第3話 夢の続き
※ホラー・ミステリー作品です。苦手な方はご注意ください。
夕食を終えても、私たちはしばらく食堂に残っていた。三十人ほどが座れるという食堂で、夕食をとったのは私たちのグループだけだった。
窓の外からは涼しい夜風とともに、夏の虫の声が聞こえてくる。昼間の、あの異質な『音』の記憶も、みんなの笑い声に溶けて、いつの間にか消え去っていた。
机をいくつも繋げてトランプを広げたり、お菓子の袋を次々に開けたりしながら、みんなではしゃいでいた。
「うわ、負けた!」
「もう一回やろうぜ!」
誰に気兼ねすることもなく騒げる開放感に、私もつられて笑っていた。
日が暮れると、ともちゃんがみんなに声をかけた。
「花火、今やってもいいって」
宿のおじさんに確認してきたらしい。
「よっしゃ!」
男子たちが一斉に立ち上がった。
「打ち上げ花火! 打ち上げ花火!」
「早く、早く!」
「水、ちゃんと準備してからねー!」
ともちゃんが、後ろから声をかけた。
外に出ると、昼間とは別世界のように辺りは真っ暗だった。
山の中だからか、街灯もほとんどない。見上げると、都会では見たことのないほどの星が夜空を埋め尽くしていた。
「わぁ……」と目を奪われたのも束の間、パッと懐中電灯の光が辺りを照らし、市販の打ち上げ花火が次々と地面に並べられていった。
「これ、結構デカくない?」
「マジじゃん」
「いくよー、着火!バックバーック!」
ヒュルルル……。
ドンッ!
夜空に大きな花が開いた。
「おおー!」
「きれー」
私も、思わず声を上げる。
赤や金色の鮮やかな光が目の前に広がり、ドンッという音とともに、火薬の匂いが風に混じって漂ってきた。
何度も花火が打ち上がるたび、歓声が響く。
手持ち花火も楽しみながら、写真を撮ったり、くだらないことで笑ったりしているうちに、夜はすっかり更けていった。
花火が終わり、衣服に残る火薬の匂いをまとったまま、私たちは女子六人で宿の大浴場へ向かった。
ガラガラと引き戸を開けると、白い湯気が優しく私たちを包み込む。
壁際に並ぶ腰掛けタイプのシャワーは全部で六個。それぞれの洗い場には、レトロな黄色いプラスティックの椅子とお揃いの桶が置かれている。
その奥には、大人十人が入ってもまだ余裕がありそうな広々とした湯船があり、なみなみと注がれたお湯が湯気を立てて私たちを待っていた。
私とともちゃんもフェイスタオルで前を隠して入る。私が洗い場に腰掛けると、ともちゃんもその隣に腰を下ろした。
持って入ったタオルを洗い場の鏡の前に置き、髪と体を綺麗に洗い流す。
ともちゃんは長い黒髪をヘアクリップで頭のてっぺんにざっくりとまとめる。
髪を上げて、うなじを見せていた。いつもの清楚な雰囲気とはまた少し違って、湯気に濡れた横顔は大人びて見えた。
それぞれタオルを頭の上にのせてから、広い湯船に体を沈める。
じわじわとお湯の熱が芯まで染み渡っていく。
「はぁー……極楽、極楽ぅ……」
私が思わず声を漏らすと、
「ほんと、気持ちいいねー」
隣に並んだともちゃんが、肩をくっつけて嬉しそうに微笑んだ。
お風呂から上がって歯を磨き、男子と女子の二部屋に分かれてそれぞれ畳に布団を敷いた。
クーラーが心地よく効いた部屋の中、お風呂上がりの体はまだ芯からぽかぽかと温かい。
女子部屋では、布団に入ってからも今日あった出来事を話したり、お互いに撮った写真を見せ合ったりしていた。
けれど、そんなくだらない話に笑っているうちに、次第にまぶたが重くなり、心地よい眠気が襲ってくる。一人、また一人と眠りにつき、やがて部屋は静寂に包まれていった。
ふと、私は目を覚ました。
「……おねぇちゃん?」
高校の仲間と泊まりに来た宿のはずなのに――なぜだろう。私は、そこにいるはずのない姉を探していた。
おかしいのは、分かっている。それでも不安に駆られて隣に敷かれた布団を見るが、そこには誰もいなかった。さっきまで誰かがいたかのように、掛け布団が少しめくり上がったままだ。
視線を巡らせれば、他の布団では小さな子どもたちが眠っていた。
布団からそっと這い出し、廊下をのぞき込む。
ひんやりとした空気が肌に触れた。妙に静かだ。
暗がりの奥では、低い位置にある非常口の緑のライトが、辺りを不気味に照らしている。
そこに、幼い姉の後ろ姿が見えた。
隣には、白い着物を着た女の人がいて、二人は手をつないでいる。
「おねぇーちゃん……」
私がか細い声で呼びかけても、姉は振り返らず、そのまま遠ざかっていく。
「……とうりゃんせ……とうりゃんせ……」
二人の楽しそうな小さな歌い声が、かすかに聞こえてきた。
女の人と手をつないだまま、姉は廊下の角を曲がっていってしまう。
――どこに行くんだろう。
私は、静かに後を追った。
自分の裸足の音と、かすかに聞こえる歌声だけが、暗闇の中に響いている。
二人が入っていったのは、奥まった部屋だった。
わずかに開いた襖の中央から、かすかに光が漏れている。
私は、隙間に垂れた布をそっと避け、中をのぞいた。
薄暗い部屋の中は、天井から壁、床まで白い布で覆われていた。
手前に一つだけ敷かれた布団に、姉が寝かされている。
姉のすぐそばには、白装束の女が座っていた。
そして、姉を見下ろすように、斧を手にした男が立っている。
――何してるんだろう。
私は、襖の隙間からじっと部屋の中を見つめた。
さらにその奥には、同じ白装束の人が五人ほど座っている。
部屋の中央では、髭を生やした男が目を閉じ、両手を合わせて座っていた。
周囲には、何本かの蝋燭が置かれている。
小さな炎が揺れるたび、人々の顔がぼんやりと浮かんでは消える。
中央の男の口から、低く静かな声が聞こえた。
「神よ。我らにお預けくださりし神の子が、七つとなりました。今こそ、あなたのもとへお返しいたします」
異様な静けさの中、その祈りの声が、妙にはっきりと耳に残った。
姉の小さな震えた声が聞こえる。
「お父さん……?」
斧を持った男は、答えなかった。
「お父さん……やだ……」
姉が体を起こそうとすると、そばにいた女がその頭を押さえつける。
「彩、大丈夫だ。もうすぐ彩は神様のところへ行くんだよ」
聞き馴染みのあるその男の声は、優しかった。
恐ろしいほど優しくて、これからすることに何の悪意も戸惑いもない。そんな声だった。
女が白いシーツを、姉の顔から首にかけて被せた。
蝋燭の炎が、男の顔をぼんやりと照らす。
――父だった。
「あ……」
私は思わず、小さな声を漏らした。
女がゆっくりと顔を上げ、私と目が合った。
女は、ほんの少しだけ笑った。
その瞬間、鋭い悪寒が駆け抜け、全身に鳥肌が立つ。心臓が、どくん、と大きく鳴る。
女の笑顔から目を離せずにいる間に、父が斧をゆっくりと振り上げる。
蝋燭の炎を受けて、刃が鈍く光った。
突然、目の前が真っ暗になる。 低く、大きな音だけが耳の奥に響いた。
ゴトン――。
次の瞬間、私は走っていた。
暗闇の中、廊下の低い位置にある非常口の緑のライトが、辺りを不気味に照らしている。
心臓が激しく脈打ち、目から涙が溢れている。
やだ、来ないで!
自分の荒い呼吸と、裸足で床を蹴る音だけが暗闇の中に響いていた。
追いかけてくるのが何なのかは、わからない。
けれど――ここで止まったら終わりだ。
それだけは、はっきりと感じていた。
はっ、はっ、はっ……。
背後に、何かの気配が迫る。
全身の毛が逆立ち、息を吸ってもどんどん苦しくなる。
だめだ、追いつかれる――。
その瞬間、私は気づいた。
……これ、いつも見てた怖い夢だ。
これまで、頭に靄がかかっていたのが、少しずつ晴れていくような感じがした。
ほんの少しだけ、呼吸が楽になる。
けれど……いつもなら、ここで目が覚めるのに……夢が、終わらない。
走っても、走っても、夢は覚めなかった。
なんで?いつも覚めるのに!嫌だ、助けて――
涙で目の前が霞んでくる。
胸が張り裂けそうだ。喉の奥が焼けるように痛い。
また呼吸がうまくできなくなっていた。
次第にぼやけていく視界の先に、かすかな明かりが見えた。
震える足を必死に動かし、導かれるように、そこへ向かって走る。
辿り着いたのは、襖の隙間からわずかに漏れていた光だった。
考える間もなく勢いよく襖を開けて、逃げ込むと…
――何もない畳間に、姉の頭だけがぽつんとあった。
全身が凍りつく。
「……お……ねぇちゃん?」
問いかけると、姉の口が小さく開いた。
「……さき」
その懐かしい声を聞いた瞬間、私は目を覚ました。




