第2話 宿
※ホラー・ミステリー作品です。苦手な方はご注意ください。
昼前に、宿近くのバス停に到着した。
バスから降りた瞬間、山奥の澄んだ空気とともに、生温かい熱が身体を包み込む。
大きな道路から脇道に入ると、車がすれ違うのがやっとの山道が続いていた。両側には背の高い木々が生い茂り、蝉や虫の声が絶え間なく響いている。
夏の日差しが容赦なく照りつけていた。
五分ほど登った先の突き当たりに、宿が建っていた。
白い壁の二階建てで、研修施設か公民館のような建物だった。
――なぜ、今まで気付かなかったんだろう。
ともちゃんと一緒に宿のサイトを見て、写真でも確認していたはずなのに。
入口周りの色は緑から茶色に変わり、扉も新しくなっている。宿の前には、昔はなかった宿の名前が彫られた木彫りの看板が立っていた。
ところどころ変わってはいるけれど、白い壁も、建物そのものの形も、私の記憶の中にあるものと同じだった。
宿を見上げていると、建物の陰になっている右奥の方から、子どもたちと女性の微かな声が聞こえた。
「とーりゃんせ、とうりゃんせ」
声の方を見ると、奥に芝生の広場があり、エプロンを着た白髪混じりの六十歳くらいの女性と、裸足に草履を履いた子どもたちが立っていた。
女性の向かいには、小学生くらいの女の子。二人は手を繋いで腕を高く上げ、橋を作っている。
その下を、幼稚園くらいの子供たち三人が、手を繋いだままくぐっていく。
「ここはどこの 細道じゃ
てんじん様の細道じゃ そーっと通してくださんせ
ごようのないもの 通りゃせん
この子の七つの お祝いに
お札をおさめに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
とーりゃんせ とうりゃんせ!」
「つかまえたー!」
曲の終わりに、おばさんと女の子が両手を下ろし、間を通っていた男の子を捕まえた。
手を繋いでいた他の子供たちは、そこで手を離し、キャッキャと笑っている。
小さい頃、祖母と父に連れられて、姉の彩とここへ来たことがある。いとこや、他の家の子たちも一緒で、みんなで遊んで、楽しかった思い出だ。
私も、この歌で遊んだっけ……。
「この歌、少し怖いよね」
ともちゃんが、側で小さく呟いた。
横を見ると、目が合った。
「あ、ごめんね。『こわい』って歌詞に出てくるし、曲の雰囲気も暗いから、ちょっと怖く聞こえるよね。でも、ここでいう『こわい』は方言で『疲れた』って意味なんだって。だから、歌詞自体は怖いって意味じゃないらしいよ!」
私を気にしてか、ともちゃんは少し早口で、一生懸命に明るく話してくれる。
「そうなんだ」
さすがともちゃんだ。私なんて、歌詞の意味も考えずに遊んでたな。
子どもたちと遊んでいた女性が、私たちに気付く。
側にいた女の子に一言声をかけると、こちらへ駆け寄ってきた。
「今日ご予約の方たちよね? お待ちしておりました」
愛想のいい、人懐っこい笑顔のおばさんだった。けれど、その顔を見た瞬間、胸の奥に小さな引っかかりを覚えた。
その間、他のメンバーは私たちの横を通り過ぎ、さっさと宿の入り口へと向かっていた。タイミングよく中から出てきたすらりとした長身の男性が、彼らの荷物を運ぶのを手伝っている。
年齢は四十歳くらいだろうか。少し明るい髪色をした雑誌のモデルのように洗練された雰囲気の人だが、日に焼けた肌が健康的で、くしゃっとした優しい笑顔が印象的だった。
「ここのオーナーの西村です。よろしくね。暑かっただろ? 冷たい飲み物とアイスもあるから、ゆっくり休んでね」
「やったー!」
入り口の方から、男子たちの賑やかな歓声が上がった。
少ししか歩いていなかったが、既に汗ばんで、肌に服が張り付いていた。
「あ、それと、先週の台風のあとから電話がちょっと調子悪くてね。一回直してもらったんだけど、またダメになっちゃって。かけるなら、バス停の近くに商店があっただろ? そこの公衆電話、使ってもらえるかな」
「分かりました!」
「それと……悪いんだけど、Wi-Fiも今使えなくてね……」
少し気まずそうに、おじさんは言う。
男子が、元気よく手をあげる。
「はーい!大丈夫でーす!トランプ持ってきました!」
「お!それは良かった!うちにも、将棋とかあるからな」
おじさんは嬉しそうに言うと、荷物を持って宿の中に入っていった。
私たちもそれに続いた。
あかりが私に近づいてきて、耳元に顔を寄せた。
「咲……やばい、あの人、めっちゃかっこよくない?」
視線の先には宿のおじさんだ。
「うん、私も思った」
「だよね!」
途端に、あかりの表情がぱっと明るくなる。
なんだか、妙にテンションが高い。
賑やかな声が、山の中にこだましていた。
昼食は、予定通りバーベキューをすることになった。
おじさんが、男子たちに薪割りを教えてくれるという。
「この斧は、古い物らしくてね。ちょっと普通の斧より大きいんだよ」
どこか得意げに斧を見せた。
柄は黒ずむほど使い込まれ、握る部分だけがつるりと磨り減っている。刃は普通の斧よりも一回り大きく、しっかりと研がれていた。
「うわっ、重っ!」
男子の一人が持ち上げようとして、思わず声を上げる。
「ドワーフとかが持ってそうだな!」
「お前、振れるの?」
「余裕だって!」
男子たちは斧を囲んで、わいわい騒いでいる。
「薪割りをするときは、台に向かって振り下ろすんだぞ。足元には気をつけろよ」
おじさんが手本を見せる。
斧を頭上まで振り上げ――
パカンッ!
乾いた音とともに、薪が真っ二つに割れた。
「おおー!」
男子たちから歓声が上がる。
「すげえ!」
「次、俺!」
「俺も!」
おじさんは笑いながら、次の薪を台の上に置いた。
「ほら、やってみろ」
「よっしゃ!」
男子の一人が斧を握り、ぎこちなく振り上げる。
「せーのっ!」
ドスッ!
斧は薪に食い込んだものの、真っ二つにはならなかった。
「うわ、むずっ!」
「全然割れねえじゃん!」
「貸せ、俺やる!」
「いや、もう一回!」
男子たちは予想以上に薪割りを楽しんでいるようだった。その様子を横目に、私たち女子陣は食材を運んでいく。
「なんか、男子ってこういうの好きだよね」
隣のともちゃんに語りかけると、彼女は呆れたように笑った。
「うん。高校のときから全然成長してないよね」
「確かに」
ふいに視線が重なる。ともちゃんがふふっと笑みをこぼした。
「なに?」
「ううん、なんでもない」
そう言って、ともちゃんは嬉しそうに少し歩調を早める。私も慌ててその後ろを追いかけた。
炊事場に着くと、あかりたちは焼きそば用のキャベツや豚肉を切り始めた。
私たちは串焼きにする野菜を切り分け、ピーマンや玉ねぎを串に刺していく。
ともちゃんは、高校時代から相変わらず料理が苦手で、バラバラになっていく玉ねぎに悪戦苦闘していた。
ともちゃんに出会ったのは、高校一年生の四月。
入学式が終わり、教室でいくつかのグループができあがっていく。クラスに知り合いが一人もいなくて誰とも話せなかった私に、初めて声をかけてくれたのが彼女だった。
艶やかな黒髪を後ろでまとめた清楚な雰囲気。少し気が強そうにも見えたが、決してそんなことはなかった。
明るくて、優しくて、頭も良くて、私にとっては完璧な女の子だった。
ただ、調理実習のとき、なぜかお米を洗剤で洗おうとしたり、料理を焦がしたりしたことがあった。
完璧だと思っていた彼女の、意外と不器用な一面を知って、私はなんだか親近感が湧いた。
「ちょっと、玉ねぎ落ちてるよ」
横で私が笑うと、
「あ、ごめん」
ともちゃんは落ちた玉ねぎを拾った。
そして、ふと手を止める。
「……ここにして良かった」
小さく呟いて、嬉しそうに微笑んだ。
私の胸が、じんわりと温かくなった。
だけど、ともちゃんがその玉ねぎを慌ててシンクの水で洗おうとした瞬間、バラバラッとさらに細かくバラけて流されそうになる。
「わっ!」
「えっ、とめて、とめて!」
「待って、玉ねぎが逃げる……!」
急いで手にしていた串を置き、慌てて駆け寄った。
「私が拾うから、ともちゃんはそっちのカゴ持ってて!」
二人で大慌てをしながら、なんとかシンクから救出した玉ねぎの欠片たちをカゴに集める。元の形はすっかり崩れてしまったけれど、なんだかそれすらも可笑しかった。
「細かくなった分は、焼きそば用に回そっか」
「うん、ごめんね」
申し訳なさそうに言いながらも、ともちゃんは少しはにかんでいた。
私が「気にしないで」と返事をしようとした、そのとき――
ゴンッ。
後ろから聞こえたその音に、全身の血が一瞬で凍りつく。
さっきまで聞いていた薪を割る音とは、明らかに違っていた。
頭の奥で、何かが激しく弾けそうになる。
気づけば全身の毛穴が一斉に開き、嫌な汗が吹き出していた。




