#48 ジョナサン――未知
南部同盟連合の全艦隊は、それぞれの根拠地に停泊していた。
戦争など、お伽噺の夢物語だといわんばかりに、艦隊は凍眠したように動かなかった。
それと対をなすように、南軍の諜報部隊の動きは日に日に激しくなった。しかし、影が夜に紛れるように、その行動はかえって見えなくなるばかりだった。
全長数百メートルを誇る戦闘艦が動けば、なにがしかの捜索レーダーにすぐ察知されるが、全長数メートルの小型艇はそうはいかない。
それどころか、宇宙船機能を持たせた宇宙服で情報収集したり、数センチ立方のキューブ衛星や、数ミリ四方のチップ衛星といった極秘装備まで惜しまず投入した甲斐があってか、南軍自身をして驚愕させる情報が集まりはじめていた。
そんな折り、現場とのやりとりだけで疲弊していると思われた、諜報総長のオンブルが、統合軍総長ジョナサンの執務室に姿を見せた。
「どうしたね? その顔色は、オンブル。君の奮闘ぶりには敬意を表すが、倒れてもらっては困るよ」
諜報総長の酷い面やつれは、度を越しているように見えた。
「それに、一緒にいるのは医検総長のイフリートではないかな? まあ、とにかく二人とも座ってくれ」
そのイフリートもオンブルに負けず劣らず、憔悴した顔をしていた。
「軍総長、今日は以前にも増して時間のかかるお話しになるかと思います。わたしも概略は把握しているのですが、なにしろ宇宙生理だの医科検査などはさほど詳しくないもので」
「なるほど、それでイフリート君をというわけだな」
「はあ、そのとおりです」
オンブルの声は蚊の鳴くように弱々しかった。
「では、医検総長から話を聞こうか。なんだったらオンブル君、きみは隣室で休んでもらっても構わんがね」
「いえ、そういう訳にも……まあとにかく、医検総長はじめてくれ」
退役まで軍総長になど会うことはないと考えていたのか、イフリートは緊張した甲高い声で話しだした。
「例の実験艦の件です。諜報部がXと呼んでいる艦のことです」
「まさか、我が軍所属だと北に知れたわけではあるまいな?」
ジョナサンはイフリートから視線を外して、オンブルを刺すようにして見据えた。
「いいえ、それはありません。といいますか、今後どんなことがあっても、実験艦Xが我が軍所属であると判明することは、まずありえません」
「どういうことだね? どうも話が見えなさ過ぎるのだが……」
「端的に申し上げれば、あの艦の乗員は人間ではなくなっていたからです」
オンブルは汚らわしいものに唾を吐くようにいった。
「は? なにをいっているんだね。諜報工作のために乗員を異星人らしき遺体とわざわざ認定したのは君ら諜報部の仕業だろうが。それをいまになってあれは偽装ではなく本当の異星人だといいだすのは、どんな了見だね?」
「すまんがイフリート医検総長、説明してくれ。どうもわたしは上手く説明できない」
そういってオンブルは口を閉じた。
「その実験艦Xの乗員についてですが、どうやら彼らは未知の電磁波らしきものが原因で、全身のDNAが変異し、もはや人間と呼べぬなにかに変わってしまったのです」
ジョナサンは一瞬にして凍りついた。
「軍総長、これを見てください」
オンブルはテーブルの中央にタブレットを置き、映像を次々切り替えながら説明しはじめた。
「実験艦X発見時の艦内は酷い状態でした。あまりにも凄惨だったので、これまで軍総長には直接お見せしなかったのですが、このありさまです」
「……」
「座礁した艦ですから、多少は混乱や損傷があるのは当然なんですが、見ていただいたとおり、これはそれらが原因だとはとてもいえないのです。そして、その原因を突き詰めてみたところ、先に医検総長が説明した理由がもっとも信頼できるというわけです。――ようするにこうです。Xの乗員は未知の電磁波らしきものが原因で、全身のDNAに変異が起こり、互いに殺しあったと思われます。またその変異も一様ではなく、いまだすべてを解明など到底できていません。非常にたくさんの変異ケースがあるんです。しかも、宇宙生理学的にも遺伝生物学や遺伝物理学からしても、ほとんどのケースで変異前後の因果関係の判断はおろか、推測すらつかないのです」
オンブルは肝に居座りつづけていた恐怖を、払いのけるような早口だった。
「例えばそれは、ウイルスや細菌が原因とは考えられんのかね?」
ジョナサンはそういったあと、自分の言葉に震えあがった。
その軍総長に追い打ちをかけるように医検総長がいった。
「もしもそうだとすると、とんでもないことになります。Xの調査隊は南北両軍はもちろん、東西や民間組織まで加わっています。ですから、ウイルスや細菌であった場合、地球はもちろん太陽系全域にそれらがばら撒かれかねません。そうなると、人類は互いに殺しあって絶滅しかねません。つまり、太陽系規模のパンデミックですね。幸いいまのところ、ウイルスや細菌である可能性は非常に低いのです。しかし、これが未知の電磁波であっても、人類にとって疫病神であることはさほど変わりません」
「もっとも危険な電磁波といえば、γ線だったね。中性子星同士の合体によって引き起こされるんだったかな」
ジョナサンは持てる知識を披瀝して、イフリートからの専門的な説明を聞き出したいようだった。
「そうです、その γ 線が現在知られている最強の電磁波です。ほかには高X線やシンクロトロン放射光、核爆発による電磁パルスなどが γ 線を発生させます。身近なものでいえば、電子レンジも電磁波を発生させますし、紫外線もその一種です。しかし、実験艦Xの乗員が浴びたのはどうやらその γ 線とは異なるようなんです。――というのは、γ 線を浴びた場合のDNAの変異は、これまでの知見である程度の予測は可能なのですが、本件はそれらのデータが役に立たない状況です。乗員の遺体から針の先で掻きとったサンプルを、相当数検証した結果です。現在わかっている範囲でいいますと、変異はDNA変異だけではなく、ゲノム変異、全身性遺伝子変異、進行性ゲノム変異といった多岐にわたり、ほとんど手のつけられない範囲の広さです。また、その電磁波らしきものは全身に異変を生じさせますが、多くの場合はトレードオフです。思考が急速に高まる代わりに、身体能力が低くなったり、精神的な暴力性が増す代わりに肉体は衰えるといった症状が多く見られます。また、発見された乗員の遺体といっていいのかわかりませんが、それらはどういうわけか微細に粉砕されていたり、あるいは食い尽くされていました。ですから、形を留めた状態で発見された遺体が、異星人らしきものの遺体とされたわけです。それが、実験艦X内で最後まで生き残った個体と思われます。これはほぼ完全な球形であり、物理的にもっとも強く安定した形状に変異したと、考えられるのです。――しかも、医検総局のなかには、異星人らしきものの遺体を遺体としていいのか? という者もおりまして……」
「なんだって !? どういうことだ! イフリート」
その話を耳にしていなかったのか、オンブルは怒りと驚愕をほとばらせた。
「クマムシがその例です。――我々の観点でいう仮死状態にあるのではというのです。絶対零度や有害な電磁波などの極限に耐え、環境が整えば生きかえる可能性があるというのです……。しかしそうなると、生とはなんであって、死とはなんであるかという哲学的な問題になりまして……」
オンブルもイフリートも自分たちが如何なる事態に遭遇しているのか、理解できないまま説明しているようだった。
それは、ジョナサンも変わらなかったのか、見当違いといえるような質問をした。
「我々が進出した宇宙の範囲で、もっとも多くの γ 線を放射しているのはどの星だね」
オンブルは躊躇することなく答えた。
「Ω級中性子星です」
「それは確か、"LS"が接近したことのある星だね」
「……」
諜報総長も医検総長も、ジョナサンのいわんとしていることを推し量れないようだった。
「その未知の電磁波を仮にδ線とするなら、そのような電磁波が降り注ぐ原因は他に考えられんのかね? 例えば我々にとって未知の次元から断続的に現れては消えるといったような?……」
質問に答えたのはオンブルだった。
「ありえないとはいえません。四次元以上から気まぐれといいますか、散発的に δ 線が降り注いでは止まるといったことは、ないとはいえません。しかし、その場合我々はあまりに無力かと。四次元以上は今のところ概念や数学でしか扱えませんから……」
「なるほど。イフリート君も同意見かね?」
「ええ、概ね諜報総長に同意します。しかし、それ以前に 現在の我々の科学をもってしても、δ 線が観測できるとは思えません。なぜなら、簡単にいえば現在の物理学では、そのような未知の電磁波は存在していないからです。もし観測されれば、電磁波そのものの分類だけではなく、エネルギー保存や量子論を含めた現在の物理体系を見直す必要があります。ですから、δ 線が現在までに観測されていない以上、それは未知とはいえるわけです。――とはいえ、わたしは物理の専門ではありませんが、医学的にも γ 線ですら説明がつかないわけでして……」
イフリートのものいいも歯切れが悪かった。
「では δ 線が仮にあったとしても、現在においてはそれは他のなにか、例えば熱やエネルギーとして観測されていて、それが δ 線に遷移するということになるね。だが、そうであればなお厄介だろう。――いや、そもそもそんなことはありえんだろう。電磁波も熱もエネルギーの一形態にすぎない。我々は核分裂や核融合によって、莫大なエネルギーを扱う術を得てきたが、未知の電磁波が観測できるということは、それを発生させる太陽やそれ以上の巨大なエネルギー源が、どこかに存在するということになるかね?」
「はい、それで大体よろしいかと」
イフリートはさらなる補足は必要ないというように合意した。
「なるほど。――それで、諜報総長。"LS"とルフト博士に関する件はどうなったかね? "LS"の捜索と、できる限り北の破壊工作から保護する件。それと、"LS"への可能な範囲での機密情報の送信。――ルフト博士の件は進展はあったかね? 捜索後可能であれば身柄を保護するというあれは?」
「それが……どちらもさっぱりでして……」
オンブルは魂が抜けたような声で返答した。
「わかった。おおよそのことは理解したつもりだ。すまんがこの資料は預からしてもらって構わんね?」
「もちろんです」
二人は即座に返答した。
それから、ジョナサンは医検総長に目を向けてからいった。
「イフリート君、なにかいい忘れたことはないね?」
「あるといえばあるような気がしますが、わたしもかなり混乱しておりまして……」
「それはそうだろう。――二人ともこれで、いったん下がってくれ。なにかあったら緊急電を入れるから、回線だけは開けておいてくれたまえ」
ジョナサンは二人が退席してから、貪るように何度も資料に目をとおした。
「こういうときは、医学界や物理学界こそが本丸だが、そうなると研究の際に情報を共有され、いずれは北の知るところとなる。兵器になど転用されようものなら……。そして、Ω級中性子星に"LS"……宇宙機構か……。どうやら、こいつをネタに取引きをするしか手は残されていないようだな」
そう意を決した統合軍総長のジョナサンは、国際宇宙機構とつながる外線電話の受話器を手に取った。




