#3 ネーミング――中間目標
宇宙では時間は流れない。
それを雄弁に物語る証言がある。年単位で宇宙航行をした者たちが口にした言葉だ。
「確かに時計はあった。それを基準に任務は行われた。だけどね、それはすぐにまやかしになった。宇宙では、誰かと関わること。――それが時間だった」
シレーヌにとっての時間も、ある時から自然とそうなっていた。
変わり映えしない漆黒の宇宙など、もはや関心の対象としなくなったシレーヌは、いつものように中央制御室へ足を踏みいれた。
ネライダは、センサーで彼女の生体信号をすぐ捉え、カメラで追いかけはじめた。シレーヌはそれには目を向けずにいった。
「ネライダ、とくに異常はないわね? 船外作業のほうは順調?」
「はい、大きな問題は見当たりません。特に報告するようなことはありません」
「それで、船の速度と現在位置は?」
「速度は0.95c、現在地は X-30903 Y-80853 Z-20918 です」
「ネライダ、それではわからないわ。速度はいいとしても、座標ではなくどの星系かいってくれない?」
「それには、お答えできません。本船は名前のある宙域にはおりませんので」
「そう、もうそんなに遠くに来たのね。でも、人間てのは座標や数値じゃ実感が湧かないのよ。非名称宙域では仕方ないけど……なんとかならないの?」
「どうすればいいですか?」
「そうよ! つまり、わたしたちが名前をつければいいのよ。どちらにしても、計画では0.97cに到達した地点が中間目標だから、それまでの仮称ね」
シレーヌは面白い遊びをみつけたかのようにはしゃいだ。
「しかし、本部との共通了解がない限り、任務にとっては意味がありませんが」
「それはそうよ、ネライダ。でも、少なくともわたしにとって無意味じゃないわ。それにあなたとわたしにとっても無意味じゃない。さあ、今いる宙域の名前を考えて」
「そういわれましても、わたしにできるのは、既に使われている名前との重複を、検索照合することくらいですが」
「これだから人工知能は困るわね。文学的才能ってのがね……まあいいわ、わたしが候補をあげるから、あなたは重複をチェックして」
こうして、X-30903 Y-80853 Z-20918 を含む宙域は"龍宮"と名付けられた。
「始祖鳥ってのも素敵じゃない? 有史以前まで遡ってみたいけど、それはできそうにない。でも、ロマンがあるわ」
「はあ、さようですか。わたしにはよくわかりませんが」
「ネライダ、あなたとは随分と文学を語りあってきたはずよ。でも、相変わらず論理一辺倒。――ねえ、『ブレーメンの音楽師』憶えてる?」
「あれは面白い話ですね。驢馬のうえに犬が乗り、そのうえに猫が乗ってさらに鶏が乗るお話でしたね」
「そう、面白いお話じゃない?」
「でも、彼らは目的を達成できていませんが」
「うるさいわね、いいからその口を閉じてらっしゃい。まったくあなたは……。それでΘ係数の変動はどうなの?」
「それがですね」
ネライダは気まずそうな渋声で、
「さきほど、±1.0を超えまして――」
「そう、でも中間目標はもうすぐ。そこで180度回頭して帰還コースに入るんだから、そう大きな問題とはいえないわね」
「確かに仰るとおりですが、なにしろデータがないもので」
「この宇宙はそんなものよ。すべてのデータが揃ってるわけじゃないわ。とにかく、何かあってもシミュレーションどおりに実行するのが、あなたの仕事よ。――わたしは、これから運動がてら船内の点検にいくわ。何かあったらリストコムでね」
「了解しました」
シレーヌは足取りも軽く制御室を出ていった。




