れてそのまま最上階のマムの元まで向かう事にしたのだが……。
「で、何で、アンタまで付いてくるのよ?」
「いやぁ、御目出度い日ですから、小生もご一緒したいと思っただけなのですが……」
ぽりぽり
「どうせ、わたしの師匠と少しでも一緒にいたいだけなのでしょ?」
「もう、アリアったら……本当の事でもそれを言ったらハロルドが可哀想よ?」
「師匠……それだと、身も蓋もない以前にフォローになってないです」
「ふふふ。情けないですわね、ハロルド」
その場にいた女性陣の槍玉に挙げられたハロルドは、今にも泣きそうな表情になりながらも、少女達の後を追う事を止めない様子だった。
コンコン
「入っておいで」
がちゃ
「あたしゃここで見させて貰ったよ。アリア、おめでとうさん。良くやったね。それにルミネもよくここまで育ててくれたね」
いつも通りのしゃがれた声高の声に誘われて皆が入って行くと、マムは感激している様子で今までの労をねぎらう言葉を掛けていった。
「で、アンタはどうしたのさ、ハロルド!」
「いやぁ、そのぉ……」
3人は肩を震わせながら堪えていたが、やはりどうにも我慢が出来ず、先頭切って少女から「ぷッ、くくくすッ」と笑い声が漏れると、収まりが効かなくなり笑いの渦に巻き込まれていった。
結局ハロルドは、はっきりしない言の葉しか紡げず、マムの顔には「?」が浮かんでいた。
「アリア・レヴィ!」
「は、はひッ」
3人の笑いが収まるのを待ってマムはアリアの名前を呼んだ。急に呼ばれたアリアは声が裏返っていたが、それを笑う者がいないのは当然であり、そんなアリアの顔は緊張で強ばっている様子だった。
アリアは自分の名前を呼んだマムの顔を見て、その瞳を見詰めていった。今日のマムの顔は優しい顔だった。慈愛を湛えている程の笑顔だった。
マムのそんな表情に、アリアの緊張は解されていく。
「こちらへ」
「はいッ」
「これで、アンタも仮とは言えハンターの仲間入りだ。今までよく頑張ったね。そして、大好きなお母さんの為に、これからも頑張るんだよッ!」
ぽんぽん
「アンディ、アリアを頼むよ」
「とっくに任されてるから、安心してよ」
多少の緊張は解れたアリアだったが、それとは裏腹に緊張などしていない水の精霊族のアンディ。
その様子を見ていた少女は、「良いコンビになりそうね」と率直な感想を心の中に留めていたのだった。
「さてと、アリア、これからアンタはハンターとして活動するに当たり、先ず色々と教わらないといけない事がある。デバイスの使い方、ハンターとしての心得、まだ他にもあるが、そう言った色々なモノを勉強していって、やっと一人前のハンターになれる……が、その前に実践試験もある」
「はいッ!頑張ります!」
マムは優しい目をしたまま、アリアに言の葉を紡ぎ、アリアは真剣な目に強い決意を抱いたまま返事をしていった。
「さて、アリアの見極めは誰にやって貰おうかね?」
マムはその一言を皆に聞こえるように呟くと、ニヤリと口角を上げていったのである。
「ああぁ~ぁ」
「あぁ、いいッ……ですわ~」
そこでは2人の艶めかしい声が漏れていた。2人はお互い一糸纏わぬ開放的な姿でいるが、周りには他に人影はない。
「蒼銀の美姫」とまで言われたルミネが街中で一糸纏わぬ姿でいたら、立ちどころに人だかりが出来るのは当然のコトだが、ここにはそんな出歯亀はいない。
ちなみに少女はそんなルミネと、体型的にも比較対象にならないのは当然のコトだが、余談でしかないのは言うまでもないだろう。
むしろ余談にしておかないと身の危険すらあるかもしれない。
要するに2人は全裸でいても可怪しくもなんともない場所……即ち温泉に来ていたのだ。
拠って艶めかしい声は温泉に浸かる事で自然と漏れた声だった。
「それにしても、マムも良い所あるわね。アタシ達に「ゆっくり温泉にでも浸かって来い」なんて言ってくれるなんて」
「アリアを無事に育て上げた事へのご褒美って言ってましたわね」
少女もルミネも露天に浸かりながら、浴槽に寝転がるように空を見上げ、その視界に広がる満天の星を見上げたまま、言の葉をお互いに紡いでいく。
「ママッ、見てみて!」
「どうしたの、フィオ?」
フィオは温泉に浸かった事で、ふわふわの毛並みが身体に貼り付いており、それを「ぶるるるるるッ」と身体を振ってお湯を撒き散らして遊んでいた。
「もぅッ、ちょっと止めてよ、フィオ」
「くすくすッ。アルレさまもすっかり「お母さん」が板に付いたのですわね」
ざばぁッ
「微笑ってないで、ルミネも喰らえッ!」
少女はクスクスしているルミネに奇襲を仕掛け、フィオにもお湯を掛けて仕返ししていった。多少マナーが悪い気がするが、他に誰もいないコトから、それを気にせずに楽しんでいたと言えるだろう。
「やぁりぃまぁしぃたぁわぁねぇ」
ルミネはその顔の口元にのみ微笑を湛え少女の方を見据えていた。
ルミネの艷やかな銀髪からは、掛けられたお湯が滴っており、その身体は小刻みに震えて豊満な胸元もつられて揺れている。
「あ、あれ?ルミネさん……そ、そんな手を上げて……な、何を、一体何をナサルオツモリデ?」
少女はルミネの「目が笑っていない微笑」に恐怖を感じ取り、「ふふふふふふ」と返って来たルミネの声に絶望を抱いていた。
「ぎゃーーーーーーッ」
満天の星空が浮かぶ、情緒溢れる温泉地の閑静な風情に似合わない絶叫が木霊し、夜空に吸い込まれていった。
空に浮かんでいる黄色に輝く三日月は、口角を上げたマムのように微笑っていたのかもしれない。




