第31話 見なかったことには出来ませんわよね
王都アルヴェイン――アストレア公爵邸。
門前には数台の馬車が並んでいた。
「本日はお招きいただき、感謝いたします」
先頭の馬車から降りた貴族が、形式通りに頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました」
公爵が応じる。
やり取りは完璧だった。どこまでも、貴族社会の作法に則っている。
ただ一つ、問題があるとすれば。
庭に、古竜がいることだった。
「……」
最初に気づいた者が、言葉を失う。
視線が固定される。
呼吸がわずかに乱れる。
「……あれは」
誰かが呟く。
「古竜、でございます」
執事が淡々と答える。
説明としては正しい。
だが、何も解決しない。
「……なぜ」
問いが浮かぶ。
当然の問い。
「お嬢様のご判断により、こちらでお過ごしいただいております」
完璧な説明。
そして、完全な意味不明。
「……お過ごし」
言葉を繰り返す。
理解しようとする。
だが、途中で止まる。
「……」
貴族たちの思考が、静かに崩れ始める。
否定するべきか。
現実として受け入れるべきか。
どちらも選べない。
「ごきげんよう」
その時、セリアが現れた。
いつも通りの微笑み。
いつも通りの所作。
ただ、その背後に古竜がいる。
「本日は遠路はるばる、ありがとうございます」
完璧な挨拶。
非の打ちどころがない。
「……ごきげんよう」
貴族たちも反射的に応じる。
体が覚えている。
だが、思考が追いつかない。
「どうぞ、こちらへ」
セリアが手を差し出す。
庭園へと誘導する。
古竜のいる方向へ。
「……」
一瞬の逡巡。
だが、断る理由がない。
貴族として、ここで引くことは出来ない。
歩く。
一歩。
また一歩。
距離が縮まる。
古竜が、そこにいる。
動く。
わずかに首が動く。
「……っ」
誰かが息を呑む。
だが、何も起きない。
ただ、そこにいる。
「大丈夫ですわ」
セリアが穏やかに言う。
「とても大人しいですもの」
その言葉が、最も信用できない。
だが、否定できる材料もない。
「……失礼ながら」
一人の貴族が口を開く。
「危険では、ないのですか」
「はい」
セリアは迷いなく答える。
「ございませんわ」
断言だった。
「……」
誰も反論しない。
できない。
「お茶のご用意も整っております」
セリアが続ける。
「どうぞ、こちらで」
指し示す先。
古竜のすぐ近くに、テーブルが用意されている。
「……」
全員が固まる。
「……正気か」
誰にも聞こえない声が漏れる。
だが。
セリアは当然のように席に着く。
優雅に。
完璧に。
「……」
貴族たちも、座る。
座らざるを得ない。
逃げるという選択肢が、存在しない。
「本日は良いお天気ですわね」
セリアが言う。
「……ええ」
誰かが答える。
内容は理解していない。
ただ、返した。
その背後で、古竜が静かに息を吐く。
風が揺れる。
茶器がわずかに震える。
「……」
誰も、その方向を見ない。
見たら、何かが壊れると分かっている。
「お菓子もございますのよ」
セリアが嬉しそうに言う。
「甘いものはお好きかしら?」
「……はい」
反射的に答える。
思考は、すでに機能していない。
「よろしければ、どうぞ」
手が伸びる。
震えながら。
だが、止められない。
一口。
食べる。
「……美味しい」
本音だった。
その瞬間。
全員が気づく。
これは、日常だ。
ただの、日常だ。
古竜がいるだけで。
「……なるほど」
一人が小さく呟く。
「これは」
一拍。
「見なかったことには出来ませんな」
それが結論だった。
否定できない。
逃げられない。
受け入れるしかない。
「まあ」
セリアが微笑む。
「気に入っていただけて何よりですわ」
その言葉で。
すべてが確定した。
古竜がいる庭で、紅茶を飲む。
それが、この家の日常なのだと。




