#9 ホスピタル――説明
シレーヌは肌寒さを感じて目を覚ました。
ベッドの枕から頭をあげ、自分の置かれている状況を知ると、その滑稽さに思わず笑みを漏らした。
「あの子たちのすることといったら」
脳裏には、全身のあちこちに凸凹がある不細工な姿と、そんなことは意にも介さず疲れを知らずに動き回るドロイドの姿があった。
彼女の見た限り医療処置はほぼ完璧だった。しかし、宇宙服は洗浄されていたとはいえ、脱がされておらず、処置に必要な部分が切り裂かれ、そこに点滴のチューブや検査用センサーが貼りつけられていた。その数の多さから、シレーヌは自分がかなり危険な状態にあったと知った。なににしても、唇が震えるほどの寒さだけは耐え難かったのだ。
「ネライダ! ネライダ! いますぐこの部屋を暖かくして! 寒くて死にそうよ」
「申し訳ありませんでした。なにしろ帯熱部への対処に、ほとんどのエネルギーを回していまして。すぐに対応しますが、とりあえずベッドサイドにあるヒーターのスイッチを入れてみてください」
「まったくもう、この船と人工知能はどこまで人使いが荒いのよ。わたしは怪我人よ」
「はい、それはわかっているのですが、いまだ火災現場の帯熱状態、その他の不安定要素も多くありまして」
シレーヌは安心した反動なのか、堰を切ったようにまくしたてた。
「わたしは人間よ。大体これはなによ、乞食みたいな格好にされて、そのうえ冬のスラム街に放りだされてるみたいじゃない。ネライダ、あなたわたしをなんだと思ってるの !?」
「シレーヌ船長、そんなに怒らないでください。わたしもいまだに学習中なのです。服装にこだわりがあるのは承知しているのですが、手がまわらなかったのです。それに服を脱がせることはプライバシーの――」
「こだわりじゃないわ。ただただ寒くて不快なだけよ。プライバシーのことは、まあ……理解するわ。でも、命の危機とプライバシーどっちが大事なの?」
彼女の口調は、怒っているのか寒さに震えているだけなのか、ネライダには判別がつかなかった。
「どちらもです」
ネライダの返答に迷いはなかった。
「ああ、ベッドのヒーターが効いてきたわ。それで、現在の状況を細大漏らさず教えてちょうだい」
シレーヌはベッドにある操作盤に手を伸ばし、ほどよい角度にリクライニングを調節した。
正面のカメラには緑色のランプが煌々と灯っていた。見覚えのあることから、彼女は自分が中央制御室のすぐ隣にある集中治療室にいることに気づいた。随分まえに宇宙風邪を引いて寝込んだことがあったのだ。
「船長、それでは現状を説明します。ですが、これまでの流れもあわせてのほうが理解がしやすくなると思いますが、どうしますか?」
「今現在、時間的余裕のない問題さえなければそれでいいわ。あなたとこうやってゆっくり話す時間が今後役に立つような気がするの」
「わかりました。では、はじめます。――本船は当初の計画通り、目標速度0.97cに到達したさいの折り返し地点を目指して航行していました。ですが、速度0.95cに達した座標地点、仮称でいいますと"龍宮"ないしは始祖鳥宙域にさしかかったとき、Θ係数の予期せぬ急変動のために折り返し地点の手前で、180度の回頭を行うことになりました。Θ係数は本船の通信における送信系統の重要な指針です。係数が閾値、つまり±2.0を超えた場合、送信装置が機能しなくなる恐れがあります。その場合、本船は地球の国際宇宙機構から送られてくる通信を受信することはできても、本船からの送信は不可能という通信の非対称性状態に陥ります」
「そうね、そのとおりね」
「また、Θ係数の急変発生当時、本船の外部通信機器、つまり送信系統の機器は船外自動修復ドロイドによって逐次修理や更新が行われていました。ですが、宇宙塵や宇宙線、また既にある程度の距離は取れたとはいえΩ級中性子星からの様々な影響により、外部通信機の修理更新は思うまにまかせぬ状況でした」
「そこにあの火災よ。あたしが電磁波防護ゴーグルさえ忘れなければ……」
「船長、いまはそれをいっても仕方ありません。先をつづけます。――そうして本船は180度の回頭を行ったわけですが、そのさいにドロイド製造工場である中国区画で火災が発生。鎮火には成功したものの、ドロイド工場の全損が確認されました。また、同所に併設されていた化学プラントも大損害を受け、資源系製造等に重大な支障をきたしています。火災後に残留した熱量は予想を上回り、事故当時からすぐに冷却のために水循環装置をフル稼働させ、船外ラジエータで赤外線放射をつづけていますが、いまだ予断を許さない状況です。蓄積された熱を放出しきるには、それなりの時間が必要です。また、消火の際に使用したCO₂や火災時に起こった化学反応から、中国区画では致死性の有毒大気が検出されています。総量や化学組成は現在調査中ですが、現時点では僅かなデータしか取れていません」
「ねえ、ネライダ。その有毒大気っていうのが一番危険なのではなくて?」
「そのとおりです。本船の酸素循環設備は申し分ないのですが、毒物等の濾過や中和機能では手に追えない状況です。だからといって、有毒大気を船外に排出してしまえば船内の酸素濃度の回復は原理的に不可能です。とはいえ、船内に致死性の有毒大気をいつまでも閉じこめておくこともまた危険です。それに、それが不可能な状況にあります」
「なんでよ。だって区画は閉鎖したんでしょ? 大気の流出入もシャットアウトしたわよね?」
「もちろんその点の処置は完全に行いました。しかし、180度回頭したときの遠心加速度の影響から、船内各所の隔壁に歪みが生じ、各区画の密閉性は完全とはいえません」
「わたしもその回頭で死にそうになったんだけど、あれってそんなにGがかかったの?」
「船長の安全確保のために、重力制御を重点的に差し向けたため、本船すべてへの対応とはいかなかったのです」
「どうしてそれをあの時いわなかったの? 隔壁扉が歪むような急回頭ではないやり方もあったはずよ?」
「しかし、あのときはΘ係数が閾値を超える危険があり、そうなると送信系の設備を失う恐れもあったのです。さらに、船長からの『時間がない、さっさとやって頂戴、死なない程度に』という指示もありましたので、総合的に判断しました」
「え? 半分はわたしのせい?」
「いえ、そうではありません。わたしは指示にしたがうようにプログラムされているだけです」
「なるほどね。でもあなたは、いつも指示通りってわけでもないわよね?」
「はい、それはそうなんですが、わたしの中にも優先順位がありまして」
「うーん……だとしても、わたしにはあなたのそれはわからないしねえ」
「船長、お言葉を返すようですが、それはわたしとて同じです。船長が何をどうしたいのか100%はわかりません」
「それはそうね。まあいいわ、説明をつづけて。――というか、あの回頭は何分かけてやったの?」
「1分です」
「なんですって! それはあまりにも非常識ね。ちょっと待って」
シレーヌは、小首を傾げてしばらく思案したあといった。
「ざっと計算しても、1,000万Gはかかったんじゃない?」
「はい、計算上はそうです。ですが、重力場を展開して応力を逃がしましたので、実際には10~20G程度に抑えられたかと。ただ、船体全体にかかるGを平均化するためのには、計算時間が足りませんでした。あのとき、Θ係数は±1.7でしたし……」
「確かに、わたしはあなたを急かしたわ。それは良くなかったわね。それにしても、よく死ななかったわね……わたし」
「ええ、それが何よりです」
「それで、現在のΘ係数は?」
「±0.8あたりで安定しています」
「あらそう。一体どうなってるのかしらね。今聞くとそれぐらいの数値は何でもないように思えてくるわ」
「そうですね。現在の状況全般と比較するなら」
「それじゃ、一番の問題は毒性の大気ね。それでネライダ、そのへんのこと、あたしの意識が戻るまでに考えてあるんでしょ。なにかいい案はあって?」
「はい、Ω級中性子星が鍵かと」
「なんですって! 危険極まりないわ。あれはブラックホールみたいなものよ、正気なの !?」
「正気も正気です。酸素は船内設備の電気分解で再生できますが、窒素は生成できませんし、入手方法は今のところそれしかありません。窒素があれば毒性の大気を排出しても、酸素濃度の調整にはそれほど困りません」
「具体的には、どうするつもり?」
「Θ係数を睨みつつ、加速も減速も行わず、適度な距離を保つコースを取るのがよろしいかと」
「なるほどね。Ω級中性子星はわたしたちの敵でもあるけど、味方でもあるというわけね」
「そのとおりです」
「わかったわ。他になにかある?」
「現時点では以上です」
「そう、じゃあ病室に給仕ドロイドを一体よこしてくれる。何もかもあなたにやらせられる状況じゃないことはわかったわ。自室に戻れるまでは当分時間がかかりそうだし。洗浄は問題ないみたいだから、ドロイドにここと自室を行き来させても構わないでしょ?」
「大丈夫です」
「ありがとう、ネライダ。少し休むわ。しばらくはすべてあなたに任せるわ。もっとも、何かあったら遠慮なくいってちょうだい」
そういうと、シレーヌは目を閉じ、すぐに寝息を立てはじめた。




