#5 ターン――夢
シレーヌは露国区画に着くやいなや、壁面に固定された宇宙服に潜り込んだ。
地球での訓練期間中、吐き気をもよおすほど装着を繰り返しただけに、身体が勝手に反応した。
ヘルメットが自動的に装着されると、視野や自由が奪われていった。だが、リストコムからの音声指示は宇宙服の生命維持装置を作動させ、船内通信を確保していた。
「ネライダ、聞こえる? 装着完了よ」
「わかりました。それでは今から180度回頭と減速を行います。予定方位は――」
「そんな報告はいいわ。どうせわたしにはどこに向かっているのかなんて、わからないんだから。さっさとやってちょうだい。それよりΘ係数が気がかりよ。もっとも通信機器の異常さえ解消されれば、それも問題ないと思うけど。ただ、係数が閾値を超えると送信系統が壊れるわ。そうなれば受信系統だけになって、取り返しのつかないことになるわ」
「そうですね。ではこれより操船を開始します。かなりの遠心加速度が加わりますが、船長の生体情報を監視しながら無理のないように調整はします。しかし、Ω級の中性子星を避けるために完全に安全が確保できるわけではありません。ですが――」
「わかってるわ。死なない程度に頼むわ。あとのことは仕方ない。さあ、急いで」
「了解しました」
《リヒト・スヴィエート号》は船体側面にある噴射口から大量のプラズマを放出し、回頭をはじめた。
――もう少しゆっくり……といってもね……光速に近い0.95cの速度なんだから、どうしたって加速度は抑えられない。ならば短時間で一気にということね――。
シレーヌはそこまで考えるだけで精一杯だった。半身に血液が偏り酷い頭痛に襲われはじめていた。
ネライダは彼女の生体情報を監視し、船内の重力発生装置をフル駆動させ、加速度を極力打ち消しつつ、シレーヌが耐えられる程度を目指した。そこさえ乗りきれば、減速はΘ係数の急激な変動がない限り急ぐ必要はない。そう思考した。
それでも、彼女が気絶するには十分すぎるほど、加速度は凄まじかった。
シレーヌ……シレーヌ……シレーヌ……。
誰かが呼んでいる。
「おーい、シレーヌ!」
知っている声。ヴァルトだ。
「水くさいじゃないか、出発がいつか教えてくれないなんて」
「取り調べ室の刑事みたいに、尋問されたんだ。そのうえ、見送るってきかなくてさ」
ヴァルトの後ろにいるのはルフト? そうだ間違いない。約束を破ったことのない人。わたしの最大の理解者。
「大丈夫よ、セレモニーは賑やかなほうがいいもの」
ああ、懐かしい風景。そして全身をなぶる風。なんて心地いいんだろう。
「ヴァルトは今も本部詰め?」
「ああそうだ。あそこの連中は効率効率で、いささか辟易するがね」
「わたしたちは、その意味でははぐれ者ね。本部からはあまりいい目で見られてないわ」
「ルフト、もしかして君もなのか?」
「そうといえばそうかもだけど、ぼくはいつだってニュートラルだ」
「だからこそ、計画はこの日を迎えられたのよ。ルフトはわたしの守護神よ。――いけない、もう時間だわ。わたし行くわね。ヴァルト、ルフト元気で。もう、会えないかもしれないけど……」
「そうだな……」
「いいや、また会えるさ。大丈夫。ぼくの設計したネライダを信じて」
「それじゃ、行くわね」
ロケットブースターの点火ボタンが点灯する。
全身を揺さぶる振動。轟音。激しい加速度。――純白の閃光。
ネライダの操船によって《リヒト・スヴィエート号》の180度回頭が終わったとき、シレーヌの身体は猛烈な加速度に耐えかねて、胃の中にあったものをすべて吐き出していた。




