#16 ルフト――緑の光
三階建ての邸宅の庭には、一本の杉が天空を目指してそそり立っている。
その大木を見上げている老紳士の手には水晶が握られていた。それは光の干渉によって孔雀目のような模様を浮かびあがらせながら、なにかに応答するように輝いていた。
「植えたのは17歳の秋だったな。随分立派になったものだ」
白髪の老紳士は、三十メートルもの高さに育った杉を飽かず眺めてから、名残惜しそうに背を向けると、邸宅へと入っていった。
庭に忘れ去られたように据えられたポストには、"ルフト・ドルヒェ・フォン・ミーアハイム"と記されていた。
白髪の老紳士は、ゆっくり三階へと階段をのぼると、邸宅には不似合いな金属製のドアを開けて、室内へと足を運んだ。
部屋は電子機器の操作盤が設置された大きなデスクと、その前に置かれたゆったりした肘掛け椅子でいっぱいになるほど狭かった。
老紳士は椅子に体を落ちつけると、小さな写真立てを手にとり、そこに写った若い男女の姿に目を細めた。それは、シレーヌが発着場から宇宙に飛び立つ、三日前に撮られたものだった。
国際宇宙機構の制服を着た、22歳のふたりの表情には少しも屈託が見られなかった。
「あれから五十年か……」
声の主は容貌こそ老いたものの、間違いなくルフトだった。
「シレーヌ……」
老人の指はかつて傍にいた温もり思いだせるかのように、写真のなかのシレーヌを指で撫でつづけた。
そのとき、デスクの片隅に灯っていた、緑色のランプが消えた。
「寿命か。――LEDは予備を買っておいたはずだな」
ルフトは、引き出しをあけ、目当てのものをすぐに探しだし、交換しようとした。
「はじめてLEDが切れたときは、心臓が止まる思いだったな。シレーヌとの命綱であることは今も変わらないが」
しかし、交換したLEDはうんともすんとも反応しなかった。
「保存期間は長くて十年のはずだが?」
ルフトがパッケージを確認したところ、それは三年前の製造ロットだった。
「ばらつきがあるのかもしれないな」
しかし、新たに交換したLEDも反応を示さなかった。
つぎつぎに箱から出されるLED。
「なぜだ、どうしたんだ、まさか《リヒト・スヴィエート号》との通信が断絶したとでも !? そんなことがあってたまるか!」
だが、ルフトが何度LEDを交換してみても、緑色のランプは死んだように光を放たなかった。
彼は階下に通じる電話機を取りあげると、使用人を呼びだし、新しいLEDを大至急買ってくるようにといいつけた。
いたたまれない時間が過ぎていく。
それまで何度も見た悪夢が、閉じてもいない瞼に執拗に浮かんでくる。
コンピューターを起動させ、屋外のアンテナに異常がないことを確認する。それでも心休まらず、ルフトは僅かな時差で通信ができる宇宙船へと回線を繋いだ。迷惑顔ひとつせぬ友人の飛行士がすぐに画面に現れ、ひとしきりの世間話を交わす。そうしながらも、階下から聞こえてくるはずの使用人の足音に耳を澄ます。時計の秒針の音が耳障りなほど響いている。
「屋外アンテナも、コンピューターもおかしくない。ではやはり。いいや、そんなことがあってはならないんだ!」
ルフトはどうすることもできない絶望感に襲われ、頭を抱えた。自然と涙が零れる。彼は使用人に一縷の望みをかけてじりじりしながら待った。
一時間もしないうちに、使用人が新品のLEDを手に戻ってきた。
しかし、緑色のランプは光を取り戻さなかった。
ルフトは、折れそうな心を励まして、屋外回線の電話機を持ちあげた。
――はい、国際宇宙機構本部です。
女性オペレーターの無邪気な声。
「大至急、本部のヴァルト統括本部長に繋いで欲しい」
――申し訳ありませんが、どちら様ですか? お名前を頂けますでしょうか。
「ルフトだ。ルフト・ドルヒェ・フォン・ミーアハイムだ。七年前にそこを退職した者だ。ヴァルトには、ルフトといえばわかる。長い付きあいなんだ。早くしてくれ」
――ルフト・ドルヒェ・フォン――。
「いいから早くしてくれ、どうしても確かめたいことがあるんだ。これは、宇宙機構の将来にとっても重要な用件なんだ。頼むからさっさと繋いでくれ」
受話器の向こうでやりとりする、当惑する声が漏れ聞こえる。
「いいからヴァルトを出せ! わたしは国際宇宙機構の計算機科学部元副本部長のルフトだ。なにか文句があるか! ヴァルトを出せ!」
それは、温厚で知られる彼がそれまで一度も見せたことのない高圧さだった。




