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Nichts――無  作者: イプシロン
Ⅰ シレーヌ
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#7 ファイター――連携

「船長、そんな状態では無理です」

 ネライダが制止する声が、リストコムにある小さなスピーカーから漏れた。

「無理もなにも……とにかく状況を教えて。――それから、医療ドロイドにダクトテープとヘルメットを持ってこさせて」

「何をするつもりですか?」

「火を消すのよ」

「それはわかっていますが……」

 シレーヌの瞳に蘇りつつある思考の煌めきがあった。

 脳裏には訓練中なんども目にした、いい知れぬ恐怖を呼んだ青い火球がちらついていた。

「ネライダ、CO₂消火器を持ってこさせて」

「それは危険すぎます。消火に成功したとしても、大気の毒性で船長の命が――」

「だから、宇宙服とヘルメットなのよ。――違うわ、これじゃないわ。汚れてないヘルメットよ」

 シレーヌはドロイドが渡そうとしたヘルメットを払い除けた。

「しかし、その体力で宇宙服を着用して中国区画まで到達できるとは――」

「『とは』じゃないの、これは賭けなのよ。間にあっても間にあわなくても危険は変わらない。爆死するか生き残るかなの。きっとあなたにはわからないでしょうね、ネライダ」

「しかし――」

「いいから、指示にしたがって。重力発生装置を切って、区画に向けて気流をつくってちょうだい」

「わかりました。何をしようとしているのか」

 ドロイドは彼女の宇宙服の裂け目を、テープで塞ぎ終えようとしていた。

「ならば念のために、背負い式の酸素ボンベを使ってください。火災の規模からして油断できません。宇宙服の酸素だけでは不十分かと」

「わかったわ」

 綺麗なヘルメットを渡し終えたドロイドが、ボンベの格納庫に向かっていく。

「ネライダ、準備はどう? やることはわかってるわね? やることさえやってくれれば、あとはわたしがなんとかするわ」

 といって、シレーヌはヘルメットを被ると、通信回線を切り替えた。

「ネライダ、聞こえる」

「感度良好です」

「こちらもよ。――酸素、酸素、酸素はまだなの?」

「落ちついてください、船長は過換気症候群ですか?」

「あなた、こんなときによく冗談がいえるわね。まあいいわ、深呼吸が大事なのは確かね」

「冗談半分、本気半分です。わたしは常に冷静です」

「来たわ、ドロイドに装着を手伝わせて」

 こうして、シレーヌは空中を漂いながら中国区画へと向かった。

「ネライダ、もう一度火災の規模と状況、それから突入する扉の番号を教えて」

「大気の流入経路は一応遮断したので、火災は区画内におさまり拡大は防げています。とにかく、突入時がもっとも危険です」

「そうね、突入と同時にCO₂を放射するしかないわ。やりそこねたら火の玉に飲みこまれて、それで終わり」

 シレーヌは消火器に目をやり、操作方法を確認するように頷いた。

「それで、扉の番号は?」

「三番です。間口部が一番大きいのでもっとも危険ですが。ほかの扉は火が近すぎて突入すら困難です」

 彼女は手にしている消火器に無力感を抱いたかのように、もう一度赤く塗られた外装を見やった。

 ――失敗するかもね……。訓練の火災とはわけが違うわ。あんな大口を叩いていまさら逃げ出すわけにもいかない。人生ってこんなものかもね――。

「ネライダ、扉が見えたわ、さあ、開けてちょうだい」

「しばしお待ちを」

「なに? どうしたの?」

「いまそちらに、消火器を持たせたドロイドを二体急行させています。気流と重力の調整にもう少し時間をください。ですが、船長とドロイドのCO₂一斉放射と、こちらでする気流と重力の制御が同期できれば、消火の成功率は格段に上がるかと」

 ネライダがそういい終わるころ、磁力走行で通路を走り寄ってくるドロイドが見えた。

「タイミングは船長にまかせます。秒読みしてください」

「わかったわ、ネライダ」

 シレーヌの左右にドロイドが停止したかと思うと、気流が止まった。

「重力はどうなってるの?」

「船長のいる場所は天井側に、区画内は床側へと作用させています。つまり――」

「わかったわ、CO₂の重さを利用しようというのね」

「そうです。ドロイドは天井で待機させます。船長も磁気靴を使って天井に貼りついてください。――準備ができたら合図をください」

「ネライダ、こっちはいいわ、秒読みをはじめるわ――5秒前、4、3、2、1、0!」

 扉が開くか開かないかのうち、三つの消化器から二酸化炭素が猛然と吹きだされた。

 シレーヌは熱を感じたのか微かに身じろぎしたが、何も見えぬ下へ下へと放射しつづけた。

「船長、成功です。消えました!」

 ネライダの歓喜するような声がシレーヌの耳朶をうった。

 しかし、彼女の目に飛び込んできたのは、壊滅的な損害を被った廃墟のような工場跡だった。

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