#24 シビル・ウォー――珈琲
「実はですね、あの電話をいただいたとき、血の気が引いたんです」
ディッキーの顔には、絵に描いたような緊張感があった。
「では、《リヒト・スヴィエート号》と本部の通信も断絶したんですか?」
ルフトは今もなお断絶したと決めつけられないでいる。
「断絶といっていいかと思います」
「そうですか……」
微かな一条の光が闇に飲まれてゆく。
ルフトは胸の奥で必死に信じてきた光明が消える、闇の濃さに呻いた。
ディッキーは、老紳士の落胆が想像していたより遥かに大きいと感じ取ったが、自分のなかで組み立てた手順を揺るがせにはしなかった。
「とにかく、ある時期から《リヒト・スヴィエート号》に関する情報は、極秘と機密の中間状態なのです」
「なぜそんなことに? 宇宙機構は国際と名乗ってはいても、国際機関ではなく、巨大民間事業ですから、人事、契約、ないしは部門長が責任を負う以上のことにはなり得んでしょう。もしや――」
「その、もしやといって差し支えないかと」
「軍との関係ですか?」
「そうです。電話でも少しお話しましたが、謎の宇宙船と異星人らしき遺体、あの件が表沙汰になってから、軍の態度が変わりましてね」
二人の会話を破るように内線電話が鳴った。
「すみません、ちょっと失礼します」
ディッキーはいいながら、口の前に人差し指を立て、"静かにしていてください"と訴えた。
「はい。……なんだ君か、驚くじゃないか。電話は一切禁止だとあれほどいったのに……なに? また今日もか。とにかくどんな口実を使ってもいい。やり過ごしてくれ。……なに? 責任はわたしが取る。いや、今日だけはなんとか凌いでくれ。……なんだって? だからそれは……うん、ああ……いいや、それはさすがに駄目だ、さすがにそれは許可できない。……ああ、そうだ。だから、それはわかってる。うん、うん……では頼むよ、エイミー」
電話を終えたディッキーの額から汗が吹き出していた。
「大丈夫なのかい? なんならわたしのほうは、日を改めても構わないんだが。一番知りたかった肝心なことは一応、聞けたのだから」
「いいえ、平気です。むしろ相談に乗ってもらいたいんです。それほど経験のない若造がどんなに背伸びしたところで、軍を相手に交渉するのは容易ではありませんからね。いや、もちろん、ルフトさんさえよければの話ですが」
「では、さっきの電話は軍からの催促ですな?」
「スナップ軍司令官からです」
「というと?」
「北部条約機構の軍司令官です」
「もしや、南部同盟連合からもなんらかの圧力があるとか?」
「はい、そのとおりです」
それを聞いたルフトは、腕を組んで背もたれに寄りかかり、長い溜息をついた。
「ディッキー、わたしらの時代も軍とはあれこれあったのだよ。けれどもヴァルト、つまり君のお父さんが悠然とした人だったから、なんとかなってきたんだ。――わたしなど、その点では微塵も役に立たなかったよ。すると、この十年以上で宇宙機構の立場も相当に変わったということか……」
「そうですか、父が……」
二人はしばらくの間、それぞれ胸のうちで錯綜する不安や不満、あるいは恐怖を思案するかのように押し黙っていた。
傾いてきた西日が、テーブルに置かれたティーカップの影を少しずつ長くしてゆく。
「ことによると南北戦争だね、この状況では」
沈黙を破ったのは、ルフトだった。
「そういうものですか? でも、あの時代と違いすぎます。市民戦争はアメリカにとって大きな痛手でしたが、今の南北は国際社会を巻き込んでいますから、規模が違うかと。いや、それどころか、太陽系はもちろんその外側にさえ影響しかねません」
「だから、《リヒト・スヴィエート号》との通信が断絶したともいえる訳だね」
「ありえないとはいえません」
ルフトは、話せば話すほど沈鬱な表情になっていくディッキーを見ているのが辛かった。
「すまんが、珈琲をいただこうかな」
「ではわたしが」
「いや構わんよ。自分でやるから。それぐらいは老人もできるからね。君も飲むかい?」
「では、いただきます」
「ブラックでいいのかな? ん?」
「もちろんです! 宇宙屋はブラックに限るんです!」
二人の笑い声が応接室に響いた。
「我らが宇宙機構の心意気は健在で、わたしは嬉しいよ。――それ! ブラック珈琲ができあがりましたぜ。管制官殿」
ルフトは大きなマグカップに注がれた深煎り珈琲をディッキーに手渡した。
「これはこれは、ありがとうございます。設計官殿。――では、我らが宇宙に乾杯!」
「乾杯!」
カップが触れあう鈍いくぐもった音が弾けた。
「それにしても、懐かしい眺めだね」
ルフトは朱に染まった光線が差し込む、掃き出し窓からみえる風景に見とれていた。
「それで、今後どうされるおつもりで?」
「もちろん、通信断絶の復旧にかかるよ。αが駄目ならβ 、それが駄目なら γ、それでも駄目ならδ、ωまで随分先がある」
「しかしそんな簡単ではありません。宇宙機構でさえお手上げなんですよ」
「君はそういうんじゃないかと思ったよ。だがね、わたしは気が長いほうなんだ。シレーヌのことを何年待ちつづけてきたかな? ――かれこれ五十年だよ。残された時間がどれくらいかはわからないが、あと十年や十五年は待てるはずだ。だから、それまでになんとかできれば……。君の奥さん、リッキーはいま幾つかな?」
「今年四十です」
「わたしがシレーヌと会えるのは運が良くて、彼女が四十歳になっている頃だろう。そのときわたしは八十五歳だ。正直、君らが羨ましいよ。そういうことなんだ。君らはまだ若いじゃないか。どうしてそんなに簡単に諦められるんだい? わたしは君と面会するために、ホテルの部屋を一か月押さえたよ。最近の若い人たちは、気が短すぎやせんかね?」
「そういわれると返す言葉がありません。しかし、あなた一人でなんとかするおつもりですか?」
窓辺で夕焼けを眺めていたルフトはくるりと向き直ると、ディッキーの目を見つめた。
「そう、一人でなんとかする。いや、一人とはいえんね。老いてはいるが親切で気のきく使用人もいる。頑固だが気の強いエポラールもいる。彼女はお喋りだが、口外すべきでないときは貝のようになる。もちろんこれは半分冗談だがね。――とにかく、軍の目を誤魔化すには、わたしは今までと変わらないでいるのが大事なんだ。いまこうして君と話していることだって軍は知っているだろう。さっきの電話から推してもまず間違いない。それほど彼らは間抜けではあるまい。わたしの時代もそうだった。宇宙機構の職員にもスパイはいた。北軍や南軍から出向してきた人たちがなにをしたか、よく見てきたつもりだよ。だから、われわれがそれを躱すためには、今までと変わらないことが重要だ。連絡の方法に困るのはもとより承知だが、そこは知恵を絞るしかあるまい」
「わかりました。その点は厳重に警戒して、わたしの信頼できる部下に連絡を取らせるようにします。機密の直通回線が整うまでには時間もいると思います。重要な情報は直接誰かを差し向け口頭で連絡を取るというのでどうですか? それならお互い負担も少ないかと。わたしが最も信頼しているのは妻です。彼女にも旅をさせるときが来たのかもしれません。アラバマばかりにいては、彼女の為にもならないかと」
「それと、各国の政府との関係はどうかな? 相変わらず弱いようであれば、強化をしておいたほうがいいかもしれない。政治で軍に対抗はできまいが、役立つ面はあるはずだからね」
「そうですね。政治は今も宇宙機構の弱点ではありますので」
「ヴァルトもさすがそこまでは手が回らなかった。もしも、交渉上手なエポラールがいれば……いや、止めておこう。今ここで"もしも"の話をしたってどうにならない。――これでおおよその話はついたかな?」
「そうですね、なにかあれば人を送ります」
ディッキーのブラウンの瞳と窓から差し込んだ夕陽が混ざりあい、彼の目は赤土色に燃えていた。
「わたしもホテルに戻らねばならない。夕飯もあるしね。今日はこれで失礼しますよ」
「ルフトさん、ありがとうございます。これからも宜しくお願いします」
「こちらこそ。珈琲と紅茶、ごちそうさま。奥さんによろしくね。それでは失礼します」
「そこまでお送りします」
「いいや、結構。いつもと変わらず、ふんぞり返っていればいいんだ」
にっこり笑ったあと、ルフトは背広の上着を手にとり、執務室の扉へと足を進めた。
「ああそうだ、ここに案内してくれた女性。シレーヌといったかな。名札にそうあった。――ディッキーあれは君の仕込みかい?」
「いいえ違います。単なる偶然です」
「そうかい。では、彼女に伝えてくれんか。『あんまり美人だったから心臓が止まるかと思った。老人を殺すようなまねを二度としてはいけない』とね。――ああそうだ、それから」
といいながら、ルフトは鞄から、LEDの入った箱を取りだしてディッキーに差しだした。
「これはささやかな感謝の印だ。あんまりカリカリせんほうがいい。腹がたったら、これの数でも数えるといい。あれでは秘書さんが可哀想だよ。それではまた」
麻栗樹材の扉が静かに閉まったあと、ディッキーの胸には得もいわれぬ感動が押し寄せていた。




