ウイジンノユクエ ν
少女は朝起きると、寝ぼけ眼を擦りながらベルを鳴らした。
使いの者は無言でいつものように入って来て、少女からの「お遣い」の内容を待っていた。
「お風呂って用意出来るかしら?」
少女の「お遣い」の内容に、使いの者は首を傾げ困った素振りをしていた。
「流石にやっぱり無理よね。はぁ。困らせてごめんね」
「それじゃあ、内容を変えるわ。身体を拭きたいから、用意をしてもらえるかしら?」
こくんッ
使いの者は少女の言った内容に対するモノとして、温めのお湯が入ったタライとタオルを持って来てくれた。
少女は服を脱ぎ下着姿になるとタオルを湯に浸し硬めに絞り、身体を拭いていく。流石にいつ扉が開けられるか分からないから、全裸になるのは気が引けた。
「ふぅ、サッパリした。どうせなら髪も洗いたいところだけど、流石にタライのお湯じゃ難しいわね」
「でもやっぱり下着だけでも替えたいなぁ。頼んだら持って来てくれるかしら?でもそうすると、今履いてるのを洗濯したくなっちゃうしなぁ……。洗濯したらどこに干すかも悩ましいわね」
「あんまり見られて嬉しいモノでもないし…。特にアテナには……はぁ」
少女は身体を拭き終え、下着姿のまま独り言を口にしている。乙女の悩みは尽きない様子で、ぐるぐると頭の中をかけ巡っている様子が窺えた。
兎にも角にもそれから少女は、仕方なくさっき脱いだ下着を身に着けインナーに身を包み、装備を整えていく。
そんなこんなでまったりしていると、使いの者がいつもの朝食を運び入れてくれた。
「今日もちゃんと寝れたようで何よりだ」
「えぇ、お陰様で。ありがとう、アテナさん」
「ところで今日は、二柱目の元にいくのか?」
「えぇ、そのつもりで考えているわ」
「それなら次は「大地の塔」だな。「大地の塔」はここから南にある島に、そびえ立つ塔だ」
「南…南にある島ね」
「その手前に祠があって、その祠に我々の祖母上がいるから話しをすると良い。きっと力になってくれるハズだ」
「祖母?誰かしら?うん、分かってる、ちゃんと本人に聞くわっ!」
アテナは少しだけ満足したように微笑むと更に紡いでいく。
「今回、ウチは一緒に行けないから、貴女が自力でいく事になるが、大丈夫か?」
「えぇ、きっと大丈夫よ」
「ありがとう、アテナさん」
「そうか。それなら塔から出たら、再びここに帰って来ると良い。昨日みたいに魔術で戻って来ても、もう槍を向けたりはしないさ。ははは」
アテナの笑顔はやっぱり綺麗だった。アテナの笑顔は少女の中に残っていた一抹の不安すら消してくれた。
だから1人でも無事に行って戻って来れる気がしていた。
少女はアテナの神殿を出るとブーツに火を点し、言われた通りに南へ向かって空を駆けていった。
「今日は独りか。それならば」
少女の様子を窺う1つの影がある事に気付かずに……。
少女は南に向かって空を駆けていく。その心の中には然したる不安も無かった。
自分の祖父母がどんな姿でどんな声を紡ぐのか?それに対しての興味が尽きなかったからだ。
南に向かう道中、少女は高度をそこまで高く維持しているワケでは無い。だから自分の興味に対して思いを馳せつつ、地上の様子を窺いながら空を駆ける少女の姿は、「オリュンポス」の民に目撃されていた。
「オリュンポス」の民は翼も羽も無いのに空を駆けていくその姿を見て、本当に不思議そうに首を傾げるのだった。
「アタシの前に何かいるわね?」
ぶるるっ
「なんか凄っごくイヤな予感しかしないんだけど……」
少女は自分の前方に何かがいる事に気付くと、空を駆けるのを止めて、その場に留まって様子を窺う事にした。
空中に佇む少女に向かって、前方にいた者は少女へと近寄って来たのだった。
「おぉ、美しき女性よ。朕は、そなたに一目惚れをしてしまった。朕の愛を受け取って貰えぬか?」
「さぁこちらへ、愛しき女性よ。朕と共に永遠の愛を育もうぞ!」
少女の前方にいたのは、大きな鷲の背に乗った偉丈夫だ。手には奇妙な形の、猛々しい波動を放つ鞭を持っていた。
その偉丈夫の顔立ちは整っており、髪は白金色に輝き、瞳は金色だった。確かに美形と言われれば美形だろう。
口説かれれば落ちない女性はいないかもしれない。それは充分納得出来た。
更にその身体付きで目を見張るものは「筋肉」だ。見せ付けるような筋肉の鎧を纏っている。そしてその逞しい身体付きに申し訳なさげな程度に防具と思しき物を纏っていた。
やはり頑強な筋肉の鎧があれば防具はいらんと言わんばかりだ。
青年と言うほど若くはないだろうが、その美形な顔立ちのせいか若く見える。
「そう言うのはお断りしています。アタシには既に心に決めた人がいて、それに今はそれどころではないので、お引き取り頂けますか?」
少女は突然の求愛に対して冷たくあしらう事にした。先ずは丁寧に相手の感情を逆撫でしない事が大事だとも考えていた。
まぁ、そもそも人間界で少女の事をナンパしてくる男はいないので、これが人生初ナンパとも言えるかもしれない。
そもそもナンパで最初から「愛を育む」とか言われても下心しか見えないので引く事しかないのだが……。
「ち、朕の愛を受け取らぬと申すのか?」
「さっきも言ったけど、心に決めた人がいるの。それに貴方に構ってあげられる余裕もないの」
冷たくあしらわれた偉丈夫は、フられたショックでわなわなと震えていた。だが、その瞳から漏れている光は到底諦めているようには見えなかった。
「それならば、無理矢理にでも手籠めにしてくれる!」
「一度でも朕を味わえば、次からは自ら「おねだり」するのだからなッ!!」
「それって、ただの犯罪者だし、どんだけ自意識過剰なのよッ!そんなのこっちから願い下げよッ!!」
盛大に声を張り上げた偉丈夫は、乗っている鷲を羽ばたかせて高度を取り、少女へ向かって急降下させていく。
少女は既の所でその「鷲アタック」を躱すと、ブーツを再点火させ、最大加速を以って振り切ろうと必死に空を駆けていった。だが、鷲を巧みに操る偉丈夫は、少女を執拗に追い掛け回していく。
最大加速した速度でも振り切れなかったのだ。
しかしこの時、少女の額に第3の目が開かれている事に、その身体の持ち主ですらも気付いていなかった。
「ほらほら、もう少しで追い付くぞ!」
「さてさて、どんな味わいかな?どんな声で鳴いて、どんな声で喘ぐのかな?愉しみだ実に愉しみだ!」
鷲の上の偉丈夫は少女に向けて甚振るような声を投げている。その目はだらし無くニヤけており、鼻の下はデロデロに垂れ下がり、今にもヨダレを垂らしそうな半開きの口が、端正な顔立ちを全て台無しにしていた。
「あぁ、もうっ!執ッ拗いわねッ!」
「そんなに執拗いと嫌われるわよッ!」
「そもそもアタシはアンタなんか嫌いよッ!!アンタみたいなスケベオヤジに身体をいいように弄ばれてたまるモンですかッ!」
少女は罵詈雑言を並べ立てていくが、その言葉が本当に届いて欲しい相手には、届いていない。
まぁ、現実とはそんなモノだ。
然しながら無情にも、空を必死で駆ける少女に対して、鷲は遂に少女に追い付いてしまったのだった。
偉丈夫は手を伸ばし少女の腕を掴むと、強引に自分の元へと引き寄せ、嫌がる少女を無理矢理に抱き締めたのだ。
「やめてッ!ちょ、そんなトコ触らないでッ!///」
「ぐふふ。イヤよイヤよも好きのうちってな。ほらほら、もっと感じるがよい。もっと気持ち良くしてやろう。存分に濡らすがいいぞ?」
「ダメっ!///やめてッ!///ちょっと、ホントに触らないでぇ!///」
少女は叫びながら必死に抵抗していたが、偉丈夫の腕力は強く、その拘束は振り解けない様子だ。
そして嫌がる少女の顔は言葉とは裏腹に赤らんでいた。
「あーなーたー、一体何をしているのだわ?」
「「ッ!?」」
びくッ
「えっ?今、アタシの口から勝手に…?」
「はっ!今だッ!」
抵抗を続けている少女の口から、突如として漏れて来たのは「ヘラ」の声だった。
偉丈夫はその声に驚愕の表情を瞬時に浮かばせ、驚きの余り少女の拘束を解いてしまっていた。
少女はそのスキに、すかさず鷲の上から飛び降りていった。
「い、今のは?」
「アタシの口が勝手に動いてヘラ叔母様の声が勝手に…」
少女は自分の口から発した声が「ヘラ」のものであり、そして、自分の意思とは違い勝手に発せられた「声」に対して驚きを隠し切れなかった。しかし未だ額にある第3の瞳には気付いていない。
一方で助けられた事に凄く感謝しており、自分の貞操と生命が一時的に守られた事に安堵していた。
「さっきのはもしかしてヘラ叔母様の加護?」
「今、貴女の額にはアテクシの目があるのだわ。そこから見ているから、あの唐変木をこてんぱんに懲らしめてやるのだわ」
「凄く不思議。アタシの口からヘラ叔母様の声が出て来る。それに額に目?あれれ、ホントだ!何かある!触っても平気かしら?」
「流石に目を触るのはやめるのだわ。さぁ、早くこてんぱんにするのだわ!」
「でも、どうやって?」
「貴女に付けた護衛を使ってみるのだわ」
「えっ?でもアテナさんは今日はいないわよ?護衛ってアテナさんのコトじゃないの?」
「貴女の護衛はアテナの事ではないのだわ。流石にアテナを貴女に差し上げるのは無理なのだわ」
「あ、それはそっか。じゃあ、護衛って?」
「アテクシの式神の1体を貴女に貸しているから、名前を呼べば顕れるハズなのだわ」
まるで腹話術のように一人二役で話す少女は、自分の口から発せられるヘラの声で式神の名を聞いた。
少女に貸し出された護衛の名を。
「さ、さっきはヘラの声に動揺してしまったが、ヘラはここにいるハズも無い。もう、騙されんぞ。さぁ、朕の愛を受け入れるのだ!」
「先程の続きを!なぁに恥ずかしがる必要は微塵もない、スグに気持ち良くなるから共に愛を育もうではないかッ!」
気を取り直した様子の偉丈夫は、鷲を再び巧みに操作して少女に近付いていく。
少女の額に開かれた第3の瞳には気付いている素振りはなく、先程同様にだらしのない顔でイヤラしく言葉を漏らしていた。
「出よ、ピュトン!」
「なっ?!」 / クワックワックワックワックワッ
キシャーーーッ
少女は式神の名を紡いでいった。すると、そこに翼の生えた巨大な蛇が顕れたのだ。
それはタケミカヅチの式神の「龍」に似ていなくもないが、脚は生えていない。
まぁ蛇なのでそれこそ蛇足になるだろう。
鷲は突如として顕れた化け物を見た途端に恐慌した。そして、偉丈夫の制御は当然のように埒外となり、鷲はピュトンに対する威嚇行動のみを行っていた。
少女はそのスキに魔術の詠唱を始めていく事にした。
「我が手に集え、紅き炎よ。我が手に集え、蒼き水よ。我が手に集え、翠緑の大樹よ。我が手に集え、鮮黄の大地よ。我が手に集え、金色なる果実よ。我が内なる全ての力よ、一つに混じりて我らが敵を討たん」
少女の掌を中心にマナが集まっていく。「神界」のマナは「魔界」同様に濃い。だから人間界に比べると集束するのが早かったが、「魔界」と比べれば非常に大人しい。
少女は「世界の違いでマナの質も大分違うなぁ」と心の中で呟いていた。
「我が手に集いし大いなる力よ、空虚なる微睡みに揺蕩う力よ。全て切り裂く顎となれ!」
少女の掌に収斂され、凝縮するように編まれた力は少女の指先へと伝わっていく。
少女は指先に集っていく力を感じながら、自分の視界の中にいる偉丈夫に対して自分の掌を重ね合わせていった。
「極大五色・鳳鶚龍顎」
少女の五指は一気に閉じられていく。少女の掌から放たれた虹色の力は顎を形成し、偉丈夫とピュトンを威嚇している鷲を飲み込まんとして向かっていった。
少女の元にマナが急速に集まっていくのを偉丈夫は感じ取っていたが、鷲の制御が出来ない事と、迫り来るピュトンへの対処で一杯一杯だった。
更には「所詮、ヒト種が放とうとしている力」と侮り慢心していた事も合わさり、少女の事を軽んじて放っておいたのが運の尽きだった。
だからこそ「ヤバい!」と偉丈夫が思った時には、少女から放たれた虹色の顎が目前に迫っていた。
そして顎は今まさに自身を飲み込もうとしていた。
異常なまでの「圧」を持った力が自身に迫って来ている。例え不死身の身体を持っていたとしても、その「不死性」の「概念」すらをも飲み込みそうな力が既に眼前に来ていたのだ。
その「圧」に対して偉丈夫は危機を察し、素早く鞭を持ち上げると鞭を振った。
それは神造兵器の概念能力が発動される瞬間だった。
「疾走れ、真霆神鞭!」
バリッバリバリバリバリバリッ
縦横無尽に疾走る無数の「雷霆」が少女の放った「顎」に飲み込まれていく。だが、「顎」はそれだけでは足りず、更に勢いを増して偉丈夫に迫っていったのだった。
必死の形相で雄叫びと共に幾重にも鞭を振るい、概念能力をこれでもかと放つが、全ての雷霆は顎の餌食にしかならなかった。
更には左手に神々の至宝とも呼べる防具である「真絶神盾」をも取り出し、「顎」に抵抗する姿勢を示していく。
だが、「顎」は偉丈夫の目と鼻の先で「ばくんッ」と音を立てて閉じ、九死に一生を得て鷲の上で脱力し呆然となっていた。
「戻れ、ピュトン」
「アタシは貴方の愛なんていらないわ。まだ執拗く迫って来るのであれば、次は神造兵器の概念だけでなく、貴方の持っている「概念」ごと消失させます」
「これで分かって頂けましたか?「オリュンポス」の主神、ゼウス!」
少女が投げた言の葉に拠って、鷲の上で呆然と項垂れていたゼウスは、何も言わずにそのままどこかへと飛び去って行った。
「貴女、凄いのだわ!全部見させて貰ってたけど、あの力は……あんな力、今までに見た事も無いのだわ。あのまま当てていたら唐変木の「不死性」まで消してしまえる力なのだわ」
「あれは五大属性で創った力ですわ、ヘラ叔母様」
「まぁ!五代属性?なんてことなのだわ!基本属性を全て扱えるだなんて前代未聞なのだわ!」
少女の紡いだ言の葉にヘラは驚愕している様子だった。まぁ、実際目の前にいないので多分そうだろう……くらいの感じだが、声の表情では確かに驚愕しか見えて来なかった。
「それじゃあ「大地の塔」に着くまでの間、お話しをしていても平気なのだわ?」
「えぇ、モチロン平気ですわ、ヘラ叔母様」
ヘラは少女に対して俄然興味が湧き、少しでも情報を得たいと考えていた。神々の持つ「概念」そのものを消す事が出来るのであれば、それは危険過ぎる力だ。
例えば「宇宙」そのものを概念としているウラノスが消え去れば「宇宙」そのものが消え去る恐れがあるとヘラは感じたのだ。まぁ、実際は上位存在である意思のない創造主が消え去らない限り、そんなコトにはならないのだが、その存在を知らないヘラであればそう考えるのが妥当だろう。
だから、少女が悪しき存在であれば、間違いを犯す前に始末しなければと考えたのである。
「大地の塔」に着くまでの間、少女とヘラの話しは続いていった。
まぁ「話し」と言っても、ヘラが一方的に質問を繰り返していたので、どちらかと言うと「質疑応答」だったのは言うまでもないだろう。
しかし少女はその「話し」にちゃんと付き合い、自身の事を曝け出していった。それによって、ヘラの疑念は晴れていく。
だから少女は改めて生命拾いしたとも言えるかもしれない。
ヘラとの会話は無事に終了し、少女の額の第3の目は閉じられていった。「また、何かあったら、呼び掛けてくれて構わないのだわ」と、第3の目が閉じる直前のヘラの言の葉は、少女の心の中に支えとして残った。
そうこうしてる内に少女は、アテナが教えてくれた祠の前まで辿り着いたのだった。
祠には当然だが扉なんて物は無く、少女は「おそらくコレがアテナが言ってた祠だろう」と勝手に思い込み中へと入っていく。
「全く、あの男ときたら、自分の権力の為だったら…」
「まぁまぁ、そう言いなさんな…」
「ったく、あのバカ息子達ときたら…」
「まぁまぁ、間違いはあるモンさね…」
「あれ?中から話し声が聞こえて来る?アテナは祖母がいるって言ってたけど、他にも誰かがいるのかしら?」
「おやおや、どうやらお客さんのようだよ?」
「そんな所にいないで、此方へいらっしゃい」
どうやら祠の中には2人いる様子だ。そしてそこに少女は出くわしたと言えるだろう。
盗み聞きするつもりはなかったが、入っていく機会を失していたのは事実だ。
だが、そんな少女を咎める事なく中にいた2人は少女に声を掛け、少女は2人の前に姿を現したのだった。




