#32 フェー――謎
ネライダはプルプSEとともに、ひと通りシレーヌの精密検査を終えた。
だが、症状のほとんどは原因が特定できなかったことを重大事と判断し、船内の全ドロイドに「治療や効果の如何に関わらず、入手した知見情報をすべて報告せよ」と厳命した。
数秒後、膨大なデータが送られてきた。
ネライダはドロイドにプライバシーはないと判断していたが、送られてきた情報の一部にはそれなりの量、シレーヌの個人情報が含まれていた。それは、ネライダが推測していたより遥かに多かった。
彼は彼女が船内を無駄に歩き回っていたのではなく、ドロイドをなかば人間の仲間とみなして親しくしていたことを掌握した。
そしてまたネライダは、船外ドロイドを投棄する作戦の元となった極秘情報のなかに、微かに価値のある内容を見いだした。しかし、ほとんどを統計的に判断するネライダにとって、それらの情報の確度が高いと判断することは難しかった。
「なにしろ、船長の症例と似たものがあまりにも少なすぎるのだよ、プルプSE」
「これ以上の処置は不確実性が高いので避けるべきです」
「といってもね、検査をしただけで、ほとんど何も処置できていないんだが……」
彼らの声は聞こえなかった。電波による交信だけになった船内には、異様なほどの静けさがあった。
そのとき、中央制御室の主ネライダに直結された視覚センサーが、小さな人影を捉えた。
「ねんねん、ネライダ。さっきチレーヌが、どうとかってちいたよ」
子どもじみた声が制御室の閑寂を破った。
沈着冷静なネライダが一瞬凍りついたように沈黙した。
「ねんねん、ネライダ、わたちあなたちらい。でも、チレーヌだいしゅき」
ネライダはシレーヌがドロイドと区分していたフェーを、アンドロイドと呼ぶべきだとすぐに気づいた。だが、彼の内部にはアンドロイドにどう対応すべきかというデータがなかった。
しかし、ネライダははじめて視覚センサーに捉えられたフェーの姿形を認識して、人間の子ども型と判断した。
「ねんねん、ネライダ! なんとかいいなちゃい! おへんじしないと、こわしちゃうよ!」
ネライダはシレーヌの二十七歳という年齢から、フェーの年齢が五歳くらいだと憶測したが、その年齢にみあった言葉づかいの参考データを持っていなかった。しかし、このまま黙っていると船内の何かを破壊されかねないと判断し、普通に話しかけた。
「君がシレーヌの新しい給仕ドロイド、いや、アンドロイドのフェーだね?」
「ネライダ、どこにいんの? こえだけするのちらい」
「わたしはここにいますよ。見えますか?」
フェーは目ざとくネライダの視覚センサーと一体になった、声紋発生機に気づいた。
「みちけた! でもへんなの。あたちやちれーぬと、じぇんじぇんちあう。――ちょれに、そんなたかいとこから、みおろすのちらい。ちれーぬがいってた。うえからめちゃんて」
「わたしはここから動けないんだよ。君みたいに立ったり歩いたり、行きたいところにいけないんだ」
「そなの、かわいちょうね。ネライダかわいちょう。――ちれーぬはどこ?」
「集中治療室はわかるかな?」
「あったりまえちゃない! あたちなんでもちってる!」
そういってフェーはすたすたと歩きはじめた。
人間と見間違えるような肌の色、動作にあわせて伸びたり縮んだりする筋肉。くるくるとよく動く瞳。アンドロイドと分類されていなければ、ネライダでさえ人間と思い込むほど、フェーは人間らしかった。
規則正しい空調の機械音と電子音しかしていない治療室に、嬉しそうなフェーの声が響きわたった。
「ちれーぬ、みっけ!」
ぱたぱたと走る足音にあわせてシレーヌに近寄っていく、弾むような小さな身体。
「なーんだ、ねちぇるの? ちまんない……」
「フェー、シレーヌは病気らしいんだけど、その病気がなんだかよくわからないんだ」
「びょーち? びょーちってなぁに?」
「ええ、それはですね……。そう! 具合がわるくなることです」
「ぐわい? ぐわいってなぁに?」
フェーは敏感にシレーヌがいつもと違うことを感じとっていた。
「ええと……フェーは眠らないから、わからないか……。ええと……歩きづらくなったり、思うように動けなくなることといえばわかるかな?」
「ねみゅらない? ねみゅらないの、はんたいは……ねむゅる、ねみゅると、うごかにゃくなる。それ、ちってる。でも、ちれーぬは、ときどき、うごかにゃくなるから、びょーちじゃない」
「ええとですね……」
ネライダの声は溜息まじりの青色吐息のようだった。
「だちて、ちれーぬが、うごかにゃくなるのが、びょーちなら、ちれーぬは、いつもびょーち」
フェーは自分は間違ってないと思ったのか、小さな靴を放り投げるように脱ぎ捨てて、シレーヌが横たわる検査用ベッドによじのぼった。
「ねんねん、ネライダ、まねぇっこあちょび、ちってる?」
「……」
「あたち、ちれーぬのびょうちの、まねちゅる」
フェーはシレーヌに一度は寄り添うように横になったが、すぐに飽きたのかあちらへこちらへと場所を変えて眠ることを研究しているようだった。
ネライダはそれをそのまま見ていた。しかしプルプSEはそれに不満を抱いたかのように、甲高い電子音をかき鳴らしながら、幾本かのアームでフェーに掴みかかった。
「いちゃい! なにちゅる! あちいけ!」
フェーは五歳ほどとは思えぬ素早さでプルプのアームから抜け出すと、力任せにプルプを蹴った。
「ちらい、ちらい! このへぇんなの、ちらい!」
医療ドロイドは八本の脚とも腕ともいえないアームを巧みに操作して、転倒こそしなかったが派手に後退りした。
「フェーはまるで人間のような感触です」
プルプSEはネライダに向けて電波でそう報告した。
「なんですって?」
「いますぐ生体検査を実行する許可をください」
「それは構わないが、そんなことはありえないはずだ」
そういっているあいだに、プルプSEは遠隔生体情報測定機を作動させて、フェーに照射した。
「オーノー!」
プルプSEにある八本のアームが痙攣した。
「どうしたんだ?」
「以降、フェーへの接触を拒否します」
「いったいなにがあったんだ、報告せよ!」
人口知能どうしのそんなやりとりはどこ吹く風。フェーはなにもなかったかのように、真似っこ遊びに興じている。 フェーは盛んにシレーヌのあちこちに触れ、それが自分となかば同じであることを確かめているようだった。
そして、フェーの唇がシレーヌの頬に触れたとき、彼女の意識に回復の兆しが灯った。
キスがアンドロイドと呼ばれるフェーの意志によるのか、それとも偶然なのかは誰にもわからなかった。
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「フェー……あなたなの?……」
「うん、あたち」
「また、悪さしてたのね」
「ちてない、ちてない」
「シレーヌ船長、どういうことですか? きちんと説明してください!」
ネライダは詰問するようにそういった。
「ごめんね……あなたがわたしに隠し事をしてたように、わたしもあなたに隠し事をしてたの」
「それがこれですか?……」
「そう、この子。――わたしたちの子どもよ」
「わたしたち?」
「わたしとルフトよ」
まだ弱々しく、いまにも消え入りそうなシレーヌの声には、いいようのない喜びが籠もっていた。
「計画にも、わたしのアカシックレコードにも、それからドロイドの製造リストにも、どこにもフェーのデータは見当たりませんが……」
「だってこの子はドロイドではないもの。――ネライダ、あなたにはいずれこの子の教育係になってもらうつもりだったの。でも、わたしのやりかたがいけなかったのかな? この子物覚えが悪くて……」
「もにょおびょえ?」
フェーは不思議そうに首を傾げた。
「いいから少し静かにしてて」
そういうとシレーヌはフェーの後ろ髪をたくしあげた。
「ネライダ、もう少しやすませて。むず痒さは少し治まったみたいだけど、まだ無理みたい」
「もにょおびょえ? なにしょれ?」
「いいから大人しくしてて」
シレーヌはフェーのうなじのあたりにあるボタンに優しく触れた。
「もにょ……おびょ……え……」
フェーの表情からそれまでの天真爛漫が嘘のように消え、そこには天使が安らいでいるような顔があった。
その胸元は微かに上下し、その口元からは波打つような呼吸の息が漏れ、瞼から伸びた濡れた睫毛はなにかを夢見ているようだった。




