#38 プルプ――混沌
シレーヌとネライダが一緒に詩歌の"Sirène"を奏で、フェーが夢とも現ともつかない体験をしたその日。
さらにいくつかの不思議なことが起こった。
それは、合唱が終わって音楽が消え、立体音像ブックで作られたつかのまの海中が蒸発したあとのことだった。
まだ涙の乾いていないシレーヌにフェーがしがみついたからか、シレーヌがフェーを抱きすくめたからか、どちらが先ともいえないが、二人が抱きあったときだった。
フェーが寝息を立てはじめたのだ。
「ネライダ、この子、様子がおかしいわ」
「どうされました?」
「例のうなじのボタン、それに触れてないのに眠ってしまったの」
「船長、勘違いではないですか? アンドロイドとはいえ機械的な部分は機械的でしょう。ですから、触れなければ作動しませんし触れれば作動する。それが普通かと」
シレーヌは注意深くフェーの肌が見える部分をまさぐった。
「ない、ないわ !? ボタンがない!」
「そんな、船長。そんなことは宇宙がひっくり返っても起こりようがないはずです」
「でも本当よ、ないんだってば! ねえ、ネライダ、プルプのカメラであなたも確認してよ」
「ちょっとお待ちください」
数秒もしないうちに、プルプSEと新型のFEが動きだした。REは相変わらずじっとしたままだった。
フェーはすやすや眠っていたが、もぞもぞと動いてまるで子宮に帰りたいといわんばかりに、シレーヌの胸に頭を押しつけ、
「ねえねえ、ネライダ、ねえねえ、シレーヌ、もひとつおまけに、ねえねえ……だあれ? なまえがわからぬ、あなたはだあれ?」
と、うわごとをいった。
声色はいつもとまったく変わらなかったが、英語とフランス語、そしてドイツ語混じりの美しい抑揚を帯びていた。
そのとき、二体のプルプに映しだされた映像を見たネライダが、すっとんきょうな声をあげた。
「ない !! ないですね! 確かに船長のいうとおり、ありません。――しかしまたどういうことでしょう。なぜREだけがフェーを拒否したんでしょうか? ――それから、フェーのさっきの寝言、あれは三つで一組ですよね?」
「ええ、それはわかってるの。わたしとルフトとフェー。だってわたしたち三人は親子なんだもの。当然じゃない。――待って、待ってネライダ。プルプの型番はあなたが適当に選んだの? そうではなくて、はじめから決まってたとか?」
シレーヌの顔に汗が滲みはじめた。
「心外ですね、わたしが適当に名前をつけるわけがないじゃないですか。大体ですね、カルマールとかプルプとかエキュルイユとかゴリーとか名前をつけたのは船長じゃないですか。それだけでなく"龍宮"も始祖鳥もシレーヌ船長が名づけたんですよ」
ネライダは不服そうな声でいった。
「じゃあドロイドの命名規則はどういうふうになってるの?」
シレーヌは額の汗を拭いながら訊いた。
「Aが試作機、それがバージョンアップされるとAAになり、さらにバージョンアップされるとABになり、この法則がZまでつづきます。ですから試作機の最終バージョンはAZです。――そのつぎの極初期型はBが先頭で、それがバージョンアップされるとBA、BB、BCとつづきます。大体これでわかりますかね。ちなみに、ハイフンのあとの三桁の数字は製造順に付与される番号です。つまり、試作一号機はA-001になります」
「ややこしいわね。久しぶりに仕事をしてる気分だわ。――それで、ネライダ。プルプのRE、SE、FEっていうのは、その命名規則からみて変則的といえるの?」
よほど暑いのか、シレーヌは両手で抱いていたフェーから片手を離して、首のあたりを扇ぎだした。
「いえ、変則的もなにも、前にお話ししたとおり、そもそもプルプは特殊な個体で三体のみ製造とお伝えしたはずですが? それに、プルプは出航前に計画された型でして、航行中に設計制作された型ではありません」
「つまり、プルプははじめから計画にあったということね。あたしとしたことが……どうしてそれに気づかなかったんだろう……。でもそれだったら、FEが最近稼働したのはおかしくない? というか、そもそもプルプに振られてる型番は特異ってことでいいの? ――というか、この子が重くて汗が止まらないわ……」
しかし、ネライダは検索と説明にかかりきりでそのことに気づいていなかった。
ドロイドの全データを掌握しているとはいえ、廃棄や分解、移植や融合連結などが無造作に繰り返され、その度に型番が変更されるので、正確な照合に手間どったのだ。
「ええ、プルプのRE、SE、FEは特異といって間違いないです。――整理しますと、基本記号はAZ、つまり試作最終型です。つづく-747は製造数になりますので、この数字部分に関してはプルプは命名規則に叶っていません。さらにそのあとにつづくRE、SE、FEはバージョンアップの回数です。以前はギリシャ文字で管理していましたが、それらは二十四文字しかないので、その回数までバージョンアップしたあとは、わたしや船長が呼んできたRE、SE、FEという固定符号になりました。もちろんそのあとも彼らはバージョンアップしてますが、どこがどの程度という詳細はわかりません。REが船長を拒否した理由がわからないのはそのせいなんです。つまり、AZ-747-SEは、試作最終型バージョン超越型の形式型番ということになります」
「ネライダ、頭がくらくらしてきたわ。わたし昔からクロスワードパズルみたいの苦手だったのよ。――それにフェーが重くって……汗が凄いの。ネライダ、悪いけどSEとFEに頼んでこの子をあっちのベッドに寝かしてくれない?」
「かしこまりました」
プルプSEとFEはすぐに動きだし、二体がかりでフェーを担ぎあげはじめた。
シレーヌはその様子を注意深く見ていた。
「ネライダ、それが終わったら濡れタオルを、そうね、五枚くらいちょうだい。――お風呂なんて贅沢はいわないけど、せめてシャワーくらい浴びられたら死んでもいい気分よ……」
ようやくシレーヌの汗に気づいたネライダが、エアコンを調節したのか、ひんやりとした風が治療室に流れ込んできた。
「それにしても不思議ね。どうしてSEはフェーに拒否されないのかしら?」
「なぜですか? いまのところそんなことをする理由が見当たりませんが?」
「だって前には一度拒否をしたじゃない? なのいまは平気なのはなんで?」
シレーヌはじっとSEを見つめながらつづけた。
「ていうかネライダ、あなたまだ気づかないの? きっと三体のプルプはわたしたちに対応してるのよ。SEはシレーヌ専用機、FEはフェー専用機、そしてREはルフト専用機なのよ。――待って、待ってちょうだい、ということはこの船のどこかにルフトがいるんじゃなくて? だからフェーは船内を探し歩いてるんじゃなくて? ネライダ、あなたが介入できない場所にルフトがいるのよ。そうよ、きっとそうなのよ。REがどこかに行っては帰ってくる。そこにルフトがいるんじゃなくて?」
「いくらなんでもそれはありえません。わたしがはじめて知覚したのはルフトさんですよ。まだ船に搭載される前のことです。こういってはなんですが、ある意味でわたしは船長よりもルフトさんとは付きあいが長い感覚がありますからね」
ネライダは呆れた口調でゆっくりとそういった。
「そうよね、そんなことはありえないわよね。だって、発着場から飛び立つときあの人がずっと手を振ってるのを胡麻粒になるまで見てたんだもん。そのあとも高機能望遠ズームで胡麻粒になるまで見てたもの。そうね、そんなことはありえないわね。――ああ、わたしの記憶がおかしいの? もうなんだか気が狂いそうよ、三日三晩考えごとしてたみたいで、なんだか熱っぽい……」
シレーヌの長い独り言など聞いていないかのように、プルプFEは横になったフェーに毛布をかけていた。
「あれ? 左手にあったはずの日焼けしてない白い部分がなくなってるわ! どういうことよ! 駄目だわ、本当に気が狂ったのかもしれない。これが夢ならいいのにね……ネライダ。わたし、現実に帰るために寝るわ。夢の世界はあなたに任せる。おやすみ……」
シレーヌの瞼が落ちて寝息が聞こえはじめたとき、プルプSEが五枚の濡れタオルを器用に運びながら、ベッドの傍へやってきた。
時をおなじくして、ネライダは船外に奇妙な兆候を感知していた。




