#45 エポラール――横顔
エポラールが電話で紅茶を注文してしばらくすると、氷がぶつかりあう音とともにカルハリアスが姿を見せた。
「冷めても美味しいリゼです。わたしがお勧めして、ルフトさんが長いこと嗜まれてきた銘柄です。さあ、どうぞ」
「なんだいなんだい、カール。そんな湿っぽい声で湿っぽいこといって。あんた一人にしとくとすぐにルフトのことを思いだして、沈んだ顔をしだす。いまあの人はきっといい夢を見てるさ。人間、そういう時間があったっていいじゃないか。まああの人は起きてても夢ばっか見てたタイプだけど。――それはともかく、いいからあんたも座って話しに加わり」
「じゃあ、この方がカルハリアスさんですね」
そういわれた瞬間、元使用人は目を見開いてエイミーに視線を注いだ。
「なぜ、わたしの名前を知ってるんですか?」
「だからいったじゃないかい。自分は孤独だなんて思ってても、自分の知らないところで案外知られてるもんだって。いいからお座りよ」
「はあ……」
「わたし、リッキーです。ルフトさんの知りあいのヴァルトの息子の妻です。――すみません、わかりづらい挨拶で……つまり、ヴァルトは義理の父になります」
カルハリアスは、状況もわからぬまま腰をおろした。
「それからこの黒髪のほうがエイミー。あたしの孫娘だよ。カール、前に少し話したろ?」
「ああ……あのできの悪い……」
カルハリアスは自分がなにをいったかすぐ気づいて口を閉じた。
「ちょっとお婆ちゃん、この方になにを話したのよ。まあいいけど……。でもいまので、カルハリアスさんがルフトさんをどんなに思ってるかは、感じとれたわ。なんだか気の毒で見ていられないわ……。わたしも随分泣いたけど」
エイミーは優しい目で項垂れているカルハリアスを見つめた。
「この人はさ、無口で、人から聞いたことは素直に信じるほうみたいでね。でも、運が良かったんだろうね。ルフトと知りあって、長いこと一緒に暮らしたから、もともとの素直さに磨きがかかったらしい。――口下手で、理屈をこねるのは滅法苦手。でも、人生を物語として見られる才能はあるみたいだけど……」
エポラールは、俯いて前かがみになり丸まったカルハリアスの背中を、ぽんぽんと叩きながらいった。
「それで、エイミー、リッキー、なにを聞きたいんだね?」
「まずなによりルフトさんの容体よ、お婆ちゃん」
「なんだい、あんたそんなことを聞きにここまで来たのかい? 馬鹿らしい……」
「馬鹿らしくなんかないわ! わたしルフトさんといろいろあって、もしかするとわたしが原因で追い詰めたんじゃないかって……。病気になって倒れたのも失踪騒ぎになったのも、わたしのせいなんじゃないかって……」
エポラールは、手にしていたアイスティーのグラスをテーブルに置いて、冷たい声でいった。
「自分勝手な小娘だね。その程度のことで見舞いにくるなんて。具合が悪いと聞いてそそくさと見舞いに行く連中と、なにも変わらないじゃないかい。そんなことならいますぐお帰り。さっさとここを出ておいき」
「冗談じゃないわ! 責任を感じたから出来ることがあったらしたいのよ。それに、お婆ちゃんは知ってるかわからないけど、ルフトさん色んな人に付け狙われてた面があって、アラバマからここまでわたしたち隠密行動を取ってきたのよ。本当は飛行機ですぐにでも駆けつけたかった。なのにそれも許されない状況だった。そういうこと少しはわかってよ!」
「……」
リッキーはエポラールから見えないところで、激情に駆られたエイミーの手を握って、首を横に振った。
「エイミー、あんた幾つになったね?」
「三十よ」
「だったらあんた自身、それまで生きてきたあれこれがあるだろう。あんたあれかい、そういう三十年を知りもしないで、具合が悪いというだけで見舞いにこられて嬉しいのかい? ええ、どうなんだね?」
「きっと、嬉しくないわ……」
「だったら、あたしのいったことはわかろう? ルフトに会うならあの人のことを知ったうえで話しかけてやってほしい。……もっともあの人が聞いてるのかどうかすらわからんがね」
カルハリアスが啜り泣きしはじめた。
「それどういうことなの? ねえお婆ちゃん、はっきりいってよ!」
「あたしは医者じゃないんだよ。いまので大体わかるだろう」
エポラールは泣きつづける元使用人の背中を擦りながら、静かにいった。
そのとき、リッキーが身をのりだすようにしていった。
「教えてください、ルフトさんの過去を。そして、できましたらエポラールさん、あなたの過去も教えてください。わたしにできるかどうかはわかりません。でも、必死に受けとめます」
「リッキーとかいったね。あんたは少しは物事わかるみたいだね。ヴァルトと違って。――ってことは、息子は親父に似なかったということかねえ……」
エポラールはテーブルに置かれた湯煎ポットを手に取ると、紅茶を淹れてから話しはじめた。
「勘違いされたくないからはじめにいっておくけど、あたしはもうヴァルトのことを恨んではいないよ。あの人と別れてから随分荒んだ時期もあったけどさ。酒と男に溺れてね。昼も夜もわからなくなるぐらい飲んだくれて、男であれば誰とでも何処でも寝てさ。思いだすだけであの頃の自分には反吐がでる。そうして、どこの誰の胤かもわからないで生んだのが、あんたの母さんエラステーだよ。――どういうわけか、あの子はあたしと違って平凡でそれほど欲深くもない。でもエイミー、あんたはそうじゃない。その鼻っ柱の強さはあたしに似たのかね? 隔世遺伝なのかなんなのかしらないけど、昔の自分を見てるようで、そっとしておけなかったんだよ」
エポラールはしゅんとして俯いたまま聞いているエイミーをじっと見つめた。
「お婆ちゃん……。だからわたしが小さかった頃からあんなに厳しかったんだ……」
「そうだね。――なににしても、子どもも孫も可愛かった。あたしが立ち直れたのは娘のおかげさ。これで大体、あたしの身の上話は終わりさ」
そういってエポラールはもう一度エイミーに視線を落とした。
「あたしが、ヴァルトやルフト、それにシレーヌと一緒だった時期はそう長くなかった。あたしが二十歳、ヴァルトが二十二歳。ルフトとシレーヌは十七歳だったね。大学の頃の話さ。――大学を卒業した四人は揃って宇宙機構に入った。それが、あたしとヴァルトを引き裂くなんてあの頃は思いもしなかったけどね。短くもあり長くもあった三年だった」
「お二人はどうして別の道をゆくことになったんですか?」
リッキーはぴくりともしないで話しに耳を傾け、ぴくりともしないで質問した。
「意見の相違だね。ルフトたちの選択に対する意見の相違さ。ルフトは地球に残ってサポートしながらシレーヌを見守る。シレーヌは二人の夢を叶えるために、一人宇宙船に乗ってどこまでも旅をする。あたしからすれば、馬鹿げた話にしか聞こえなかったさ。――ヴァルトは二人が同じ夢を追っていれば、一緒にいられなくてもいいといった。でも、あたしはそうは思わなかった。夢なんて叶うか叶わないかわからないものを追いかけるより、ずっと傍にいることが大事だといった。随分激しい喧嘩をして、それでご破産。その後あたしがどうなったかはさっき話したとおり。それで、ヴァルトはどうなったかというと、宇宙機構の頂点まで昇った。嫉妬しなかったかといえば嘘になる。あたしだって宇宙に生きて宇宙に死のうって気持ちはあったからね。だけどあたしは、ルフトとシレーヌとはずっと上手くやってきた。もっともシレーヌはルフトにぞっこんで、宇宙からあたしメッセージなんてそれほど寄越さなかったがね。――それで、ルフトが隠居してコロラドを選んだから、あたしは三ブロック先に引っ越した。――もっともその頃になってもあたしは、ルフトが知らない秘密を抱えて宇宙への夢を繋いでたのさ。その証拠のひとつがこのシェルターと、ここに併設されてる医療設備さ。いまルフトが眠っている集中治療室もそれだよ」
「でも、この頑丈そうなシェルターや医療設備をどうやって作られたんですか? どうして作ろう思ったんですか? ……もちろん、都合が悪いなら話してくださらなくても構いませんが」
「太陽系連盟さ。ヴァルトはああいう性格だったから、北や南に取り入って頂点に昇った面もあった。違う角度から見ればそれで宇宙機構を育てたともいえる。だけど、最後にはその軍に足をすくわれかかった。こっから先はあんたも知ってるんじゃないかい、リッキー? Jr.はその点で随分苦労したろうよ。父親の面子を潰すわけにもいかないからね。滅多にあたしんとこには顔も出さなかったけど、何度か会いにきて相談されたよ。だから、あんたのこともまったく知らないでもなかった。もっとも噂話程度だったがね。――ああ、話がずれちまったね。つまり、あたしは太陽系連盟を頼ったというわけさ。今も昔もあそこは平和主義だからね。宇宙で夢を叶えるったって、地上で夢を叶えるったって、結局、馬鹿どもの起こす戦争でもはじまればすべて水の泡。あたしはそう考えた。――とにかく、父無し子だったけど、娘が可愛くてね。だからどんなことをしてもこの子を守ろうと思って、宇宙機構に居たときの伝手を頼って政治的な面で娘を守ってきたつもりだよ。その娘が生んだ孫が可愛くないはずがあるかい? え? リッキー? ――ところであんた、子どもは?」
「それが残念ながらまだなんです。夫もわたしも欲しがってきたんですが、どういうわけか妊娠しないんです」
「検査は? あんた幾つだい?」
「受けたような受けないような……四十歳になります」
リッキーはあいまいな返事をしながら顔を赤らめた。
「なんならここの設備で受けていってもいいよ。あんまり時間もないようだしね。――まあ、ああいう組織のなかにいると、あれこれや喧しい目があるからねえ。気がつかないうちに神経がすり減って、身体にもストレスが溜まるんだろうさ。まあ、あたしの娘みたいに旦那さえいればそれでいいなんて変わった人間もいるがね。それでも、さっきの様子じゃ、あの子はエイミーなしでは生きられんじゃろうねえ」
そのエイミーはひっそりと涙に暮れていた。すでにハンカチは濡れそぼり、カルハリアスが差しだしたタオルで顔を擦るようにして涙を拭っていた。
「ルフトとシレーヌのことも同じ。離れ離れになっても守ってやりたかった。それだけなんだわさ」
「なるほど、それでルフトさんをここに」
「でも、誰よりも早く連絡をくれたのは、このカールさ。だけど、この人ももののわからん人でね。泣いてばっかりいるのさ。あんたもだよ、エイミー。――意地を張ってないでこっちへおいで」
エイミーはいわれるままにエポラールの横に腰かけた。
「カール。あんたグリムの『鼠と猫のいっしょの暮らし』は知ってるね?」
カルハリアスは何度も頷いた。
「鼠は最後にどうなるんだね? え?」
「猫に食われて死にます」
それだけいうとカルハリアスは、声をあげておいおい泣きはじめ、エイミーが握っているタオルの反対端で涙を拭いはじめた。
「カール、物語には見えない先ってのがあってね。いいかい、鼠も猫も自分の性分に生きただけなんだよ。宇宙の摂理に逆らわずにそのまま生きてそのまま死んでいっただけさ。なにを悲しむことがあるね? ルフトもシレーヌもまた同じだよ。随分長生きの鼠だけどね。それに、いまのところあたしが猫に見つからないようにしてるじゃないかい?」
そういってエポラールは微笑みながらリッキーに目を向けた。
「あんたも、子どもを生むのが自然なことじゃないのかい? 頭で考えるのと心が感じるのは違うよ。どうしてもと思えば、いまの時代いろんな方法があるんだから、あんたとJr.さえよければあたしはいくらでも力を貸すよ。とはいえ、あたしも先はそう長くないだろうから、時間はそう多く残されてないだろうがね。――子どもは可愛いもんだよ。もしあんたに子どもができてその愛らしさに溺れて、あたしの後を継ぎたいといいだしたら、このシェルターやらなんやら、それに太陽系連盟との繋がりもみんなくれてやってもいい。――まあ、こんな話しを急にされて『はいそうですか』なんてわけにはいかないだろうけどねえ」
時間を止めてしまうような感覚を起こさせたエポラールの話はまだまだつづいた。そして、彼女は最後にこういった。
「ルフトにシレーヌを会わせてやれそうもないのが、残念でしかたがない」
そのエポラールの皺だらけの指では、ヴァルトJr.ことディッキーがしているのにそっくりな、カレッジリングが光りを照り返していた。




