#30 ストレンジ――兆候
原因不明の破壊行動を起こした、船外ドロイドという荷厄介を下ろした《リヒト・スヴィエート号》は、地球を目指してぐんぐん加速していた。
すでに0.97cを超え、0.98cに到達しようとしていた。
加速度は重力制御によって、船内を1Gの状態に保つために転用され、居住区はもちろん、すべての区画の重力状態をこれまで以上に安定させていた。
シレーヌは自室でリラックスしながら、リストコムを通じてネライダと話していた。
「なにしろ、ドロイドへの工作は誰かが仕込んだものとしか思えない。ネライダ、あなたはどうしてそう考えられないの?」
「ですから、それは何度も説明しました。いくら同じ質問をされようと、わたしからの答えは変わりません」
「あなた、意固地のうえに頑固ね。まあ似たようなものだけど」
「いいえ、違います。意固地は間違いがあると想定していますが、頑固にはそれがありません。ですから、意固地といわれるのは構いませんが、頑固といわれるのは心外です」
ネライダは不服そうにいった。
「じゃあわたしが頑固だというわけ?」
シレーヌはネライダが表示している立体表示UIに視線を投げた。
「そうはいってません。なんといいますか……船長は少し極端すぎるのでは? もっとも、それはわたしから見てですが」
「困ったわね。この船にはあなた以外にわたしを評価する人がいないんだもの。でもそれだと客観性がなさすぎる」
「では、比較的高知能なドロイド何体かに聞いてみますか? 例えば新たに給仕ドロイドになったフェーとかはどうですか?」
ネライダの声は面白がっているようだった。
「それは駄目ね。あの子は頼りないうえに、発想が突飛すぎるの。それに、どういうわけか悪戯好きだし」
「それは主人に似たのではないですか?」
「ネライダ、それってわたしのこと? あなた最近皮肉がうまくなったんじゃない?」
「さあどうでしょう。わたしはあらゆることにバランスを求めるようでして」
「そうかもしれないわね。でも、いいかたを変えれば優柔不断でしょ。まあ、わたしに決定権があるから、あなたは提案係みたいなとこはあるけど。――さてと……」
シレーヌはなにか飲み物でもと立ちあがった。
自動生成されて運ばれてくる、飲食物パックが保管されている棚までそう距離はなかった。だが、彼女はその手前で軽い目眩を感じた。
「うわ、立ちくらみ……それに何か匂う……」
ネライダはそれには何も答えなかった。プライバシーの範囲と判断したのだ。
シレーヌは破れた飲食パックがないか点検した。しかし、その様子はなかった。
「これ珈琲の匂い? だとしたら深煎りのかな? 宇宙屋はブラックに限るんです! 乾杯! か……懐かしいわね。――でも待ってよ。船内に飲食物の匂いなんてするわけないじゃない。あたしの鼻がおかしいの?……」
シレーヌは無意識にリストコムを嵌めた側の手をぽりぽりと掻きはじめた。
我慢ならなくなったのか、彼女はリストコムを外し、その部分を見た。
「なにこれ? どういうこと? 日焼けしてない部分があるじゃない……」
手が無意識に頬を、太腿や尻、背中を掻きはじめる。
「駄目だわ……痒みどめが入りそうね」
シレーヌは囁き声でそういうと、脱衣しやすい服に着替え、リストコムをしないまま部屋を出ていった。自室から中央制御室へ向かう通路の途中で、堪らなくなって叫んだ。
「ネライダ、わたし様子がおかしいの……。ネライダ、聞こえてるんでしょ? なんで黙ってるのよ……。あ、いけない。わたしリストコム忘れてきたんだわ……」
中国区画に置き忘れた電磁波防護ゴーグルが脳裏に浮かんだ。
シレーヌは頭が朦朧とし身体から力が抜けたのか、壁に手をついて半身を預けた。
すぐそこに"SC-04"と表示された緊急用船内通話器がぼやけて見える。
パネルは修理ドロイドによって交換され、昔の面影はなかったが、シレーヌの脳裏に暴走したカルマールの姿が蘇った。
「怖いわ……。フェーはどこにいるの? あの子は肝心なときにいないんだから……」
彼女は崩折れそうになる身体を引きずって、なんとか制御室にやってきた。
「ネライダ、わたしなんだかおかしいの……」
視覚センサーでシレーヌの様子を捉えたネライダはすぐに反応した。
「集中治療室に向かってください。歩けますか? 無理ならすぐに医療ドロイドを行かせます」
「ネライダに検査してもらわないと……」
覚束ない足どりで治療室に辿りついたシレーヌはすぐにベッドのうえに横になった。
ネライダが無言で全身をくまなく検査してゆく。
SEと書かれた医療用ドロイドのプルプがてきぱきと動いている。
「ねえ、あの子はどうしてじっとしてるの……。REって書かれたプルプ……」
「どういうわけか、REは船長への接触を拒否しています。わたしにも理由はわかりません。しかし――」
「プルプは暴走しないんでしょ?……」
「恐らくは。――以前暴走したカルマールより遥かに高機能で優秀です。高QX電磁共振回路を備えていますから」
「その高Qなんとかって、暴走の原因じゃなかった?……」
「大丈夫です。高QXに反応する電離カスケードはいまのところ発見されてませんので」
「いまのところ、ね……でも、プルプは……きっと平気よ……」
「ともかく、二体は連携して船長のこれまでの生理データはあまさずSEに記録されていますので、安心してください」
「機能は……停止してないみたいね……だって、体を取り巻いてる発光ラインが……ときどき光るもの……」
シレーヌは検査ベッドに横たわったまま、動かないプルプをぼんやりと見つめている。
「綺麗ね……流れ星みたい……水色の星……白い星……。でも、規則的じゃない……。かといって……完全に不規則でも……ない。ねえ、ネライダ、わたし……全身がむず痒いの……それに、とっても眠い……」
そう囁いたあと、シレーヌは気を失った。




