#35 ビッグ・ニュース――混乱
脳溢血を起こして緊急入院した明くる日、ルフトの姿は集中治療室になかった。かといって病室にもなかった。
ルフト邸のすべての雨戸は閉じられ、玄関と裏口も厳重に施錠されていた。邸宅にはカルハリアスの姿もなかった。
ただ、杉の大木だけが何事もなかったかのように、木の葉を風にまかせていた。
数日後、電子新聞が号外を伝えた。
――"国際宇宙機構・計算機科学部・前副本部長が失踪!"
それを追いかけるように、各種映像メディアが特別ニュース番組を報じはじめた。
『今回の失踪事件は、一月半ほど前にあった謎の宇宙船と異星人らしき遺体の件と、なにか関係があるんでしょうか?』
キャスターがコメンテーターに質問した。
『一方は発見、一方は消失ですからね、これをどう考えるかではないですか』
コメンテーターが答えは曖昧だった。
『しかし、ルフト博士といえば、十八歳のころから宇宙機構にいて、多大な功績のある方ですよね? 定年されたのは六十五歳で、現在七十二歳だとか。宇宙機構を離れてからもそれなりの影響力があったという話もあるんですが、この点はどうでしょうか?』
キャスターは資料を見ながら質問を重ねた。
『博士の存在は大きいんじゃないですか。とはいえ、政治的影響力はさほどでもないかと。なにしろ、研究一辺倒だったのは有名ですから』
コメンテーターはその件には触れたくないようだった。
アラバマ州ハンツビルにある、国際宇宙機構の本部ビル最上階では、ディッキーが立体ヴィジョンを食い入るように見つめていた。
彼は、映像から目を背けぬまま、内線電話を手に取った。
「エイミー、大至急わたしのところへ来てくれ」
映像のキャスターは質問をつづけている。
『たとえそうだとしても、宇宙機構は、軍との関係もありますから、ルフト博士に政治性がまったく無かったとはいえないですよね? 先生は軍事関係にもお詳しいんですから、その辺なにか知っていらっしゃるのでは?』
『その点、皆無とはいえませんが、それと失踪疑惑の件は別ではないですか? わたしも博士とは一度会って話したことがあるんですが、あの方は宇宙や科学に興味はあっても、軍事には無頓着という印象でしたから』
コメンテーターの返答は歯切れが悪かった。
宇宙機構本部長室の扉がノックされるのと同時に叫ぶような声がした。
「エイミーです」
「入ってくれ」
普段の彼女には似つかわしくない慌てた扉の閉めかただった。
「エイミー、このことは知ってるな?」
ディッキーは立体映写機のリモコンで映像を指し示しながら、音量をあげた。
「もちろん知ってます。新聞で……でも、こんなことって……」
そのときプロジェクターに映っていた映像が、ルフト邸の様子を伝えはじめた。
黄と黒の虎縞テープに書かれた"KEEP OUT"という文字が見えた。
敷地の全周を囲むように百人以上の警官がたむろし、パトカーが何台も止まっている。
それを取り囲んでいる大勢の野次馬が映される。
カメラがパンアップされ、赤や青の回転灯が放つ光が、行ったり来たりしながら、三階建の建物を舐め回しているのが見えた。
「エイミー、情報の漏洩はなかったんだろうね?」
ディッキーが質問する声は意外なほど穏やかだった。
「そのはずです。だって、わたしあんなに神経を張り巡らせてたんですもん。でも……」
蒼白な顔を両手で覆って大きく目を見開いたエイミーは、いまにもその場に倒れ込みそうだった。
ディッキーはすっと席を立つと彼女の両肩を抱いてソファーに座らせた。
「では、例の本の件も大丈夫なんだね?」
そのとき、プロジェクター映るキャスターの声が二人の耳朶を殴るように打った。
『しかし、宇宙機構の前本部長、すでに故人のヴァルトさんは軍との関係がありましたし、現本部長のヴァルトJr.さんはそこまでの関係じゃないという噂ですが、それでも何らかの繋がりはあるんじゃないですか? つまり、ルフト博士はそのヴァルトさん、つまり、先代の本部長と軍との関係から恨みを買った、ということはありませんかね? それが失踪、まあそうなると誘拐とか拉致とかって話になると思うんですが――』
「ディッキー……わたし……どうすればいいの? こんなことになるなんて……ねえディッキー、わたしのせいなの?」
エイミーの目から涙がポロポロと零れ落ちた。
彼女の左耳では、LEDを改造したピアスが緑色に光って揺れていた。
「わたし、あの人を守りたかったのに……」
「君のせいではない、そう思うし、そう思いたい。しかし、情報がなさすぎて何一つ判断がつかないんだ。確かルフトさんには、長いこと一緒に起居していた使用人がいたはずだね? その人と連絡はつかないものかな?」
「無理です。だってその人もいなくなったって、いまニュースでいってるじゃないですか……わたし、二人もの人生を狂わせたんですか? もしも、もしも見つからなかったら、どうしたら……」
エイミーは激しく泣き崩れた。
ディッキーは使用人のことを訊いたことで、一層彼女を追い詰めたことに気づくと、そっと席を立って執務机の内線電話を手に取った。
「ああ君か、すまないがすぐ来てくれないか。ああそうだ……いますぐだ、なるべく急いでくれ」
電話を切ったディッキーはすぐにエイミーのところへ取って返したが、すぐに外線電話に呼び戻された。
「はい、ヴァルトです」
――ほうう、電話に出るとはね、あたしはまた無視されるかと思ってたんじゃがね。随分失敬なオペレーターでさ、散々にどやしつけてやったけど、案外手強かったわさ。
「すみませんがどなたですか? いま立て込んでまして――」
――いいから黙って聞きなさいな。あたしはあんたの父さんを良く知ってるよ。ということはもう見当はつくじゃろ? それぐらい勘が働かないようじゃ、あんたらも終わりさ。
ディッキーは受話器を手にして黙ったままエイミーのところへ行くと、彼女に電話の向こうからする声を聞こえるようにして囁いた。
「エイミー、ε印の枇杷、それと果樹園。あのことは忘れてないよね?」
彼女は顔をあげて電話口の声に耳を澄ました。
――ちょっとあんた、聞いてるのかね? うんともすんともいわないで、それでもあんたはヴァルトの息子かい? あの人はそんなんじゃなかったよ。二言目には『なんで?』三言目には『嫌だね!』って食ってかかってきたもんさ。久しぶりに思い出したらムカムカして来たわさ。まあ、もうあの人もいまじゃ天国で楽しくやってるじゃろうさ。あたしも、そこへ行くまでにもう一花咲かせる気じゃったけど、どうもいまがその時らしくてね。おいこら、ヴァルト! 聞いてるんかい? なんとかおいいよ。まあいいけどね。あたしは放っておかれても喋ってるほうだから、別に気にはしないよ。ただねえ、あんたらとじゃあ昔話しに興じられそうもないからつまらないね。まったく最近の若いもんは教養っちゅうのがないから。あたしらの時代はさ――」
エイミーは確信したように、受話器をひったくると叫んだ。
「お婆ちゃん、なにしてんのよ !? いい加減にして!」
エポラールはその声を耳にして、はっと我にかえったようだった。
ディッキーは祖母と孫娘のやりとりを横で聞きながら、この一か月半ほどの混乱になんとか筋道がつく予感に打たれていた。
そのとき、本部長室にある私室へ通じる、暗褐色をした胡桃の扉が開いて、柔らかな足取りでリッキーが部屋に入ってきた。




