#40 アイデンティフィケーション――覚悟
《リヒト・スヴィエート号》の外に解き放たれた三体のドロイドが、最初に修繕したのは信号発信機だった。
ネライダは、それが稼働しつづければ失った送信機器による危険を、すこしは回避できると考えた。
船外の捜索レーダーと連携する発信機から、ネライダに質問が届いた。
「船籍不明の宇宙船らしきものあり。信号を送信しますか?」
ネライダはすぐ、
「即時に船籍を問え」
と返答した。
信号発信機は命令に従い船籍識別装置を作動させた。
しかし応答はなかった。
それどころか、黒い鯱のような形状の船らしきものは、尾部から猛然と赤い噴射流を長々と棚引かせながら、白い鯨のような《リヒト・スヴィエート号》に接近していった。
だが、シレーヌはそのとき夢のなかにいた。
彼女の睡眠と覚醒の周期に対応しているかのように行動する、フェーの姿も集中治療室になかった。
しかも、ネライダの生体センサーは彼女を捉えられていなかった。どういう理由か不明だったが、ネライダはフェーの生体信号を日増しに感知できなくなっていた。
信号発信機が同じ内容を何度もネライダに伝えてくる。
「船籍識別信号を送信。応答なし……。船籍識別信号を送信。応答なし……。船籍識別信号を送信。応答なし……」
黒い鯱の加速は異常なほど力強く、少しずつ白い鯨に追いついてくる。
ついに、《リヒト・スヴィエート号》に装備された超々高機能望遠ズームがその姿を捉えた。
だが、黒い宇宙に溶けこんだ黒い船らしきものは形状さえはっきりしなかった。乱れた立体生成映像のように揺らめいて、定まった形状をしていないように見えた。
意を決したネライダの命令で、《リヒト・スヴィエート号》は可能な限りの全力加速に移った。
その頃、フェーの姿は小さな点検扉の前にあった。扉には"AC-ED"と書かれていた。
そこは、彼女がしゃがんでやっと辿り着けるような狭い場所だった。
フェーは扉を叩きながらリズムを刻みはじめた。
「ねんねん、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……だあれ? にゃまえがわからぬ、あにゃたはだあれ? ねんねん……」
フェーは船に起こった加速の振動を楽しむように、同じ言葉を呪文のように繰り返していた。
ときどき扉を叩くのをやめ、手にした古ぼけた立体音像ブックを再生する。
そして、歌が終わると、また扉を叩きはじめる。
加速の振動のせいか、フェーが刻んだり唱える呪文めいた言葉のせいか、あるいは歌のせいか、シレーヌが目を覚ました。
「……ネライダ……なにかあったの?……なんか、派手に加速してるみたいだけど?」
「ああ船長、目を覚まされましたか。異常事態です。船籍不明の宇宙船らしきものが接近中です」
「なんですって !?」
シレーヌはまだ寝ぼけていたが緊迫した声をあげた。
必死に目を擦り上体を起こしはしたものの、依然として体調の悪さを感じているようだった。
「接近て、この船の速度はわかってるわよね、ネライダ?」
「もちろんです。現在の速度は0.98cを超えています」
「それだけの速度が出てるのに、追いかけてこれるっておかしいじゃない?」
「ですから、異常事態とお伝えしました」
「ねえ、あの子はどこ?」
「それがあいにく、居場所が掴めませんでして……フェーの生体信号はどんどん微弱になっていて、モニターしにくいのです。いまでは……」
「それじゃまるで、あの子が人間じゃないみたいじゃない。――それで、その宇宙船らしきものとは交信できたの……って聞くほうが野暮ね。この船の送信機能は死んでしまったんだから」
シレーヌは冷静になり順番にトラブルに対処しようと決めたのか、質問を絞りはじめた。
「無論、できてません。ですが、捜索レーダーに反応したので、信号発信機から船籍確認の信号を何度も送ったのです。しかし、応答する気は毛頭ないようで……。それゆえ、引き離すために加速したわけです」
「船籍すらわからないってことね?」
「そうです。いまさっき超々高機能望遠ズームで映像として捉えたんですが、宇宙船とさえ判断できかねる状況です。解析したところ、どうも光学迷彩かなにかを使って素性を隠しているようです」
ネライダはすぐに、治療室にある立体映像UIにその映像を映しだした。
「赤い噴射流なんてはじめて見たわ。地球圏の船はプラズマ推進だから青いはずよ」
「船長、あれを宇宙船と仮定して、船体の全長と噴射流の長さを比較したのですが、あれが船だとしたら、相当な加速力があるのは確実です」
「それはどういう意味?」
シレーヌは、揺らめく黒い靄から棚引かれる噴射流を目で追った。
「恐らく、この船とは設計思想が異なります」
「というと、軍艦かなにかってこと?」
「軍の船であれば、自動的にこちらからの船籍識別信号に応答するはずです」
「随分親切な軍艦もあるのね」
「いえ、いまは平時ですから。それに軍艦が民間船に対して船籍を隠す必要はありません。そもそも軍籍であることを盾にするのが常道ですから。拿捕するにしても攻撃するにしても、あちらは一向に困らないわけです。もしなにか問題がおこっても目的を達成したあと、証拠隠滅すればいいわけです……」
「それはそれは心強い解説だこと。でも、だとしたら、これはなんなのよ?」
シレーヌは映像を指さしながらいった。
「海賊船、ないしはこれまで接触したことのない異星人の"ナニカ"としかいえません。憶測ですけれど……」
「海賊? 異星人? でも海賊だとしても赤い噴射流ってことは地球圏の船じゃあないとか?」
「そういうことになりますね」
「ああもう嫌だ、SFの小説や映画じゃあるまいし。なんだか本当に頭がおかしくなりそうよ。――それで、追いつかれそうなの? 攻撃される恐れは?」
「いまのところ、追いつかれることはないかと。攻撃に関してはなんともいいようがありません。軍艦であれ海賊船であれ、異星人の"ナニカ"であろうが、どんな武器を装備しているかはわかりかねます。仮に軍艦だとしても、わたしは軍の機密情報を持っていませんので……」
ここのところ、わからない尽くしの説明ばかりしている自覚があるのか、ネライダは口籠るように答えた。
「ですからこちらとしては、逃げるしか手がありません。幸いといっていいかわかりませんが、この船は1.0cでも破壊されないように設計されています。もっともそれは計算上ですが。――ただし、加速性能はまず間違いなくあちらの方が上でしょう。ですが、設計は大体の場合トレードオフなので、あちらは1.0cには耐えられないかと」
「ネライダ、あなた最近、抽象論や一般論が増えたわね。推理力はそう衰えてないみたいだけど。――まあいいわ。とりあえずこの件は様子を見るしかないわ。攻撃されたら一巻の終わりだけど、そこは祈るしかないわね」
「船長すみません、わたしにも答えようのないことがあるのです」
ネライダの声はいまにも泣きだしそうだった。
「じゃあわたしは、フェーを探しにいくわ」
「無理ですそんな身体で、やめてください。前の二の舞いはわたしも懲り懲りなんです。さっき独断で加速に移ったときも、心臓が縮む思いでした。船長はわたしを殺す気ですか?」
「ネライダ、あなたに心臓なんてないじゃない。駄目よ、そんな風に情緒的なこといって同情を誘ったって。いざとなれば、また医療ドロイドを寄こしてくれるんでしょ? それに、いまならプルプもいるじゃない。一体は当てにならないけど。――でも、REがルフト専用機なら、それはそれであの人らしいかもね……あの人、無謀とは無縁だったから……」
そういってシレーヌはベッドから降りはじめた。
「ほかのプルプも当てになりませんよ、シレーヌ! 彼らが普通のドロイドと違うのは、船長も知っているはずです。REは別としても、SEとFEは制御室と治療室以外への移動を拒否しはじめたんです。それに、船長の症状はほかの医療ドロイドでは、もはや対処できないのです。お願いですからシレーヌ、やめてください! 命に関わります!」
シレーヌはじっとしたまま動かずに、カメラだけ作動させているプルプREを見つめて、
「じゃあネライダ、フェーのことはどうでもいいわけ?」
といった。
「そんなことはいってません! でも、シレーヌ……わたしがあなたを失うことは死ぬのと変わらないのです。なぜなら、わたしの任務はあなたを生かしつづけることが最優先だからです。ですので――」
「ネライダ……ならあなたにもわかるはずよ。わたしがフェーを失う意味が」
「……」
シレーヌは靴を履いて立ちあがった。
「じゃ、ちょっと行ってくるわ。あとのことは任せたわよ、ネライダ」
彼女はプルプREのカメラに向かって、投げキッスを送ってから、治療室を出ていった。
――もしも、攻撃されて死ぬなら、わたしはあの子を抱きしめて死ぬの。ごめんね、ネライダ、いままでありがとう――。
唖然としたままなにもできないでいるネライダは、どうすれば大きな溜息をつけるかを考えながら、船内と船外のモニタリングを強化しはじめた。
一方、狭い通路でフェーは小さな扉を叩いてリズムを刻んだり、古ぼけた立体音像ブックを再生していた。
「ねんねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとちゅおまけに、ねんねん……だあれ? にゃまえがわからぬ、あにゃたはだあれ? ねんねえ……」




