#6 シレーヌ――名前
ネライダはすぐにシレーヌの生体情報から意識レベルの異変を感知した。
Θ係数は±0.8と依然安心できる数値ではない。現状なら1Gを超える減速が必要ないと判斷できるだけだった。
シレーヌが制御室にさえいれば、ネライダは様々な医療措置を取ることができた。
声の抑揚から機嫌を推測し、カメラによる映像情報の表情や動作から、感情を読むこともできた。
だが、シレーヌは今、露国区画で宇宙服を着た状態で気絶しており、通話も不可能だった。
それでもネライダはプログラムに沿って、最大限の措置を下した。即座に医療用ドロイドを現場に向かわせた。
船内各所に配置されていた10数台のドロイドが通路を疾駆してゆく。一部のドロイドは区画間にある隔壁扉に阻まれ立ち往生した。
ネライダはその度に電子ロックを解除したが、強烈な加速度で歪んだ扉が開くことはなかった。
幸いだったのは、シレーヌの閉塞感を嫌う性格だった。
それに気づいたネライダは、その日彼女が巡回したルートを洗いだし、ドロイドをそのコースへと導いた。
しばらくして、ドロイドのカメラにシレーヌの姿が捉えられた。
壁面に背中を固定されたまま前かがみに脱力している。
宇宙服の救命システムが、吐瀉物を自動排出したため、床が汚れている。全身スキャンの結果、骨折はなかったが、内臓に相当の負担が加わったことが判明した。左半身に鬱血が見られた。
ネライダは医療ドロイドに指示を送り、できる限りのことをした。しかし、壁面と宇宙服を繋ぐロックを外さない限りそれ以上の処置は不可能だった。それには、シレーヌが意識を回復する必要があった。しかし、覚醒の兆候はまだなかった。
ネライダは強壮剤の投与も思案したが、危険が大きすぎると判断し、待つことにした。
どれくらい経った頃だろうか、宇宙服の腕が動くのをカメラが捉えた。
「船長、船長! 聞こえますか。船長、ネライダです」
統括人工知能は焦燥に駆られたような声で必死に呼びかけていた。
「船長! ネライダです。聞こえたら、宇宙服のロックを解除してください。船長!――」
すでにヘルメットを外されていたシレーヌの口元が動いた。微かに苦悶が吐き出されている。
「シレーヌ!」
懇願するようなネライダの声に気づいたのか、彼女の目に光が戻った。
「あなた……わたしのこと……」
ネライダが彼女の名前を呼んだのは、この時がはじめてだった。
「聞こえていたら、返事をしてください」
「なによ……ネライダ、そんなに喚かなくても聞こえてるわ。ロック……ロックね」
そういうと、シレーヌは腰のあたりにある解除装置に腕を伸ばした。ロックが外れた瞬間、彼女は前のめりに崩折れた。
「気持ち悪い……」
「船長、すぐに吐き気止めと少量の強壮剤を投与します。そのまま仰向けになってじっとしていてください。医療ドロイドに宇宙服のシーリングを破かせますので」
「……」
シレーヌは無言で言われるがままの姿勢になった。
処置をうけ、意識がはっきりしてきたとき彼女は、
「ネライダ、なんだかおかしいわ」
と呟いた。
「なにがですか?」
「風よ、風があるのよ。いつもの空調と違うわ。あなた設定を変えた?」
「いいえ。いつもどおりのはずですが。――待ってください。どうやら中国区画で火災のようです」
「なんですって !?」
「いま原因を探っています」
シレーヌは上体を起こし、左右に大きく頭を振り、かさばった手袋のままの両手で頭を叩いた。
「ネライダ、作業着の胸ポケットが確認できるように、宇宙服を裂いてくれる」
「どういうことですか?」
「いいから指示どおりにして」
医療ドロイドの電磁メスが宇宙服を切り裂き終えると、シレーヌは作業服の胸ポケットをまさぐった。
「やっぱりだわ」
「どうしたんです?」
「電磁波防護ゴーグルがないの。わたし、中国区画に置き忘れてきたのよ」
「それが火災の原因だとでも?――まずいですね……火災が広がりつつあります。船内の気流状態が火勢を増させているようです」
「回頭の加速度でゴーグルが飛んで、ドロイド工場のなかを跳ね回ったのよ、そのせいで……」
「船長、いま原因を究明している時間はないようです。とりあえず、こちらでできる対処をします。しかし、限界があるかもしれません」
「ネライダ、中国区画の隣は米国区画よね……」
彼女は忌まわしげに唇を噛んだ。
「動力部に引火した場合、船が爆発する恐れがあります」
シレーヌは苦痛を滲ませ、ぐらつく足で壁を頼りに立ち上がると、
「わたしが消しにいくわ」
といった。




