第5話 十五年前
※ホラー・ミステリー作品です。苦手な方はご注意ください。
もう大学生だから、あまり過保護にしてはいけない。
そう思いつつも、泊まりに行った翌朝になっても娘の咲からメッセージが来ないことが気がかりだった。
もう、一言くらい送ってよね……。
高校時代からの仲の良い友達といっても、男女一緒。どうしても心配してしまう。とはいえ、咲と親友のともちゃんも一緒だ。
何度か家に遊びに来た時に話したことがあった。賢そうな子で、あの子もいるなら大丈夫だろうと思っていた。
朝食の食器を洗い終わったところで、リビングの椅子に腰掛け、スマホを開く。咲に短いメッセージを送った。
『楽しんでる? 朝ごはん、もう食べた?』
一時間ほど経っても返事が来ない。それどころか、既読さえついていなかった。
いつもなら、わりとすぐに返信をくれるのに。楽しくやってるなら、それでいいけど……。
そういえば、どこに泊まってるんだっけ?
咲から送られていた宿のURLを開く。詳しい情報が表示され、その住所を確認した瞬間、指が止まった。
「……え?」
見覚えのある地名だ。
すぐに地図アプリを開き、場所を確かめる。
どうして、今になって――。
そこは、十五年前に娘の彩がいなくなった宗教施設だった。
「あなた、二人ともお泊まり会に連れて行くの?」
夫と、その母親である義母は、年に一、二度、日帰りや一泊のお楽しみ会で、小さな咲と彩を山奥の宗教施設へ連れて行っていた。
その宗教団体には、全国に数か所、信者が集まる場所がある。
地域の信者たちが集まり、子供たちも一緒に遊んだり、食事をしたりするという。
「楽しんでるんだし。咲もまた行きたいよな? なぁ、夏休みなんだからいいだろ?」
彩は七歳。泊まりの経験も何度かあるから大丈夫だろうけれど、咲はまだ四歳になったばかりだ。
昨年、初めて参加した咲は、夜中に母を探して泣きじゃくっていたと、義母が笑って話していた。
また寂しい思いをするんじゃないか……と、私は不安だった。
そもそも、夫が宗教団体に関わっていることを知ったのは、結婚してからだった。
無宗教の自分には、縁のなかった世界。夫には「入会する必要はない」と言われ、安堵していた。
夫や義母は、普段は近所の信者の家に集まって活動している。子供たちは、たまに開かれるお楽しみ会に参加していた。
私は、そうした集まりに顔を出したことはなかった。
きっかけは、彩が三歳の頃だった。
「別に、美代子まで入らなくてもいいよ。でも、お楽しみ会とかは、俺も小さい頃行って楽しかったから。彩も三歳で大きくなったんだから連れて行っていいかな?」
「あや、ちーちゃんと、あそぶ!」
従姉妹が大好きな彩にそう言われて、宗教施設に行くことを許してしまった。
それが間違いだったのかもしれない。
翌年、咲が生まれた。
咲が一歳になった頃からは、彩と一緒に参加するようになった。
以来、二人は何度も、その宗教施設を訪れていた。
「でも……」
「美代子さん、大丈夫よ。私がちゃんと二人を見ますから」
着物をきちんと着こなした義母が、穏やかな笑顔で口を挟んだ。
綺麗で、いつもしゃんとしている人だった。
義母にそう言われると、それ以上は言い返せなかった。
そして――お泊まり会から帰ってきたのは、咲だけだった。
「彩は? どうして彩がいないの?」
何度も必死に問い詰めた。
「俺たちも知らないんだよ」
「そんなわけないでしょう! 一緒にいたんでしょう?」
「だから、知らないって」
「じゃあ、彩はどこに行ったのよ……!」
義母は、声を荒げる私を宥めるように「美代子さん、落ち着いて。警察にはちゃんと届けたから。今は、警察に任せるしかないわ」と、静かな声で言った。
建物や山、周辺の街まで、警察による徹底的な捜索が行われた。新聞やテレビでも、行方不明の女の子として報道された。張り紙を貼り、宗教施設にも何度も足を運び、付近を探し回った。
――それでも、彩の姿も、痕跡も、どこにもなかった。
咲は彩がいなくなったあの日から数日、ほとんど言葉を口にしなかった。
何を聞いても、ぼんやりとした顔でこちらを見るだけ。まるで、そこにいるのに、どこか遠くにいるようだった。
何の手がかりもなく、時間だけが過ぎていく。取り乱す私とは対照的に、落ち着いた様子で話す夫と義母。何度聞いても、二人の答えは変わらなかった。
「お願い、あなたの宗教団体に、もっと聞いてみてよ……」
「だから、もう聞いたって!知らないって何回も言ってるだろう。しつこいな」
その言葉を聞いた瞬間、何かが切れた。
私は夫と離婚し、咲を引き取って家を出た。
しばらくして、彩がいなくなった宗教施設は閉鎖された。
咲との暮らしが続いていくうちに、あの場所を思い出すことも少なくなっていった。
あれから、十五年も経った。
けれど……。
『おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるため――』
咲の携帯に電話をかけるが、繋がらない。
山奥だから、本当に電波が届かないのだろうか。
胸騒ぎがした。
今度は宿の固定電話にかける。
呼び出し音が鳴ることもなく、すぐに機械的な音声が流れた。
『こちらの電話は、現在おつなぎすることができません』
嘘、こっちも?
まだ何かあったと決まったわけじゃない。
それでも、拭えない胸騒ぎがあった。
車のキーを掴むと、そのまま家を飛び出した。
三時間ほど車を走らせ、宿に到着したのは昼の一時を過ぎた頃だった。
パトカーが二台、建物の前に停まり、警察官が慌ただしく出入りしていた。
何、これ……。
一人の警察官が、車に近づいてくる。
窓を開けると、声をかけてきた。
「こちらにはどういったご用件で?」
「娘がここに泊まってるんです……」
何かあったんだ……。
心臓の鼓動が早くなった。
車を駐車し、宿に入ると警察官に食堂へと案内された。
そこには十名ほどの学生たちと、宿の従業員らしい男女が椅子に座っていた。
咲の友人らしい男の子が声を上げる。
「……あれ、誰か来た」
その中に、咲の姿を見つけた。
「お母さん!」
駆け寄ってきた咲を抱きしめると、張り詰めていた緊張が、一気にほどけた。
「咲……良かった」
安堵で、目に涙が滲む。
警察官が近づいてきて「平岡咲さんのお母さんですか? 少しお話を伺ってもよろしいでしょうか?」と声をかけてきた。
「……はい」
咲と二人で、宿の一室に案内された。
「落ち着いて聞いて頂きたいのですが、実は床下から骨のようなものが見つかりました」
「えっ……」
「咲さんが、行方不明になった姉の彩さんのものではないかと話しておりまして……子供のものとみられていますが……よろしければ、写真を確認なさいますか?」
「……はい」
警察官が、一枚の写真を差し出した。
「上の前歯が、二本ないのがわかりますか。娘さんは、この特徴に見覚えがあると……」
震える手でそれを受け取る。
写真に写っていたのは、白い頭蓋骨だけ。
そして、確かに前歯が二本なかった――
その特徴を見た瞬間、胸の奥が大きく締めつけられた。
十五年前の記憶が鮮明に蘇る。
『おかーさん! みて、みて!』
七歳の彩が、洗面台から走ってくる。歯の抜けた口を大きく開けて、嬉しそうに笑っている。咲も隣で彩の口を覗き込んで笑っていた。
『えー! 隣も抜けちゃったの〜?』
『すごいでしょー!』
『ちょっと、もー、何その顔、めちゃくちゃ可愛いー!ねぇ、写真撮らせてよ』
『うん! とって、とって〜!』
彩が、小さな身体を無邪気に跳ねさせていた。
あの笑顔が、あの声が。
「……あ……や……」
涙が、頬を伝った。
こんな写真一枚で、分かるわけない。
嘘だと思いたかった。
あの日、彩がいなくなってから……ずっと、ずっと願っていた。
きっと、どこかで元気に生きているんだと。
見つからないのは、生きている証なんだって。
そう信じたかった。
それなのに……写真の向こうにいるのは、あの日と同じ、幼いままの彩だった。
ごめんね……ごめんね、見つけてあげられなくて……。
ずっと、寂しかったよね……ごめんね……。
堪えていたものが、堰を切ったように溢れ出した。
泣き崩れる私の背中を、咲が撫でてくれていた。
それだけで、少しだけ心が緩む気がした。
少し落ち着くと、私は写真を警察官に返した。
「それでは、また何かありましたらご連絡いたします。ご協力ありがとうございました」
警察官に言われ、私たちは宿を後にすることになった。
咲の友人たちも荷物をまとめ、それぞれ親に迎えに来てもらったり、バスに乗ったりして、別々に帰っていった。
ともちゃんが近づいてきて、私に声をかけた。
「咲のお母さん、もし迷惑でなければ、車ご一緒させて頂いてもよろしいですか?」
娘を心配してくれるその子の優しさが、ありがたかった。
「そうね、そうしてくれると、助かるわ。ありがとう」
涙を拭い、私はどうにか微笑んでみせた。
宿のおじさんが、「こんな事になってしまい、申し訳ありませんでした」と頭を下げてきた。
その隣で、おばさんも深く頭を下げて、外まで見送ってくれた。
私は、車に二人分の荷物を詰め込み、ハンドルを握る。
二人とも疲れた様子で、肩を寄せるようにして後部座席に座っていた。
エンジンをかけ、ゆっくりと車を走らせた――




