#46 テライダ――三叉路
エポラールとルフトの七十年あまりの長い歳月と、カルハリアスの物語を少しだけ受けとめたエイミーとリッキーは、翌日ルフトのもとを訪れた。
二人は施設内にほとんど人影を見かけなかった。
殺菌消毒のエリアを抜けるより早く、エイミーとリッキーはそのことに気づいた。
「お婆ちゃん。もしかしてここ、全部一人で切り回してるの?」
「そうともいえるが、そうともいえない。――まだ話してなかったけど、ここはルフトが残したものだらけさ。例えばあれ」
エポラールは、三人を追い抜いていった白い医療用ドロイドを指さした。
「あれはルフト作。そのドロイドやこの設備を統括している人工知能、テライダっていうのもルフトの手になるものさ。皮肉ないいかたになるけど、あの人はいま自分が作ったものに守られてるってわけさ」
「でもそんなこと、宇宙機構の機密資料にさえなかったけど?」
口数が普段の半分ほどになっていたエイミーが疑問を呈した。
「宇宙機構にいたから、比較的ドロイドは見慣れてるはずなんだけど、誰かのお見舞いで病院にいくと、いまだって白衣を着た人が駆け回ってる印象なのよね。――誰かがいってたあれね。『多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない』というやつかな……」
「古々代人のユリウス・カエサルの言葉ですね」
「さすがリッキー。いつ誰がいったかすぐいえちゃう記憶力。見習わなきゃだわ」
二人は少しだけ普段の話しぶりを垣間見せた。
「しかしあれだね、リッキー。あんたがドロイドやテライダのことを知らないってんなら、あんたの亭主はなかなかできる男だねえ。知らないわけがないからね」
エポラールはリッキーの反応を窺うようにいった。
「ディッキーは仕事についてほとんどなにも話さないんです。――なので、エイミーの方が余程いろいろ知っています」
「だとすると、今回の件へのあんたの亭主の判断の裏にはなにかあるね。――ああ、すまないね。別に勘ぐるつもりはないよ。こういうのが癖になっててね。悪く思わないでおくれ。――さあもう着くよ」
集中治療室の両開きの扉の上にある表示ランプが、橙から黄、黄から緑に変わって殺菌消毒が済んだことを知らせた。
治療室のなかを何体ものドロイドが忙しそうに動き回っているのが、目に飛びこんできた。
「そんでこれが、そのテライダさ」
エポラールが示した先には、大地から湧きあがってきたかのような大きな半球形の物体が、透明のシールドに守られて鎮座していた。
「なんでも、天井に据えつけるのが理想らしいんだけど、ここの場合整備を考えてこうしたらしい。もっともあたしにゃあ、よくはわからんことばかりさ。ぜんぶルフトがやってくれたし、この子は自分で自分の面倒を見るから心配する必要がない。――で、このシールドはさ」
といってエポラールはそれがまるでルフト本人であるかのように、愛おしそうに触れた。
「テライダを守ってるんだそうだ。電子機器ってのは塵や埃が大敵で冷却に手間がかかるらしい。だからシールドで囲って清潔な空気で冷やしてるんだとか。――エイミー、話しかけてごらんよ。ちゃあんと答えるから。なかなかの美声だよ」
エイミーはときどき孔雀の目のような模様を浮かびあがらせ、その目の数が増えたり減ったり大きかったり小さかったりするそれを、しばらく無言で見つめたあと、
「こんにちは」
といった。
「こんにちは。初めて聞く声ですね。わたしはテライダ。あなたは、エポラールの友人ですか? どちらからいらしたんですか?」
「見た目とぜんぜん違うのね。抑揚が自然で人間と変わらない……」
エイミーは素直に驚きを口にした。
「まあこの子とはその気になれば幾らでも話せるから、ルフトんとこへ行こうか。――けどね、リッキーあんたは来んでええよ」
「なんでよ、お婆ちゃん?」
「あんたそもそもルフトとは面識さえないじゃろう。ルフトもあんたを知らん。そうだよね? そら気持ちはありがたいもんだけど、知りもしない同士でお見舞いもないだろうさ。――だからあんたは昨日いったように、検査を受けておいで」
「でも、それでは主人の使いとしてきた意味がなくなります」
「さあそれはどうかな。実はさ……随分前からあんたの亭主に相談されてたことがあるんだ。子どもができないことでね」
「……」
「だからさっきいったじゃないかい。『亭主の判断の裏にはなにかある』とね。検査室はまっすぐいって左。ルフトは右の部屋で寝とる。あの人と会うのはエイミーだけで十分だろう。この子はルフトといろいろあったみたいだからねえ」
エポラールは少し意地悪そうな目でエイミーに視線を落とした。
「検査が早く終わったならルフトに会えばいい。なにも会うなといってるわけじゃない。物事には順序があるっていってるだけさ」
「わかりました。ご好意ありがたく承ります」
リッキーが軽く会釈したあと、三人は広い室内をまっすぐ歩きはじめた。
「テライダ、いまの話は聞いてたね? リッキーの婦人科検査を徹底的にやっておくれ。――あんたはテライダとドロイドのいうことを良く聞いてね。べつに怖くもないし、痛くも痒くもないはずだから」
部屋の壁がその先はないと告げる場所に置かれた、一台の長椅子がある前までくると、エポラールは左にある検査室にリッキーを送りだした。
「さあエイミー、つぎはあんたの番だ。一人でいっといで」
「え……なんでよ? お婆ちゃん」
「いいからお行きよ。あたしはここで待ってるから」
といいながらエポラールは長椅子に腰掛けた。
「あんたがルフトに抱いてるあれこれを残らず話しておいで。人間なんてのはさ、誰かがいると意地になったり虚勢を張ったりするもんだ。さあさ、お行き」
「お婆ちゃん……どうしてそんなに優しくするのよ? らしくない……」
「馬鹿だねこの子は、ルフトに会うまえに涙を枯らす気かい? さあさ、行っておいで」
エイミーはなにもいい返さずに部屋のなかに消えていった。
繰り返される規則的な空調音と、電子機器がたてる微かなノイズに満たされ、時間の止まったような部屋で、エポラールは虚空を見つめていた。
「なんだか宇宙船のなかにいるみたいだね。もっともあたしは本物に乗ったこたあないけど。――シレーヌ、あんたもこんな気持で天井を見つめてルフトのことを思ってるんだろうか?……。なんだか心寂しいね。これでよかったのかねえ……?」
エポラールが一人呟いた声に答えたものはいなかった。
「お婆ちゃん……」
治療室から姿を見せたエイミーの頬には泣き濡れた痕があった。
「ルフトさんの容体って――」
「エイミー、おやめ。なんとか症だのなんとか状態だとかいってなんになるんだい。やめとき。――あんたがその目で見て、あんたがその耳で聞いて、あんたがその手で触れ、あんたがその口で話しかけたことがすべてじゃよ。それ以外を言葉にしたところで虚しくなるだけさ。やめとき」
「お婆ちゃん」
エイミーはエポラールに抱きついてまた啜り泣いた。
そのとき、リッキーの検査結果が、左にある部屋の外に備え付けられた表示盤インターフェースに現れた。
エポラールは孫娘を抱きかかえながら、文字と図表を追いはじめた。
「これはあんまりよろしくないね……」
「なに? どうしたの?」
「エイミー、あんたは見るんじゃない。見ちゃいけないよ」
「リッキーになにかあったの?」
「いいから、見るんじゃない」
エポラールは強引にエイミーの頭を自分の胸に掻き抱いた。
検査結果は残酷な事実を知らせていた。
リッキーには、子宮をはじめ全身にわたる原因不明の遺伝的変異の兆候が認められたのだ。
そして、集中治療室のベッドに横たわるルフトの胸では、テライダを思わせる水晶が、孔雀の目のような模様を揺蕩わせながら息づいていた。




