#20 ハイヤー――車中
ルフトを後席に乗せた、黒塗りの超電導送迎車は森閑を引き連れて走っていた。
彼の邸宅はアメリカ中部コロラドにあった。国際宇宙機構の設備が集中するカリフォルニア、テキサス、フロリダ、そして本部のあるアラバマに向かうには、好都合な中間地といえた。コロラドからアラバマまで約二千キロ。多くは飛行機を利用して移動する。現役時代に自家用機や社用機でなんども飛んだコースだったが、引退後その自家用機を手放してしまった。それゆえ、空港での煩雑な手続を避けたかった。
それに、時速三百キロを超える超電導車で、専用道を疾駆すれば、所要時間に大差はなかった。なるべく手間を省き、時間を無駄にしたくなかったのだ。
ルフトの見たところ、超電導交通システムは非常に良くできていた。猛烈なスピードで流れる近景は専用道わきの壁に阻まれて見えない。しかし、少し遠くへ目をやると、適度な速さで流れる街や緑豊かな大地、過酷な砂漠が自然と目に入ってくる。
――人間の生理にみあった設計だな。しかし、この高速度で旋回しているのに座席が傾かないのはどうも気持ちが悪い……。でも、彼女はこういう無重力のなかで長い時間を過ごしてきたのだ。――いやまて、あの船にはわたしが設計したネライダと重力制御があるんだから、そうともいえんか……。わたしも歳を取った……自分のしてきたことを忘れかけている。というより、頭で考えることと体が感じていることの違いかな。それにしても、なんともいえない浮遊感だ――。
彼の科学者的な黙想を、物珍しさに目を見張っていると思ったのか、運転手が話しかけてきた。
「旦那さん、リニアははじめてですか?」
「ああ、実はお恥ずかしながら」
「わたしゃこの仕事が長いんですが、退屈になったもんです。自動運転なんてのは便利は便利なんですが、いうなれば睡魔のもとですわい」
ルームミラー越しに、運転手が呵々と笑う顔が見えた。
白いカバーが掛けられ、ふっくらとした座席の感触には似合わない、垢抜けなさがあった。
「昔は大変でしたが、なんといいますか、もっとなにか世界が生き生きとしていたんですよ。歳ですかねえ。街も人も、やかましく見えたもんです。最近はなにもかも似たようになって、一抹の寂しさを感じますわい」
「あなたは、少なくともわたしよりは若いでしょう?」
そういって、ルフトはダッシュボードにある運転者証に目をやった。そこにある顔写真から、運転手の年齢を六十代と見積もった。
顔写真の下にある名前は、ヴァルトだった。
――まさか !?――
彼は一瞬、我れを失ったが、運転者証の写真とルームミラーに映る顔を観察して、すぐに別人だと判断した。しかし、居心地の悪さを追い払いたくて口を開いた。
「運転手さん、お名前はヴァルトなんですね。――いやあの、わたしの旧友に同じ名前の者がおりましてね。つかぬことをお伺いしますが、ご出身はどちらですか?」
「世間には名前の同じ人間なんていくらでもいますでしょう。――わたしゃロシアで生まれたんですが、あっちこっち転々として、それでアメリカですよ。でも、わたしゃロシア人ではありませんぜ。四分の三アメリカ人てとこですわい。――ロシアはどうにも好きになれなかった。親から聞いたからって信用できるわけじゃないんですが、この"ヴァルト"ってのは、もとは"バルト"だったらしいんですが、いつのまにやらこうなったんですわい。ご存知ですか? バルト三国は?」
「たしかエストニア、ラトビア、それから……」
運転手がそのつづきを補った。
「リトアニアですね」
ルフトの脳裏にかつて親善研修で訪れた、北欧とも東欧とも、かといって中欧ともいえない不思議な佇まいが呼び起こされた。
「そういえば、その三国には、有名な電波望遠鏡や天文台、それに人工衛星の製造施設がありますね」
「旦那さん、宇宙に詳しい方ですか? これは奇遇だ。わたしゃその辺のお話しが大好きでね。もっとも趣味でして、専門的なことはわからんのですわい。もしかして、かつてはその方面のお仕事をされてたとか? ――ああそうか、だからアラバマなんですね。あそこには宇宙機構の本部がありますもんね」
――どこまでどう話したものか。正直に話しても構わんのだが、そんな義理があるともいえんし……。それにしても、この男もまた孤独を抱えているのかもしれない。ロシアという星から打ち上げられ、アメリカという星に辿りついた。でも彼はそれを卑下していない――。
「いいや、わたしも、趣味みたいなものです。星を見るのが好きでね。それだけですよ」
ルフトは話をあわせるように無難な答えを選んだ。
「そうですかい。――そういえば旦那さん、例のニュースはもちろん知ってますよね。謎の宇宙船と、異星人らしい遺体。わたしゃそういうのに大変興味がありましてね。まあ、人に話すと『子どもじみてる』と馬鹿にされるんですが、好きなものは好きなんですから、仕方ないですわい」
「そうですね、そればかりはどうしようもないです」
そっと閉じられたルフトの瞼の裏に、シレーヌの面影が浮かんだ。
「そうしますと、旅の目的が宇宙機構じゃないとすると、旦那さんは元軍人さんですかい?」
「いいえ、ただの一般人です」
このときルフトは、正直でいることと愉快であることの難しさを感じていた。
「これは噂なんですがね、宇宙機構と軍は最近うまくいってないらしいんですよ。あくまでも噂なんですがね。ただね、わたしゃ軍隊みたいのも好きでね。ロシア生まれのせいですかね? 勝利とか万歳とかいう掛け声を聞くだけで、血湧き肉踊るんですわい。いやこれはアメリカ人もかわらないでしょう。勝利、そして万歳。いい響きじゃないですか?」
ルフトは、ヴァルトないしはバルトという名の男が口にした、シンプルな直感に思わず吹きだしてしまった。
光は光! 勝利は勝利! 万歳は万歳! 確かになにも変わらなかった。
「しかしまあ、三つ子の魂百までですな。いくらロシアが好きになれないといってみても、この身体を流れる血だけは、アメリカ製にするわけにもいかんのでしょうな」
運転手とルフトとの他愛のない会話は、アラバマまで途切れることなくつづいた。
その日、暮れてゆく太陽に寂寥はなかった。
コロラドで邸宅を見下ろす杉の木は、夜の訪れとともに昼間に溜めこんだ糖分で、今夜もまた成長しようとしていた。




