#42 トライアンフ――凱旋
シレーヌは淡い水色の病衣の裾を波打たせて、フェーを探して当てもなく彷徨っていた。
生体信号を受信し解析していたネライダは、シレーヌの居場所はつねに掌握していたが、フェーの居場所や生体信号はまったく掴めていなかった。
ネライダは考え、戸惑い、実行した。
これまでに得たフェーの生体信号を船内地図にマッピングさせ、彼女が頻繁に行った場所を統計的に算出しはじめた。
その結果は、驚くべき、恐るべきものだった。
中国区画の周辺――。
ネライダは念のために、船内に残る危険を数値で確認した。
――Θ係数±2.3は、現在検討すべき項目外。火災による残留熱は100%赤外線放射を完了。有毒大気の95%は排出、ないし中和に成功。毒物の化学組成の判明率は97%。宇宙線レベルは規定範囲内。ドロイド工場ならびに科学プラントの復旧率は10%。
ネライダは統計データが間違っていればいいと考えたが、数瞬でそれを翻した。
船内でもっとも危険なのは、中国区画で間違いない。
そして、フェーはおそらくそこにいると結論づけた。
「シレーヌ船長! フェーがどのあたりにいるのか推理できました! 船長、聞こえていますか !? 聞こえていたら返事をしてください! 船長! シレーヌ!」
ネライダの叫び声は船長室に置かれたままのリストコムを、虚しく震わせただけだった。
狭い通路にしゃがみこみ、古ぼけた立体音像ブックを胸に大事そうに抱えたフェーは、飽きることなく扉を叩いては歌を聞き、また扉を叩いては歌を聞いている。
「ねんねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……だあれ? にゃまえがわからぬ、あにゃたはだあれ? ねんねえ……」
一方、シレーヌはそんなフェーを勘を頼りに探し歩いていた。
全身から湧きあがってくる倦怠感と軽い目眩、そして吐き気。
ときどき立ち止まっては壁に手をつき、我慢ならなくなって吐いた。色白の顔が蒼白に染まり、やつれてゆく。
それでもシレーヌは立ちあがって歩きながら呼びかけつづけた。
「フェー、フェー、どこにいるの? あんまりママを困らせないで……。ねえフェー、フェーったら、どこよ? ママは病気で追いかけっこできないの。だから出てきて姿を見せて!」
ネライダはその声を聞くことはできなかったが、いつまで呼びかけていても仕方がないと判断し、次善策を取った。現在稼働中の全船内ドロイドを、中国区画とシレーヌのいる場所に向かわせた。
三分の二をフェーの捜索に、三分の一をシレーヌの手助けにと振り分けた。
ネライダはドロイドの数の少なさと、ドロイド工場と科学プラントの復旧率10%の低さに、歯噛みするように指令を飛ばした。
星を散りばめた宇宙の海に目を転じれば、白い鯨を追跡してくる黒い鯱との距離は確実に詰まっていた。
黒い鯱は偽装が加速を鈍らせるのか、もはやそんなものは不要と割り切ったのか、いまではその姿を星の海に隠していなかった。船体のあちこちに搭載されている火砲だろうか、それらが薄気味悪く動いていた。
フェーは変わらず扉を叩いている。
「ねんねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……まーま? にゃまえがわからぬ、あにゃたはだあれ? ねんねえ……」
それから、立体音像ブックのボタンが押される。
膝と手をついて床にへたり込んでいたシレーヌは、どこからか歌が聞こえるのに気づいた。
気力だけを頼りに立ち上がった彼女は、それがあの歌だとすぐにわかった。
しかし、頭は朦朧とし微かにする耳鳴りのせいで、音のする方向が掴み辛い。
あっちへふらふら、こっちへふらふらしている間に歌が終わってしまう。
それを何度も繰り返していたシレーヌは、天井にある扉が開いている場所に行きついた。
「あの子……天井裏にいるのね……」
しかし、シレーヌの体力からしても天井の高さからしても、扉の先へ進むなど到底不可能に見えた。
辺りを見回しても、フェーが踏み台にしたようなものはなかった。
だが、シレーヌはフェーがプルプSEに掴まれたのをすり抜け、隙をついてプルプSEを蹴転ばそうとしたのを思いだし、フェーならこのくらいのことは造作なくやってのけると納得した。
それから、シレーヌは開いた扉の下で、その先がどこに通じているのかを記憶のなかに探った。
「これは通風孔だわ……。それで……ここは米国区画で、それであっちが仏国で向こうが日本だから、ここから中国区画に通じてるはずね。――ネライダ、手がかりが見つかったわ。ネライダ、ねえ――」
シレーヌは口元に近づけられた左手首に、リストコムがないことに気づいた。
そこには日焼けしていない白い痕もなかった。
「もうどうなってるのよ……それにしても、また忘れ物がわたしの運命を決めるの? 冗談じゃないわ! いいえ待って、落ちついて考えるのよ。ここから一番近い緊急用船内通話器は確か……"SC-25"ね。ならこっちよ」
そういって彼女は目標を定めて歩きだした。
「もう少し、もう少し、もう少しなんだから……」
ようやく緊急用船内通話器"SC-25"に辿りついたシレーヌは、躊躇うことなく扉を開けて受話器を手にとった。
「ネライダ、わたしよ。聞こえる?」
「もちろんです!」
「えっとね――」
「場所は"SC-25"ですね。すぐそちらにドロイドが到着するはずです。彼らが手伝えることがあれば指示してください。遠慮はいりません。ここまできたら二体や三体壊れたところで、もはや問題ではありません」
ネライダの声に励まされたのか、シレーヌは気力が湧きあがってくるのを感じていた。
「フェーはおそらく中国区画にいるわ。それも通風孔によ」
「なんですって? よりによって最悪ですね。さっきデータを厳重にチェックしてみたんですが、中国区画の大気はまだ5%の有毒物質があるんです。それに毒性の判明していない化学物質も3%あるんです。非常に危険です。できれば、防護服なり宇宙服を着用してください」
「ネライダ、それが無理なのよ。なにしろ狭苦しい通風孔を這って進んだ先にフェーはいるみたいだから。とにかく扉の空いた天井のところに戻るわ。わたしの生体反応はキャッチできてて?」
「もちろんです」
「ならそこにドロイドを誘導してちょうだい。そこから先のことは、わたしが一人でなんとかするしかないかもね。とにかく戻るわ」
「わかりました。できれば防護服を――」
「ネライダ、それはいいっこなしよ! じゃあね」
シレーヌは電話を切ると、すぐにいま来た道を引き返した。
その先から微かに歌が聞こえてくる。
黒い鯱はようやく追い詰めたとばかりに、搭載している火砲らしきものを白い鯨に照準しはじめた。
そんなこととは露知らず、シレーヌが開いた扉のすぐ近くまでくると、向こうから二体のドロイドが近づいてくるのが見えた。
「まあなんて頼もしいの。それに、おちびちゃんはとっても役にたちそうね」
二体のドロイドはゴリラのように大きなゴリーと、リスのようすばしっこい小さなエキュルイユだった。
天井に開いた扉の下でシレーヌたちは合流した。
「エクスキューズ・ミー。御用があればいってください」
二体のドロイドは電子音声でいった。
「ごめんね、挨拶してる暇はないの。――ゴリー、わたしを持ちあげて天井の穴に運び入れてちょうだい。それからその後、同じようにエキュルイユを持ち上げて」
「かしこまりました」
大きなドロイドは安々と、しかし優しくゆっくりとシレーヌを持ちあげて穴に運びいれた。
シレーヌの姿が見えなくなると、ゴリーはつづけてエキュルイユをアームで掴んで穴へと持ちあげた。
遠くからシレーヌがなにかいっている。
「ゴリー、あなたの装備してる小型消解毒ボンベを投げて。エキュルイユはそれを受けて取ったら装備して、音響センサーを最大にして音がする方にわたしを案内して。逐次、消解毒をしながら進んでね」
「了解しました」
シレーヌの指示がすべて終わる前にエキュルイユは消解毒剤を噴射しながら、音を辿って進みはじめた。
だが、歌は流れつづけることなく、気まぐれに聞こえては消えてしまうため、なかなか思うように進めなかった。
ネライダは超々高機能望遠ズームに捉えられた、黒い鯱から突き出した火砲らしきものにエネルギーが充填されるのに気づいた。
「では、こちらも無駄な抵抗をさせてもらいます」
そういうと、ネライダは稼働可能なレーダーや電磁波を発生させられる装置をフル稼働させ、照準と電磁波を撹乱する電磁光波隔壁を展開した。
さらに、実態弾による攻撃に備えて反重力場を船尾後部に重点的に振り向けた。
「ねえねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……だあれ?……あにゃたはだあれ……こちゃえないひとちらい! ちらい、ちらいちらい! あっちいかにゃいと! こわしちゃうからね!」
フェーの顔は激しい怒りに赤らんでいた。
彼女は唇を尖らせ手を痙攣させながら、立体音像ブックのボタンを押した。
前奏が流れはじめると、フェーの表情は穏やかになり目が輝き、旋律にあわせて歌いはじめた。少し舌足らずな節回しだった。
ながれぼし たべるクジラよ
しろいクジラよ しろいクジラよ
ほのおでこがし いやしをもやせ
ゆらめいて
いかれるくちで なだめるくちで
次の瞬間、《リヒト・スヴィエート号》はフェーの歌に呼応するように猛然と加速した。
速度がぐんぐんあがる。
0.982c……0.984c……0.986c……。
0.988cに到達したとき、重力波の波に煽られたのか、黒い鯱は蹴散らされたように船体をぐらつかせると加速を鈍らせ、あらぬ方向に弾かれ、白い鯨から遠ざかっていった。
歌が終わったころ、肘と膝で狭い通風孔を這い進んできたシレーヌはその目に愛娘を捉えた。
「フェー! フェー! ママよ。あなたおいたが過ぎるわ」
シレーヌの声に気づいたフェーは、呪文のような言葉を呟きながらすぐに近寄ってきた。
「ねえねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……ままん? にゃまえがわからぬ、あにゃたはだあれ? ねんねえ……」
「フェーったら、今日何回それを唱えて、今日何回あの歌を歌ったの。本当におばかさんなんだから、さあいらっしゃい」
激しい怒りに駆られたせいかさすがに疲れを感じたのか、フェーはシレーヌの胸に飛びこんで、
「ママン……」
と囁くとともに気を失った。
どういうわけか、フェーが怒りの炎を燃やして歌を歌ったあと、ネライダはとても強いフェーの生体信号をキャッチした。
「船長、また不思議なことが起こりました。説明はあとまわしにしますが、すぐに救援のドロイドを急行させます」
しばらくすると、たくさんのドロイドに守られるように支えられたシレーヌが、フェーを抱いて制御室に戻ってきた。
シレーヌの病衣はあちこち汚れていたが、それは晴れやかな凱旋の光景だった。
しかし、ネライダは不安を拭いきれていなかった。
中国区画に通じる通風孔の扉は全部で二十四か所あり、"AC-01"から"AC-24"まで番号が振られていた。
しかし、フェーが叩いていたのは"AC-ED"だった。
それは通常の点検扉ではない。
非常に危険な区域を封鎖するために、あとから新設された扉だった。
有毒化学物質がもっとも濃い場所だったのだ。




