黒猫
村を出て数日――俺は深い森の中を進んでいた。
陽の光すら届きにくい、静まり返った森。
道は細く、視界の端を黒い影が横切る。
「猫……?」
気づけば、一匹の黒猫が少し先に立っていた。
じっとこちらを見つめ、くるりと背を向ける。
――ついてこい、と言わんばかりに。
なぜか、迷いはなかった。
俺は、その後を追った。
森の奥へ、奥へと。
やがて 十字路にでた。猫は森の中へと姿を消した。
十字路の中央に、古びた木の看板が立っている。
根のようにねじれ、苔に覆われたそれには、かろうじて文字が残っていた。
――>ノルヴァ砦中都市へ
<――アオバ村へ
どちらも、長い年月を経て朽ちかけている。
「……ノルヴァ」
そう呟いたときだった。
ふと、景色が赤く染まっていることに気づいた。まるで夕焼けのようでいて――どこか、淀んだ色。
空を見上げる。
無数のカラスが、円を描くように飛んでいた。
ざわり、と背筋が凍る。
その異様な光景に、息を呑んだ――そのとき。
「――ねえ」
すぐ後ろで、声がした。
振り返る。
いつの間にか、ひとりの少女が立っていた。
年の頃は、自分とそう変わらないだろうか。
飾り気のない服に、透き通るような白い肌。
どこか儚く、それでいて――不思議と目を引く存在だった。
けれど。
どうしてだろう。
その瞳だけが、妙に深くて――底が見えない。
すっと――意識が、溶けた。
◇
気づけば、知らない町に立っていた。
石畳の道。
白い壁の家々。
夕日に染まる、穏やかな街並み。
初めて見るはずなのに――
なぜか、懐かしかった。
少女「遅いよ」
隣から声がする。
振り向けば、さっきの少女がそこにいた。
当たり前のように。
ずっと前から一緒にいたかのように。
少女「ほら」
そう言って、手を差し出してくる。
迷うことなく、その手を取った。
温かい。
ミナト「ごめん、リディア。なんか夢を見てたような...」
それが、当たり前だと思えた。
親友のようで、恋人のようで――
いや、それ以上に大切な存在。
そんな感覚が、胸の奥に自然と根付いている。
並んで歩く。
笑い合う。
何気ない時間が、ただただ心地いい。
やがて、町外れのベンチに腰を下ろした。
夕日が、ゆっくりと沈んでいく。
隣に座る少女が、そっと俺の頭をなでた。
リディア「……きれい」
小さな声。
優しく、愛おしむように。
「こんなにも、混じりけのない心……」
その言葉の意味を考えることもなく、
ただ、その手の温もりに身を委ねる。
「ねえ」
柔らかな声が、耳元で響く。
「私を、幸せにしてくれる?」
考える必要なんて、なかった。
迷いも、疑いもない。
「……はい」
自然に、そう答えていた。
その瞬間。
◇
気づけば、森の中に立っていた。
「……?」
何かがおかしい。
だが、その違和感を考える前に――
目の前に、それは現れた。
黒い、巨大な猫。
ミナトの3倍はあるだろうか。
その体は実体を持たず、もやのように揺らめいている。
輪郭すら曖昧で、ただ――
目だけが、はっきりと存在していた。
黄色い渦。
見ているだけで、飲み込まれそうな感覚。
次の瞬間。
――来る。
本能が、危険を告げる。
黒い巨体が、わずかに揺らいだ。
次の瞬間、地面が弾ける。
「っ――!」
反射的に後ろへ跳ぶ。
風を切る音。
直後、さっきまで立っていた場所が抉り取られていた。
速い。
速すぎる。
思考が追いつかない。
――逃げろ。
頭の中で、警鐘が鳴り響く。
逃げなきゃ。
逃げなきゃ。
肩にかけたマジックポーチが、やけに重く感じた。
足がもつれる。
振り返る。
そこには、もう...いた。
迫る黒。
視界を埋め尽くす、黒いもや。
振りかぶられる前脚。
避ける――間に合わない。
咄嗟に剣を構える。
だが。
次の瞬間、視界が弾けた。
衝撃。
体が宙を舞う。
そのまま、背中から木に叩きつけられた。
「がっ……!」
肺の空気が、一瞬で抜ける。
息ができない。
痛みが、遅れてやってきた。
胸が、焼けるように熱い。
「は……っ、は……」
呼吸が浅い。
視界が、揺れる。
立たなきゃ。
逃げなきゃ。
なのに――
体が、動かない。
足音。
近づいてくる。
終わる。自分の体へ視線を落とす。左腕はちぎれ、三本の深い爪痕が、肉を引き裂いている。
血が、どくどくと溢れていた。
あぁ...死んだ。
そう、理解した瞬間――
ズッ、と。
意識が、途切れた。




