ニチリンヲマトイシモノ ν
「ッ!?アテナッ!!」
「アテナ、アテナッ!しっかりして、何があったの?」
「うっ……うぅぅ」
少女は俯せに倒れているアテナを揺さぶり声を掛ける。少女の声に対し、アテナは短い呻き声を発していた。
アテナはその身体に特に外傷はなさそうだったので、少女はアテナを抱きかかえるとベッドに仰向けの状態で寝かせ、ヘラに向かって声を掛ける事にした。
当たり前だがそれは、ヘラから授かった加護に対してだ。
「ヘラ叔母様、ヘラ叔母様、聞こえますか?」
「どうしたのだわ?」
「今は少し忙しいから、簡潔に話して欲しいのだわ?」
「ヘラ叔母様、アテナが、アテナが大変なんです!」
「アテナ?今、目を開くから少し待つのだわ」
少女の呼び掛けに反応したヘラは少女の額に第3の瞳を開眼させ、指示した方を見るように伝えていた。まぁ、目だけでは見たいものが見れないので仕方ない。
そこは2人の共同作業が必要になるのだ。
「何者かがそこに侵入した形跡があるのだわ。恐らくアテナはそこで返り討ちにあった感じなのだわ?」
「アテナは無事なんですかッ!?アテナはどうすれば?」
「放っておけばその内回復するのだわ」
「アテクシ達、オリュンポスの神族は基本的に、皆、不死性を持っているから、概念の因果を書き換えられない限り、死ぬ事は無いのだわ」
「アテナも見たところ、そこまでダメージを負ったようにも見えないし、身体のダメージが回復すれば起きるだろうから、そうしたら事情を聞くのだわ?だけれど念の為にその神殿に衛兵を送っておくのだわ。でもこれから夜になるから、貴女はその部屋を出ては駄目なのだわ」
「何かあったら、別の意味で貴女が危険なのだわ?」
「分かりました。ありがとうございます、ヘラ叔母様」
少女はベッドの上で苦しそうに魘されているアテナの手を握り、祈りを捧げていた。ちなみにそれは誰か他の神に対して祈っていたのではないから、祈りと言うよりは語りかけていた……と言う方が正解かもしれない。
一方で少女は、ヘラが言った「別の意味」は完全に聞き逃していた。それくらいアテナのコトで頭が一杯一杯だった。
「アテナ、一体何が起きたっていうの……」
「またアタシに、あの笑顔を見せてよ……」
翌朝、少女はアテナの傍らで目を覚ました。アテナの顔は見付けたばかりの時みたいに魘されてはおらず、落ち着きを取り戻しているが、目を覚ます気配は感じられなかった。
少女は昼まで待って、アテナが目覚めないようなら調査に乗り出す事を心に決めた。アテナがこの部屋で襲われたなら、それはこの部屋を使っていた少女を狙った者の犯行であると思えたからだった。
「アテナに酷い事をしたヤツを見つけて、叩きのめしてやるんだからッ!もう、ギッタンギッタンのけちょんけちょんの刑ね」
「アテナ…早く起きてよぉ」
少女は未だに目を覚ますことのないアテナを見詰めていた。その寝顔は安らかで美しく、とても穏やかで普段のアテナが見せているのとは、まるで違った一面のようにも思えていた。
少女はいつしか、うたた寝をしていた。その中で夢を見ていた。
微かに覚えている夢の記憶の中に映っているのは、見覚えのある「誰か」だった。
そしてその「誰か」は少女の事を恨めしそうに見ながら叫んでいた。
「お前さえ、いなければッ!」と。
「はッ!」
「夢……か。アタシいつの間にか寝ちゃってたのね。そうだ、時間!入って来る陽射しがだいぶ高い。アテナの様子は……」
「ほっ。良かった、穏やかなままね。あぁうん、良くないわね」
“行くのか?”
「えぇ、アテナは必ずアタシが治してみせる」
“それならば、東に向かってみるといい”
「東?東に敵がいるの?」
“それは分からない。だが、可能性の話しだ”
アテナは先程までと変わらず、穏やかな寝息を立ててベッドの中にいた。少女はアテナに異常が無く安堵したが、うたた寝をしてしまった事で時間がある程度経ってしまった事から、当初考えていた行動に移す事にしたのだった。
少女はアテナの神殿を後にし、ブーツに火を点すと空を駆けていった。
少女はバイザーで網を張り空を東に掛けていく。誰かが追い掛けて来るようならソイツが「犯人」である可能性が高いからだ。
そして、誰かが少女の事を追い掛けて来ているのを悟ったのだ。
「誰かがアタシの後を付けて来ているわね?」
「犯人ってコトでいいわよね?」
“それは分からん。だが、必ずしもそうであるとは言えんから熱くなり過ぎるのはオススメしない”
少女は舵を切り、方向を変えていく。そしてそれは後に付いて来ている者も同じだった。
拠って少女の心の中でそれは確信に変わり、見通しのいい場所で迎え撃つ事にしたのである。
「アタシに何か用かしら?」
「汝がここ数日の内に、この地に顕れた者か?」
向かって来たのは1人の男だ。そんな男は少女に対して紡いでいく。
この男は背が高くヒョロヒョロでもやしのようだった。
そしてスキンヘッドに茶色の肌……だからもやしではなくてゴボウが適切かもしれない。更に身に纏っているのはボロボロの布にしか見えなかった。
だが、その姿よりも不思議なモノがあった。それは足元にある「車輪」だ。
その「車輪」は光輝を放っており、車輪の中央部―車軸の外側部分に翼を生やしている。そしてそのまま宙に浮かんでいた。
言うなれば、戦闘用馬車の「チャリオット」の人が乗る部分だけで飛んでいるような感じと言えば伝わるだろうか……。
いや、凄く伝わり難いかもしれない。
「アンタが、アテナに酷い事をしたのね?」
「「アテナ」とは何ぞや?拙者は密偵より聞いた出で立ちの汝を見つけた為、追い掛けただけである」
少女はあからさまに怪しい男に向け、敵意と殺意を放ち、手に力を込めていた。そして、猛然とその男へ向かって特攻を仕掛けていた。
要は熱くなっていたのだ。むしろなり過ぎていた感じは否めないだろう。
だが男が紡いだその言葉を聞き届けた少女はその男の眼前で……、ギリギリのところで手に込めた力を解いたのだ。
それはもう既のところであり、拳が放つ風だけがその男に直撃していた。もしもスキンヘッドでなければ髪の毛が揺れていた事だろう。
少女は一旦冷静になる事にした。だから見通しのいい丘の上で、怪しげな男との会話をする事にしたのだ。
「アンタがアテナを襲ったワケではないのね?」
「先程から汝が言っている「アテナ」とは何ぞや?拙者は密偵に不可思議な力を持つ者を探せと命じたに過ぎん。拙者が汝を見付け越境した事は拙者に非がある」
「だがそれは、オリュンポスに対し侵略を企てた訳では無い。汝がオリュンポスの者であれば、それは侵略と見做されても仕方が無い事だが」
「密偵が侵略行為に当たらない保証はあるのかしら?」
「……」
「まぁ、アンタの所の密偵がアテナに酷い事をしたのなら、アンタの責任って事だけど、そこんトコはどうなの?」
「それは無いと断言しよう。その「アテナ」と言う者がオリュンポスの神族の一柱であるとするならば、我々がオリュンポスの柱に危害を加える事は出来ないからだ」
「そう、ならば、アテナを襲ったのは別の「勢力」ってコトになるわね。で、アタシに何の用なの?」
「汝に頼み事をしたくて参った次第だ」
先程から言葉を交しているが、この怪しげな男の表情は全くと言っていい程、読み取る事が出来ない。どんなモノであれ、感情があればそれは表情に出るものだ。
しかしそれがこの怪しげな男にはない。従って完全な無表情であった。
少女としてはそれがどこか気味悪い気がしてやまなかったが、神族も多様性なのであれば、こんな一柱がいてもおかしくはないのだろうと考え直す事にした。
「頼み事?アタシに何を頼みたいっての?でも、アタシは今、凄っっっごく忙しいから頼まれても何もしてあげられないわよ?」
「それならば、その「アテナ」とやらを傷付けた者を見付ければ頼みを聞いて貰えるか?」
「頼みを聞くかどうかは別として、話しだけなら聞いて上げてもいいわ。犯人を無事に確保出来たらね」
「でも、そんなコト出来るワケもないでしょ?」
少女は余りにも胡散臭いこの男の頼みを聞く気は毛頭無かった。だから無理難題を言って退散させようと考えたのだ。
「分かった。それならば、その「犯人」とやらを見付けて進ぜよう」
「えっ!?出来るの?嘘でしょ?」
「ウィスプ・ラト」
怪しげな男の車輪は形を変え男の背中で光輪となり、車輪に生えていた翼は文字通り男の翼となった。
「ヴェンディダード」
しゅうん
しゅぱッ
「えっ?えっ?一体何が……?」
「拙者の光輪が放った光の向かった先に犯人がいるであろう」
「ホントにぃ?なんか凄っごく胡散臭いけど……、まぁ、行ってみますか」
怪しげな男の背にある光輪は上空で徐々に加速しながら回転を始めた。そして回転速度が最高速度に達した後に、一条の光を放ったのだ。
少女は半信半疑のままブーツに火を点すと空を駆け光の先に向かう事にした。
「な、なんだ、この光は?」
「へぇ、確かにいたわね。それで貴方がアテナを襲った犯人かしら?」
「ッ?!くっ!」
「あぁ、そうだ!確かに貴方だったわね?夢の中で垣間見たのは」
そこには確かに1人の男がいた。半信半疑だった少女は正直なところ驚いていたし、なんとなく疑ってしまった事に対してバツが悪かった。
その一方で少女はアテナの傍らで、「うたた寝」をしていた時に見た夢を急速に思い出していた。
そして、その夢の中で恨み言を言っていた顔を思い出したのだった。
「お前はッ?!」
「この光はお前の仕業かッ!くそッ忌々しい!」
ぱんッ
ぼっぼっぼっ
「行け!」
突然の光に動揺している男は少女を見て、更に激しく動揺していた。恐らくコイツがクロで間違いないのだろう。
しかし犯人は少女と話しをする気は全くない様子で、合掌すると自身の周囲に|人魂のようなゆらゆらと揺れる火球を起こし、少女に向けて放っていった。
少女は自身に迫る火球を避けながら、剣を構え向かって行ったが、男との距離は一向に縮まらず近付く事は全く出来なかったのだった。
「一体、どうなっているの?なんで間合いが詰められないのッ?!」
「ふぅ、全く焦らせてくれる。だが、それならこちらとしても好都合だ」
「時期が多少ズレたが、ここで仇を取らせて貰うとするか」
男は少女に近付いていく。その手には一本のナイフが握られていた。一方で少女は自分の身に危険が迫っている事を理解していない。
何故なら男は幻術を使い、少女の五感を騙しているのである。その幻術は五感を狂わせる類のモノであり、少女は傍目には何もせずに立っているだけだ。
少女が追い掛けていると思って行動しているその全ての行動が実際には何1つ行われていない。故に距離が縮まる訳が無い。
そして、少女が見ている男すらも幻であり、現実に存在している男が発している声は少女には届いていなかった。
拠って、この時点で幻覚に囚われている少女には、為せる事は何一つ無かった。だから男が持っているナイフで「刺される」と言う事だけが確定事項であったと言えるだろう。
だが一方で刺されたとしても気付く事なく、自分の心臓が鼓動を止めるその時まで何が起こったか分からず、安らかに息を引き取る事しか許されないという現状だった。
「ヤスナ!」
「なっ!?」
少女はその力によって助けられたと言っても過言ではなかった。その力は今まさに、少女をその手に掛けようとしている男に浴びせられ、その力に因って男が使っていた幻術は消え去っていった。
だ・か・ら、少女の目には突如としてナイフを持っている怪しげな男が、突然目の前に現れたように映ったのである。
「ッ?!@#$%¥☆*&〒」
ぶぉんッ
「ちょッ!なんなのよ、一体ッ!!」
少女は驚きのあまり、急遽ワケの分からない言葉と共に愛剣を振り下ろしていた。驚かされて手が出る行動となんら変わりないかもしれないが、手が出る以前に大剣が振り下ろされれば、それはたまったモンじゃないだろう。
そしてその行動に驚いたのはナイフの男であり、避ける事が出来ないまま、少女の急拵えの斬撃をその身に受ける事になったのだった。
その時の少女の心臓はバクバクと途轍もない程に速く、高鳴っていたのは言うまでもなく秘密の事だ。
急拵えではあったが、少女の愛剣はナイフの男を斬り裂いた……ように見えたが、斬り裂かれたその身体は黒い余韻を残して消えていった。
「ッ?!いない……」
「今までのは、全て幻だったとでも言うの?」
「そのようであるな」
「貴方に助けられたみたいね。ありがとう」
「ところで、アイツ、何者か分かる?」
「何者かは分からぬが、見た目や所作、服装などから察するに、「アースガルズ」の者やもしれん」
「「アースガルズ」それって……」
「さて、これで汝は拙者の話しを聞いてもらえるか?」
「えぇ、まぁそうね。助けてもらったし……。だから先ず、話しだけは聞かせて貰うわ。でも、頼まれるかどうかは話しを聞かせて貰った後で決めるけどいい?」
「了解した」
少女は犯人の居場所かもしれない「アースガルズ」がなんとなく分かっていたから、一刻も早く乗り込みたかった。だがその前に「礼には礼を尽くさないと」とも思った事から、光輪の男の話しを聞く事にしたのだった。
「ところで、貴方は何者なの?」
「拙者の名はアフラ・マズダ=ヴァルナマディヤ・アーディティヤラストヤである」




