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Nichts――無  作者: イプシロン
Ⅳ それぞれの道
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43/55

#43 ファミリー――団欒

 エイミーとリッキーを乗せた超電導車は、テキサスに細長く食い込んだオクラホマを抜け、コロラドに入った。

 すると、すぐにエイミーの携帯電話が鳴った。

「もしもし。――あら、お母さん。珍しいじゃない。なにかあったの?」

 ――いや、なにもないんだけどさ、久しぶりにあなたの声が聴きたくなってね。

 エイミーは普段と違う母親の様子にすぐに気づいた。

「父さんさえいれば満足してるのに、なになに? わたしにお強請(ねだ)りとかあるの?」

 エイミーの口調はいつもと変わらなかったが、なにかを疑うように耳を傾けていた。

 ――いえね、えっと、なんだっけ……いおうとしてたこと忘れちゃった。

 母からの電話は、祖母エポラールからの伝言を取り次ぐためだった。

 ――とりあえず両親の自宅に来い。

 たったそれだけだった。

 電話を切ったエイミーは、

「さて、それではもう道もわかるので、わたしが運転しますかね」

 といって自動運転中だった車を止めた。

「じゃあわたしも」

 リッキーが広々としたラウンジの席を立とうとした。

「リッキーは後ろでゆっくりしててください」

「いえ、あの……この五日間ずっとあなたと一緒にいたからかな……離れると寂しい気がしてね」

「ええー、そんなこといわれたら、わたし感動して手が震えて事故っちゃいますよ」

 エイミーは満面の笑みで冗談をいった。

「でも、助手席は狭いですよ」

「大丈夫、ときには狭いほうが安心する場合もあるしね」

「では、どうぞ」

 といってエイミーは車を回りこんで助手席のドアを開けた。

「ありがとう」

「あーあ、こんなでれでれしてるのディッキーに見られたら、お説教されそうね」

 そういいながら、エイミーが運転席に座ると、超電導車は音もなく静かに走りだした。

 その日の午後、二人は出迎えをうけて両親宅に腰を落ちつけた。

「いらっしゃいませ。娘がいつもお世話になっています」

 常識的な挨拶をしたのは、エイミーの母エラステーだった。

「遠くから大変でしたね。今夜はゆっくり休んでください。部屋はたくさんありますので、気に入ったのを使ってください。わたし、夕食の献立をもう考えましたよ。中国料理はいける口ですか? 苦手なものがあればいってくれれば、うまいことできますので、ご遠慮なく」

 口数の多さから、エイミーはもしや父親似ではと思わせたのは、サムだった。

 陽射しが傾き橙色に染まっていくのにあわせるように、四人の会話は温かみを増していった。だが、エイミーの両親は祖母やルフトの話しにはまったく触れようとしなかった。

 太陽が沈み夜になっても、まだ姿を見せぬ祖母と普段と変わらぬ両親の振るまいに我慢ならなかったのか、エイミーは懸案の事項に触れた。

「ねえ、母さん。お婆ちゃんは伝言だけして、今日はこないつもりなのかな?」

 リビングのソファーでむかいあって話していたエラステーは、エイミーの横に座りなおすと、囁き声でいった。

「父さんこういうの苦手なの……。だから、その話はサムが寝てからにして欲しいの。あなたも知ってるとおり、あの人は冷酷でも悪い人でもない。ただ、表立ったことが苦手なだけ。キッチンに立って得意の料理をしてれば機嫌がいい。そういうわけじゃなくて、ちゃんと知ってるの。でも、それを口に出したくない人なの」

 エイミーは母に応じるように囁き声でエラステーにいった。

「縁起かつぎのところあるからね、父さん。明るい話となると口に羽が生えたようになるけど、そうでないと亀のように手足どころか頭まで隠すもんね。ちゃんと聞いてるの? って何度思ったことか」

「エイミーそうじゃないの。あの人はちゃんとわかってる。それに為すべきこともする。確かに、明るいことをいってれば悪運は逃げてくだろうと思ってるように見えるとこはある。でもそうじゃない。――エイミー、あなた憶えてないだろうけど、幼稚園の年長だったころ……五歳だったかな? 虐めにあって擦り傷やたんこぶを作って泣いて帰ってきたことがあったの。そのとき、わたしはおろおろするだけで、なにもできなかった。でも、父さんが全部やってくれたの。虐めた相手を罵ったり責めたりしないでね。だからいまだって、お店も繁盛してる。お客さんにクレームつけられても怒ったこと見たことないの、母さん。『そうですか? じゃあこれとこれをこうして、ほらこうすればお口にあうでしょう?』なんていって、納得させちゃうの。お客さんに『そうはいっても、もう腹が一杯でね……』と返されれば、『じゃあまた今度いらして試してみてください。是非にも!』なんていって、納得させちゃうの。――父さんがそんなだから、わたしだってあなただって救われてきたとはいえるのよ」

「でもそれは、コロラドの狭い範囲だけじゃない? わたしみたいに国際って看板背負うと、父さんみたいなやり方じゃ、どうにもならないことがあるのよ。まあいいわ。お婆ちゃんの件は、父さんが寝てからにするわ」

 エイミーが仕方なく納得したころ、そのサムが楽しそうに料理を運んできた。

「じゃんじゃやーん! 久しぶりに腕を振るいましたよ。でもまずはこれ。さあ皆さん、席について!」

 サムは、どこの家庭にでもありそうな平凡なトレーに食前酒と前菜を乗せて、陽気そうだった。

 それからというもの、食器が空になるごとにひっきりなしに料理が運ばれてきた。

 スープカップが空くと魚料理が現れたあと氷菓子、そしてメインの肉料理が平らげられると、サラダと食後のチーズ、そしてフルーツにお茶という順番だった。

「ねえこれ、パパ流のフルコースよね? お腹が至福のメロディーを奏でてるわ。どうしよう、これ以上太ったら!」

 エイミーは以前とは比較にならないほど上達したサムの腕前に舌鼓をうった。

「いうなれば、サムさん仕立ての宮廷料理、満漢全席(マンカンゼンセキ)ですね」

 リッキーはそういってサムのおもてなしが、中国最高級のフルコースに沿っているのを、それとなく伝えようとした。

 エイミーはそれを耳にしてようやく母のいっていたことが、腑に落ちたようだった。

「フカヒレとか、アワビとか、ツバメの巣とか、とても希少なんでしょ? 父さんどうやって手にいれたの?」

「んふふー」

 サム自身はたくさん味見をしたためか、あるいは先に腹ごしらえしたのか、一口も料理に手をつけず、なにもいわずに笑って、

「エイミー、あしたの朝は家庭料理だよ」

 と照れくさそうにいうと、食器を片付けるためにキッチンに姿を消してしまった。

「ご主人はいつもあんな感じなんですか?」

 リッキーが感心したようにエラステーに聞いた。

「好きなことをやってるときが一番あの人らしいんです。けど、ときどき迷惑に感じることも、なくはないです」

「でも、母さんの普洱(プーアル)茶も負けてないんじゃなくて? 久しぶりに飲んだけど、前よりすっきりする感じがするけど?」

「これ、もしかして少し茉莉花(ジャスミン)を混ぜてませんか?」

 リッキーはティーカップから口を離して香りを味わいながらいった。

「わたし、お茶とお花が趣味でして。あとはなんにもできないんです。どういうわけかそっち方面にはあの人、まるっきり手も口も出さないんです。茶葉もお花も料理に使うことあるのに、おかしな人ですよね」

 エラステーの視線の先には、青空色の敷布さえ霞ませるように、薄紫に咲き誇っているアガパンサスがあった。

「茉莉花もそんなことで……」

 いいながら、エラステーはキッチンからしてくる物音に耳を澄ましていたのか、娘にそっと視線を向け、

「エイミー」

 とだけいって頷いた。

 頷き返したエイミーがリッキーに目配せを送ると、三人は示しあわせたかのように立ち上がった。

 そうして、エイミーとリッキーはエラステーに案内され、キッチンの反対側にある園芸用の部屋へと向かった。

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