第36話 その方がよろしいと思いましたのね
アストレア公爵邸の庭園。
穏やかな午後の時間が流れている。
セリアは花壇の前でしゃがみ込み、小さく首を傾げていた。
「少し元気がありませんわね」
視線の先には、色のくすんだ花。
水は足りている。
日当たりも問題ない。
だが、どこか調子が悪い。
「……」
少し考える。
理由は分からない。
だが。
「こちらの方がよろしいかしら」
手を伸ばす。
触れる。
それだけだった。
空気が、わずかに整う。
目には見えない変化。
だが、確かに存在する変化。
花の色が、ほんの少しだけ戻る。
「まあ」
セリアは微笑む。
「良くなりましたわ」
それで終わる。
特別なことではない。
ただの手入れの一つ。
その様子を、セレスが見ていた。
静かに。
動かずに。
「……」
低く、呼吸のような音が漏れる。
視線が、花壇へ向く。
セリアが離れた後。
セレスが、わずかに頭を下げる。
触れることはない。
だが。
空気が、揺れる。
ほんのわずかに。
調整される。
均される。
花の色が、さらに戻る。
「……」
ノエルがそれに気づく。
「……今のは」
「……見たか」
カイルが小さく言う。
「はい」
「……やったな」
「ええ」
一拍。
「学習しています」
その言葉に、全員が黙る。
理解してしまったからだ。
セレスが。
“セリアのやり方”を再現した。
「……」
レオネルが静かに息を吐く。
「やめてくれ」
本音だった。
だが、止まらない。
「……模倣か」
「違う」
ノエルが首を振る。
「最適化です」
「……」
言葉が続かない。
その方が、正確だからだ。
セリアが振り返る。
「どうかなさいました?」
「……いや」
レオネルが答える。
「何でもない」
「そうですの?」
「何でもない」
繰り返す。
説明できない。
説明しても意味がない。
「まあ」
セリアは微笑む。
そして、再び花壇を見る。
「セレス」
自然に呼ぶ。
「はい」
古竜が応じる。
それが当たり前であるかのように。
「こちらも、少しお願いできますかしら」
「……可能だ」
短い返答。
セレスがゆっくりと動く。
花壇へと視線を落とす。
同じように。
セリアと同じように。
空気を整える。
均す。
静かに。
確実に。
花が、整う。
健康な色へと戻る。
「まあ」
セリアが嬉しそうに微笑む。
「ありがとうございます、セレス」
「……問題ない」
それだけだった。
「……なあ」
カイルが小さく言う。
「何だ」
「増えてるぞ」
一拍。
「“あれ”が」
「……ああ」
レオネルが頷く。
「環境がな」
庭全体が、静かに整っていく。
過不足なく。
無理なく。
自然に。
「……これ」
リリィが小さく言う。
「お庭、すごく良くなってません?」
「はい」
ノエルが即答する。
「全体的に安定しています」
「……」
全員が黙る。
理解している。
これは庭ではない。
環境そのものだ。
「……広がるな」
カイルが呟く。
「はい」
ノエルが答える。
「確実に」
セリアは何も知らない。
ただ、少し整えただけ。
ただ、名前を付けただけ。
ただ、一緒にいるだけ。
それだけで。
世界の方が、変わり始めている。
「その方がよろしいと思いましたのね」
セリアが穏やかに言う。
誰に向けた言葉かは分からない。
だが。
それが、すべてだった。




