#12 クエスチョン――事情
シレーヌは震える足を引きずって部屋の奥へと歩くと、投げ出すように長椅子に身を預けた。
Θ係数からはじまり、立てつづけに起こった幾つかのトラブル。それがもたらした恐怖は、数値や概念による部分が多いといえた。しかし、重力加速度やドロイドの襲撃はそうではなかった。彼女は、遠くから徐々に迫ってきた現実の恐怖に打ちのめされていた。
鋼鉄の腕に鷲掴みにされた痛み。狂った機械的な警告。金属同士が激突する破壊的な轟音。
いま、それらは跡形もなかったが、シレーヌは蘇ってくる恐怖を抑えつけようと、いまいちど変形したドアに目を向け、冷静になろうとした。
聞こえるのは、循環する機械的で不気味な空調音だけだった。
左腕のリストコムに視線を落とし、ネライダとの通信が確保されているのを何度も確認する。腕輪型のそれをずらし、あるはずの日焼けしていない白い肌を探す。だが、その痕跡はない。
部屋を見渡せば、かつての散らかり具合はどこにもないほど、何もかもがきちんと片付けられていた。
それは、暴走し破壊されたカルマールが整理整頓したものだった。
「なんでよ、どうしてよ、なんでなのよ」
シレーヌの目から涙が零れた。
――この部屋にあるものは馴染んだものばかりなのに、手に取るのが怖い……でも、なにかに触れずにいると不安で堪らない……ルフト、わたしどうすればいいの?――
「そうだわ!」
彼女は閃光に打たれたように立ちあがると、デスクに置かれた小型立体映像再生器を手にとり、データアーカイブとの回線を開いた。すると、二十代後半になったルフトの映像が現れた。
「やあシレーヌ、元気にやってるかい? こっちは特に変わりはないよ。いわゆる"ぼちぼち"だね。この"ぼちぼち"って言葉、君はあんまり好きじゃなくて僕のこと笑ったけど、便利なんだよね――」
「あの人ったら――」
シレーヌの頬が緩んだ。
「それはともかく、ネライダのことなんだけど。――この話、君に伝えるか随分悩んだんだ。きっと君は『無責任な人ね』と僕を責めることは確実と踏んでたからね。でも、僕のことを信じて聞いて欲しい――。実はね、ネライダには僕でさえわからない部分があるんだ」
一瞬、彼女の全身に緊張が走り、瞳が見開かれ、言葉が迸った。
「じゃあ……ネライダも、カルマールみたいに暴走するかもしれないの?」
「設計者として恥ずかしい限りなんだけど、これには深い事情があるんだ。それに、僕自身まだ君に伝えられるほど自分のなかで整理できていないんだ。でも、このまま黙っているのは、君に対してあまりにも不誠実で卑怯なことをしていると思えてね。ごめんねシレーヌ。でも、僕は君を信じてる。それにネライダのこともだ。こんなこと何の保証にもならないけど。でも君も、僕とネライダを信じて欲しい。我儘なのは十分わかってるつもりだよ。でも、信じて欲しい。――幸運を祈るよ、シレーヌ。また連絡するね」
シレーヌは順次再生される、ルフトの――しだいに年齢を重ね老いてゆく――映像を見つづけていた。映像が切り替わるしばらくのあいだ、室内には空調音だけがあった。
四十代になり白髪が見えはじめたルフト。
「――それでね、ネライダの基本設計は既に君も十分飲み込んでいると思うけど、彼は、いや実際のところ彼か彼女かは決められないけど、とにかく従来の人工知能とは一線を画してることは知っているよね。で、それに関してなんだけど――」
そのとき、リストコムに青いランプが灯った。
「船長、ネライダです。聞こえますか?」
シレーヌの顔に緊張が走った。
しかし、青灯がついたときに伝えられるのはよいニュースであることから、彼女の肩から力が抜けていった。
「船長、シレーヌ船長、どうかしましたか?」
「なんでもないわ、ネライダ。少しショック状態みたいで、頭が朦朧としてるだけ。用件はなに?」
「カルマールの件です。WS-135は予定通り、エアロックから廃棄しました。ですが、彼のブラックボックスを解析したところ、暴走の原因がおおよそ推測できました」
「つづけてちょうだい」
「第一義的な要因はΩ級の中性子星かと思われます。そうであれば、船長の仰った宇宙線による日焼けの件とも多少は辻褄があうのです。でも、宇宙線の件はあくまでも憶測の域を出ません」
「それで、カルマールはどうして暴走したの?」
「恐らく、電磁パルスの影響かと。普通、中性子星はミュー粒子を発するのですが、これは非常に安定性が低くすぐに崩壊し、ほとんど無害な電磁波になります。しかし、その際に起こる電離カスケードという現象がありまして、それとドロイドの量子コンピューターに搭載されていた、高Q電磁共振回路が反応しあい、電子情報が反転したと思われます」
「もう少しわかるように説明してくれない?」
「つまり、電離カスケードと高Q電磁共振回路が反応し、通常"0・1"という信号を送るべきところ、それが反転し"1・0"という信号になってしまった。――WS-135は船長の指示に対して従順であっただけに、それが反転されたとき非常に攻撃的になったと考えられます」
「なるほど、納得できる話ね。――それで、宇宙線もミュー粒子が原因だと?」
「いえ、それは不確実です。そもそも日焼けは紫外線によるもので、宇宙線の場合は日焼けではなく被爆、つまりDNAに変異を起こすものです。ゆえに、考えられるのは近くにある恒星からの紫外線ですが、本船にそのような影響を与える恒星は近くにないのです。したがって、日焼けの件に関しては、船長の身体的ないしは神経系統に何かあるのではないかと……。いまいえるのはそこまでです」
「では、Ω級中性子星から離れたほうがいいんじゃなくて?」
「しかし、そうすると窒素の入手先を失いますので、船内の大気を通常状態に維持することが困難になります」
「毒性大気のせいね」
「そうです」
ひとしきり専門的なやり取りが続いたあと、シレーヌは意を決したようにネライダに訊ねた。
「ねえ、あなたにこんな質問はしたくなかったんだけど、あなた、カルマールのように暴走する可能性はあるの?」
「……大変申し訳ないのですが、その質問に正確な答えはありません。――これは機密事項ですので、本来船長にもお伝えできないことなのですが、現在の状況を総合的に顧みましてお話します」
シレーヌの喉が固唾を呑むようにごくりと鳴った。
「わたしは、自身の内部に不可知な部分があることを知っています。しかし、不可知と判断されたデータは静的なアーカイブに隔離され、わたしでさえアクセスすることはできないのです」
ネライダは神妙かつ真摯な口調で話つづけた。
「そのアーカイブにアクセスできる権限は、シレーヌ船長とルフトさんだけです」
「ルフトはそれを知っていたのね?」
「ええ、知っていました。――彼はそのことをあなたにどう話すべきか、何度もわたしと検討を繰り返しました。懐かしい限りです。おそらく、彼は二十代前半ではなかったかと」
「あなた、ルフトの顔を知ってるのね?」
「もちろんです。しかし、わたしの知るルフトさんは、その頃だけです」
「でも、何百回も彼からの通信を受けて、わたしに見せてくれたじゃない。あなたも見たでしょ?」
「プライバシーの問題です。わたしは、船長のこともルフトさんのことも尊重しています」
「ネライダ、あなたって……」
シレーヌはこのとき、ネライダに優れた人間性を強く感じた。
「船長、その……権限のことですが……つまり、アクセス権ですが、それは二重防御になっています」
「わたしとあの人が同時に許可を出さない限り、誰もアクセスできないわけね?」
「その通りです。また、この件は国際宇宙機構の本部も預かり知らない機密事項です」
「そう、わかったわ。わたし、あなたを信じることにするわ。――だって、あなたは大して人間と変わらないんだもの。いや、人間より賢いかもしれないわね。――自己言及のパラドクス。人って、自分のことを一番わかってると思い込むものよね。その点に意識があるだけでも、相当に立派なものよ」
シレーヌは、鬱積した不安と恐怖を溶かすような、夏の陽射しを感じていた。
「それと船長」
「まだなにか隠し事があって?」
「いいえ、ありません。――ですが報告があります。すべてのドロイドを点検し、WS-135と同じ高Q電磁共振回路を搭載する個体は機能を停止させました。回路を取り除き次第、復旧させる予定です」
「仕事が早いわね。その問題のあったドロイドは何体あったの?」
「十三体です」
「それはおおごとね。ドロイド工場は閉鎖状態。復旧も増産の見込みも立ってないものね」
「そのとおりです。――それと、これから船長室のドアを交換させるために、修理ドロイドを差し向けます。もはや危険はないと思いますが、よろしいですか?」
「ええ、いいわ。でも、わたしはしばらくここで、ルフトからの記録を再点検するわ。あなたのことも、もう少しきちんと知りたいの」
「わかりました。何かありましたら、声をかけてください」
「ありがとう、ネライダ」
遠くから聞き慣れたドロイドの歩行音が近づいてきたが、もはやシレーヌに恐怖心はなかった。




