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Nichts――無  作者: イプシロン
Ⅲ フェー
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41/55

#41 ストラテジー――南軍

「オンブル諜報総長、君の意見は性急すぎやしないか?」

 南部同盟連合、統合軍総長のジョナサンは遠慮会釈なくいった。

「しかし、いまは非常時といっても差し支えない状況かと。総軍の存続とまではいかないまでも、危機的状況を招きかねない懸案があるのは事実です」

 統合軍諜報総長のオンブルはあけすけに答えた。

「戦争になれば、我が軍が苦杯を飲むということだな。――ではまず、話の大本からはじめたほうがよさそうだな。なにしろ込み入っているからね。君、時間はあるのだろう? 一部の事柄に目を奪われると、極論に陥るものだからね」

 ジョナサンはそういうと、内線電話をあげて飲み物を頼んだ。

「君、珈琲は飲めたよね?」

「ええ、大丈夫です」

「では、それが来てからはじめるとしよう」

 大きなマグカップに注がれたベトナム珈琲がくるまで、十五分以上の時間が過ぎた。

 ジョナサンは飄々としていたが、オンブルは気せわなく資料に目を通していた。

「それでは、君の報告からはじめようか」

「まず、本件の根本に実験艦の座礁があります。既に何度も話題にあがってますが、諜報上の問題がありますので、船名は伏せさせてもらいます。ひとまずこれを仮称実験艦Xとします」

「諜報総長、いまになってもまだ艦名すらいえないのかね?」

 狙っていたかのように、ジョナサンは追及の矛先を向けた。

「なにしろ、諜報戦術に則って艦名はおろか塗装、外観、乗員も逐次変更していますので、いいようがないのです」

 緊張のあまりか、オンブルの額から汗が染みだしはじめた。

「なるほど納得した。つづけてくれ」

「実験艦Xが座礁したのは、ご存知のとおり火星の衛星ダイモスです。発見したのは、都合の悪いことに太陽系連盟の哨戒艇でした。我が軍が最初に発見できれば、問題が起こる余地はありませんでした。しかし、発見したのはあの調整屋の連盟です。そういう事情から彼らの主導により、調査隊は南北だけでなく東西や弱小の軍どころか、一部民間組織まで加わって混沌とした状態になりました。どういうわけか、宇宙機構が調査隊に加わらなかったことは、いささか不審と見ています」

 オンブルはベトナム珈琲を啜って、喉を潤してからその先へ移った。

「我が軍の諜報部は優秀です。調査初日からさっそく隠蔽工作に取り掛かりました。ですので、いまもあの船が南の所属艦だと嗅ぎつけたものはいません。しかし、ある時期から北の連中がのさばりだして、当方の隠蔽工作が停滞させられています」

「つまりそれが、我々二人だけが知る謎の宇宙船と異星人らしき遺体事件の真相、というわけだね。その『二人だけ』の部分は諜報関係、造船関係の誰にも漏洩してないのは確かなんだろうね?」

「もちろんです。そこは自信を持っていえます。――そして、本件の核心はここからです。メディアが騒いでいるだけなら問題はなかったのですが、ルフト博士の失踪疑惑が持ちあがりまして、諜報部はこれまで以上に動きが取れなくなったのです」

「それだよ君。そのルフト博士の失踪疑惑も問題だが、彼が長く関わっているといわれる宇宙船があったはずだ。そっちの状況はどうなっているんだね?」

 ジョナサンの目が据わったのがわかった。

「《リヒト・スヴィエート》ですね。――それがまた都合の悪いことに、あちらから、ようするに"LS"からの送信が断絶したらしいのです。宇宙機構が持つ回線も同じ状況です。この件は隠密裏に確認できてます。したがって、どれほど送信密度をあげようと"LS"は梨の礫です。しかも現在位置はおろか、船が無事なのかすらわかりません。わたしとしては宇宙機構を信用しすぎたしっぺ返しではないかと考えます」

「しかし、あの船から入手した情報は我が軍に相当貢献しているよ」

「ですが、それは北とて同じではないですか?」

 オンブルは盾で殴りつけてやったといわんばかりに強腰にいった。

「諜報総長――。宇宙機構からの情報技術提供が、君らの実験艦をはじめ、全軍の救難救護、防御装備、被害極小化策(ダメージコントロール)にどれだけ貢献したかは知っているね。それに、連盟を通じて各国政府から受ける資金援助で、諜報と造船関係が存分に潤ったことも知っているはずだ。もっとも予算に関しては主計総長の力だから、わたしが偉そうなことはいえないがね。だが、わたしが手を回していたのは君の耳にも入っているね? ――そして、この件の大本は宇宙機構であり、さらにその根源が"LS"であることは理解できるね? もちろん我が軍は、"LS"からもたらされる宇宙工学、計算機科学、それに宇宙生理学の最新データを指を咥えて欲しがってばかりいたのではない。我が軍も彼らに協力できることはしてきたが、だからといって極秘情報をあっさり渡すなど一度すらなかったことも、知っているね?」

「はあ……軍総長。自分はそこまでは見ていませんでした。諜報人としてお恥ずかしい限りです」

 オンブルは事もなげに自分の非を認めてからいった。

「しかしですよ、北はその"LS"に対して既に動いているという情報があるのです」

「ほおお、それは初耳だね。なぜいままで話してくれなかったんだい?」

 ジョナサンの目に凄みが居座り、見えない瞳の奥が光ったようだった。

 オンブルはやにわにハンカチを取りだして汗を拭った。

「いえ、この情報を得たのはつい数日前のことでして。ですからいまからお話します。――北の計画は大きく分けて二つあるようです。プランAは、"LS"の計画時に仕掛けておいたキルシステムを発動させ、"LS"を海の藻屑にする。これが実行されたのかどうかはわかりません。プランBはさらに実戦的です。北がもつ特殊艦で"LS"を直接攻撃して葬り去るというものです。――その特殊艦というのは、我が軍でいう実験艦の類かと思われます。しかしこの件に関して、特にプランBの方は情報収集も困難を極めまして……。ですから、北のプランBを妨害するために、今日こうして頭を下げにきたのです。軍の戦力を諜報部に回していただけませんか? 一個艦隊などとはいいません。一個中隊でなんとかできると踏んでいます」

 諜報総長がその件に触れたのはこの日の三度目だった。

「オンブル君、それはできぬ、できぬ相談だよ。わたしは説明を繰り返すのを好まないが、いま一度話そう。――"LS"と我々とでは時間感覚が異なるのだ。いわゆる、相対論的時間だね。君もそれはわかるだろう。例のルフト博士。彼はもう高齢だ。失踪したとしてもしていなくても、いずれはこの世を去る運命だ。しかし"LS"は違う。我々が五十年を過ごすあいだに、彼は五年だよ。その時間的価値を我々の物差しで測っていいものかね? ――それにだ君、その一個中隊が作戦に失敗した場合どうなる? "LS"の乗員はもちろん我が軍の兵士たちの、時間を奪っていいものかね? 彼らを我々の時間的価値で縛っていいものかね?」

「兵たちは作戦に殉ずることを恐れていません」

「それは君の理屈だ」

 ジョナサンはそう静かにいって口を閉じて待ったあと、また粛々と語りはじめた。

「それに、作戦に失敗した場合、北との戦争になりかねない。我が軍は装備、戦力、兵力のどれを取っても劣勢下にある。無論わたしとしては最善を尽くしてきたし今後も最善を尽くすつもりだ。しかしね君、劣勢であることに変わりはないんだ。――諜報総長、そもそも軍はなんの為に存在するのかね?」

「勝つためであります!」

 オンブルの手に握られているハンカチはくしゃくしゃになっていた。

「違うよそれは。軍は守るために存在するのだ」

「しかし、手を拱いていて負けてしまえば、守れるものも守れません」

「オンブル、君はまだ若いな。かつてはわたしもそう考えていた時期があった。しかしね、それは本末転倒だよ。例えば宇宙機構だ。この状況下にありながら、微力であろうと一握りであろうと、"LS"やルフト博士を守ろうとしている人たちがいるのではないかね? 我々が本来守るべきはそういう人たちではないのかね? 軍や君の面子がそんなに大事かね?」

「……」

「君にも家族はいよう。その家族に危機が迫ったときまずどうするんだ? なるべく安全を確保せんかね? そのうえで可能な部分で危険をもたらす連中を追い払う。違うかね? 戸締りもせず窓を開け放っておいて危険な連中を始末しに行くのかね?」

「では、どうすればいいんですか?」

 ジョナサンは守りきったと思ったのか、温和な表情を浮かべてからいった。

「当面、統合総軍の動きは抑制する。派手な演習は一切なしだ。無論訓練は欠かさぬがね。――諜報部にはこれまで以上に精力的に働いてもらう。つまり、戸締りを厳重にすることだ。そのうえで逐次判断でよかろう。あまり先走らぬことだ。あれだけ強気な北だ。必ず尻尾を出すよ。そこが我が軍の狙い目だ。連盟勢力も戦争を望んではいない。加盟国政府の多くもそうだ。太陽系全域の平和が我が軍の目的だ。諜報総長、君だって地球の内惑星どうしがいがみあって、太陽系はおろか系外まで滅茶滅茶になるのを見たくはないだろう? どうなんだね?」

 オンブルは勝ち馬から降りたかのように、肩を落として具体策の質問をはじめた。

「では、"LS"はどうされるおつもりで? 我が軍への情報流入が途絶えたのは致し方ないとして、北だけに情報が流れているとなると見過ごすわけには行きません。守りを固めるにしても北との差が開き過ぎます。それに、北が得た情報をもとに破格の新兵器の開発を進めた場合、我が軍は相当の危機に瀕します」

 ジョナサンはようやく核心に辿りついたと見たのか、身を乗りだして説明に入った。

「ひとつ、"LS"を捜索して見つけだす。そのためなら(フネ)を出しても構わん。ただし、北との接触は絶対に避けること。それが条件だ。――ひとつ、捜索が難航したばあい、機密情報を"LS"に送れるだけ送り、北からの干渉や破壊工作を阻止する。ただし極秘はその範囲外だ。――ひとつ、生死の如何に関わらずルフト博士を探しだすこと。生きているなら身の安全を確保すること。つまり、"LS"とルフト博士のどちらか、もしくは両方を確保することが我が軍にとっての勝ち筋ということだ。これで君が懸念する部分も解消されよう?」

「しかし、北に先手を打たれれば我が軍の負けですが?」

「オンブル、随分と弱気ではないか。それは君の実力表明かね?」

「いいえ、違います。最悪の事態を想定していったまでです」

「では、君がそういう事態に陥らぬようにしたまえ」

「はっ! かしこまりました!」

「まあオンブル、落ちついて聞いてくれ。――先に話した二案が両方失敗して、仮に宇宙機構との関係が拗れたとしても、我が軍はつねに君等の側に立っていたという証拠を突きつけてやれば、彼らが情報提供を惜しむことはできまい。したがって、宇宙機構からの我が軍への情報提供が途絶えることはない。北の強引なやり口では却って餌を食べ損なうということだ」

「なるほど、裏の裏ですね。よく理解できました」

 テーブルには空になった大きなマグカップが六個あった。

「オンブル、もう一杯やって世間話でもしていくかね? 君の家族とも随分会ってないからね」

「いえ、結構です。さっそく戻って作戦を練りたいので、これで失礼します」

「そういえば君、珈琲の木の花言葉は知っているかね?」

「いえ、存じあげませんが、時間がありましたら調べてみます」

 ジョナサンは満足げに頷いて、諜報総長が部屋を去っていくのを見守った。

 南部同盟連合のあらゆる実動部隊は、その日を境に急速に緩慢な動きを見せはじめた。

 それと対をなすように、全諜報部隊は目の色を変えて動きだした。だが、その兆候に気づいたものはそう多くなかった。

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