#14 エグザミネーション――認知
シレーヌの健康状態は順調に快方に向かっていた。
彼女が回復するまでに、地球の国際宇宙機構の送信回線 α から届いた通信はたった一通だけだった。また、ルフトとシレーヌを繋ぐ個人回線 β も似たような状態だった。
シレーヌは船内通路を歩きながら、その事実を噛み締めていた。
「こうなることは初めからわかっていたこと。でも、おかしくなくて? 《リヒト・スヴィエート号》は"龍宮"宙域で180度回頭し、地球に近づいているはず。速度もそれほど減じていないのに。どうしてなの?」
すでに、出航してから受け取ったルフトからの通信はすべて点検を終えていた。シレーヌは、手にしたタブレットで宇宙機構から送られてきた通信文を読みながら、無造作に足を運んでいた。文書の八割はすでに確認を済ませ、残りはあと少しだった。
シレーヌの向かう先には、中央制御室があった。
「ネライダがどうしてもっていうから、承知したけど、あと少しなのよね。いまは邪魔されたくないんだけど。――ああ、もう着いてしまうわ」
彼女が中央制御室に足を踏み入れたのは、約三か月ぶりだった。
「ネライダ、いうとおりにしたけど、どうすればいいの?」
「これはこれは、シレーヌ船長、お久しぶりです。顔色もいいようで」
制御室の天井にあるネライダの視覚モニターはすぐに彼女の姿を捉えた。
「それでは、そのまま集中治療室へ行ってください」
「どういうこと? わたしはほら、こんなに元気よ」
シレーヌはカメラに向かってアピールした。
「ええ、それはわかっています。でも、念のためです」
「あらそう。で、何をするの?」
「頭部と視覚の検査です」
「……例のあれね。日焼け痕はわたしの生理面が原因じゃないかというあれね」
シレーヌの顔に薄っすらと不安がよぎった。
「検査の結果、異常がなければそれでいいのです。さあ、治療室へ」
「わかったわ。そのかわり、さっさと済ませてちょうだい」
「今回は優秀な助手が二体に増えましたので、検査はあっという間です」
「それはそれは心強いことで」
「船長、そのタブレットは置いていってください」
「はいはい、かしこまりました」
そういうと、シレーヌはタブレットを制御室にあるシェルフに収め、固定具をかけた。
室内に入った彼女は思わず驚きの声をあげた。
「プルプが二体もいるじゃない!」
「そうともいえますが、二体は同じではありません。正式には、AZ-747-SEとAZ-747-REです」
「ややこしいわね。Mk-ⅠとMk-Ⅱでいいんじゃない? わたしには見分けがつかないわ。――それで? わたしはここに横になればいいのね」
シレーヌは検査台に上っても休みなく口を動かしていた。
脱ぎ揃えられた一組の靴、そして二体のプルプ。
「ねえネライダ、いま気づいたんだけど、あなたはいつもドロイドを二体一組で運用するけど、なにか理由があるの?」
「広義にいえば、二重系統での運用が義務づけられているからです。もっとも本船のドロイドに同じ形式は存在しませんので、正確にいえば主副系統ですが」
「そういえば、人間にも似たようなところがあるわね。いま検査している目。それに肺や腎臓、あと耳、鼻――」
「船長、息を吸ってそのまま止めて、じっとしていてください」
シレーヌは次々に湧きあがる疑問の悩ましさを手放すように、目の前の検査機器を見つめていた。
「それから、その件はそう簡単にお話しできるほど単純ではありません。他には卵巣、精巣が代表的です。というより腕、脚、手足といったように見ていけば、人体のほとんどの器官が一組だというほうが早いです」
「脳もそうよね!」
「シレーヌ船長、静かにしてください」
「仰るとおりです。右脳と左脳、そしてこれは主副とはいえませんが、機能としていえば、直感と論理はデュプレックスともデュアルともいえない面があります。これに意識と無意識を加えれば、分類は極めて困難になります」
医療機器が発する微かなノイズを、シレーヌの溜息が数瞬かき消した。
「船長、検査は終了です。視覚とそれに関連する脳神経にはまったく異常が見られません」
「それはよかった。じゃああの日焼けの原因は?」
「率直にいって原因不明です。環境要因でも身体要因でもないとなると、そうとしかいえません。ただ一点、憶測としていえることがあります。これは心理学の範囲になりますが、確証バイアスである可能性はあります」
「古々代人のカエサルがいったことね。『願わしいものなら喜んで本当だと思い込む人間の一般的な傾向』。ということは、わたしは日焼け跡がないことを望んでたの? でも、あの当時はトラブルだらけで、身も心も不安定だったんだから、ああいうことがあってもおかしくないんじゃない?」
治療室には、えもいわれぬ空気が醸成されたようだった。
「それはありえますが、正直なんともいえません。船長が日焼け、もしくはリストコム、あるいは他のなにかに対して、非常に強い興味関心があった。そのために、日焼けしていない白い部分があるはずだと思い込んだ、とはいえますが。あくまでも憶測です。客観的医学的にそれを証明することは現在は不可能です」
「主観の問題ね。でもネライダ、あなたにも……ああそうね、あなただってそれは知れない立場よね」
「はい、そのとおりです」
「まあいいわ、ようするに気楽にしていろ。考えすぎるな、執着しすぎるな。そんなところよね」
「なんと申し上げていいものか、いうなればこうですね」
検査台の左右に陣取っていた、二体のプルプが腕を広げ掌を上にして、"お手上げ"のジェスチャーをした。
シレーヌはそれぞれのプルプの頂部を優しく撫でさすった。
「わたしもネライダも、プルプたちもある意味じゃなにもかわらないのね。検査ってのはこういうためにあるかどうかは知らないけど、確かに安心はできたわ。――それじゃネライダ、わたしはもう仕事に戻っていいわね?」
「結構です。問題ありません」
シレーヌはきちんと揃えておいた靴を履くと、いま一度そっくりなプルプに視線を注いだ。
「ネライダ、この子たち見分けがつかなさすぎなの。なんとかしてくれない? さもないと」
そういって、胸ポケットに忍ばせていたマジックペンをドロイドのカメラに写した。
「わかりました。すぐに対処します」
――人工知能やドロイドは電子回路でコミュニケーションができるけど、わたしにあるのは、この目と耳と口なのよ。見たいように見えたとしても、それを信じるしかないじゃない――。
シレーヌは胸のうちでそう嘯きながら、治療室のすぐ隣にある中央制御室へ颯爽と歩いていった。
時をおなじくして、ネライダは彼女の検査結果の一部が静的アーカイブに隔離されたことを感知した。
しかし、データの内容はもちろん、概略すらネライダの知るところではなかった。




