第5話 北の果てに吹く雪解けの疾風
「世話になったな」
俺は広場に集まっている守り人たちに向けてそう告げた。
出会いから総括すると、思うところはあるにせよ、気の良い連中が多かったと思う。
「使者殿、本当にもう発たれるのですか」
「せめて巫女が目を覚ましてからでも良いのではないですか」
里の古い者たちはそう口々にいう。
俺の背には女神の巫女こと【サクラ】が籠に入って背負われている。
昨晩、ヴァルディに言われてこいつのところに向かうと、サクラから提案された。
その時の会話を思い出す。
『お前は解呪を焦っているみたいだが、このザマでは何もしてやれん。魔力はおろか体力もほとんどなく、またすぐ眠りに落ちるだろう』
『ふざけやがって、ならどうしたらいい?』
『尾が失われている。それを取り戻さん限り、この状態は続く』
『尾だと? しっかり生えてるじゃねぇか』
『やれやれ、わたしは【九尾の巫女】だ。全然足らん』
『は? だったら残りの八本はどうしたんだよ?』
『知らん。いいか、わたしはもう眠い。しばらくすると気を失いかねん』
『おいおい、勝手に寝るな。どうしたら俺の呪いが解けるのかちゃんと言ってからにしろ』
『……わたしを連れて探しにいけ。先ずは、シュヴァイツの……王を、訪ねるのが、いい、だろう……』
『シュヴァイツ? それはどこだ? ん? おい、寝るな! おい!!!』
今朝方、その辺にあった籠にこいつをぶち込んで、今に至る。
結局朝までぐっすりだったが、籠に放り込んだ際、「手荒が過ぎる、それからわたしは【サクラ】という名前があるんだ。お前お前と呼ぶな」と言っていた。
因みに族長へ女神の巫女の名前を教えてやると、涙を流して感動していた。
なにやら「美しい響きだ」とか言っていたが、よくわからん。
「とにかく、こいつの尾を集めなきゃいけないらしい。シュヴァイツって言ったか? 次の目的地はそこになる」
「し、しかし、使者殿。巫女はまだ体調が優れないのでは? そんな粗末な籠に押し込められては余計に悪くなりそうではないかと……」
俺は首をひねって背負っている籠をみた。
確かにおんぼろだし、小柄なサクラといえども窮屈に思えなくもない。
「まぁ、大丈夫だろ。それよりここは島だって聞いたんだが、船はどこかにないか?」
おそらくサクラは一般的な人間の理の中で生きていないはず。
尾さえ戻れば魔力も体調も戻るだろう、きっと、おそらく、うん。
「やぁやぁ“アザールさん”、ちょっと待ってよ」
そう言って野次馬のようにあつまった里の連中をかき分けてやってきたのは、ヴァルディだった。
俺のことを名前で呼ぶようになったらしい。
「みんなも少し焦らず待とうよ。“サクラ様”がアザールさんに頼んで旅に出るらしいよ」
守り人たちはその言葉に動揺する。
ヴァルディは「あ、女神の巫女は【サクラ】様というらしいよ」と付け加えていた。
「ヴァルディか、族長になるらしいじゃねぇか」
「まぁね、だけどアザールさん。それはまだ内緒でお願いしたかったよ」
後継者争いの終結を知る者が少なかったらしく、里には小さな動揺が生じる。
「それはすまなかった。それより船がなくて困ってるんだ、アテはあるか?」
「『それより』っていうのは何だけど、船なら用意しているよ」
「おぉ、さすが族長様だな!」
これはシンプルに嬉しい報せだ。
ヴァルディは「だから族長の件はさ」と小言をいうが、なんでも里として女神の巫女が解放され、巫女が島外に出たいと言ったときのために古くから改修を重ねて準備していたとのこと。
俺が「準備が良すぎるな」とにやけながらヴァルディと会話を続けているときだった。
「アザールさん!! どうか、私も連れていってください!!!」
ティンクの声が、広場に響き渡った。
***
時は少し遡って昨夜、ティンクが”妹”になっていた頃。
落ち着きを取り戻したティンクは、顔が真っ赤になっていた。
「ごめんなさい、兄さん。私……」
ヴァルディから距離をとるティンク。
数年ぶりに触れた兄の体温を懐かしみつつも、幼かった当時と同じようにあやされていることがわかって気恥ずかしくなってしまった。
「あれ、もう終わり? 大きくなった妹をもっと堪能したかったのに~」
おどけるヴァルディだったが、優しい顔のまま、真剣な声色で告げた。
「ティンク、僕の立派な妹よ。使者殿、アザールさんと一緒に旅へ出なさい」
「えっ?」
ティンクは何を言われたのかわからないといった表情になる。
「【黄金の戦士】のことは知ってるね?」
「……はい。ノルディックに伝わる伝説の戦士ですね。獣人たちをまとめて導いたという」
話題変換についていけず、質問の意図もわからないティンクは戸惑いながら答える。
黄金の戦士に関する伝説はもちろんティンクも知っていたし、寧ろ、獣人において知らない者はいないだろう。
ティンクは北極狐の獣人ながら自身が黄金の体毛を持つ特異な存在であるため、余計にその伝説には敏感だったともいえる。
「僕はね、本気でティンクがそうだと思っているんだ」
「そ、それは……、兄さん、でも私は女ですし……」
「ティンクは風属性の魔法が得意だったね」
何度目かの急な話題転換。相変わらず兄の意図が読めないティンク。
ティンクが言葉を発する前にヴァルディは続けた。
「僕たち“守り人”の役目はなに?」
「女神の巫女をお守りすることです」
「その通り。それは今まで封印の地を守ることだった。できれば封印を解きたかったけど、僕たちの力では到底できそうになかったからね。でも、アザールさんのおかげで無事に巫女は解放された」
「その巫女の一命を取り留めたのは、兄さんの力です」
「そういってもらえると嬉しいよ。僕なりに頑張ってきたことが、しっかり成果としてつながってホッとしてるところさ」
そう言ってくつくつと笑うヴァルディだが、ティンクはいまだ兄が何を言いたいのかわからない。
しばらく沈黙が続き、更にティンクがモヤモヤし始めた頃、ヴァルディが口を開いた。
「外に出たいんだろ?」
ティンクの中に強い衝撃が走る。
里の外に出てみたい、島から飛び出してみたい、広い世界を知りたい――。
それは幼い頃からのティンクの夢だった。
巫女を守り、巫女に命を捧げたい、それと同じくらい大切な想いだった。
「いえ、でも兄さん。今私が里を離れるわけには」
「引きこもりだった兄なんか心配、か?」
ティンクは言葉を失う。
そうじゃない、そう否定することは簡単だ。
実際、兄の引きこもりを心配することはあっても、いずれ族長となる兄そのものを心配することなど一度もなかったからだ。
「兄さんは、それで良いのですか」
それは不安からだったのか、寂しさからだったのか。
兄から必要とされていないのか、後継者争いなどという醜いものの結末として敗者は里にいてはいけないのか。
当然、そんなことはないと知っている。
兄は、自分のためを思って言ってくれているのだ。
「私だけ、そんなわがままが許されるのですか」
引っ込んだはずの涙が、また溢れ出てしまう。
兄は何も言わず、優しい笑顔を向けて小さく頷くだけだ。
「ノルディックはまだ不安定です。私たちにはもう、お父さんも、お母さんもいません」
大好きだった両親、強い父と優しい母。
ふたりきりになってしまった兄妹。
「兄さんにばかり、押し付けてもいいのですか」
どんなに里中から非難されようとも、目的を失わずひとり闘っていた兄。
会話がなくても、ずっと心の支えであり続けてくれた兄。
「妹のわがままを聞くのが、兄の最も大切な仕事だからね」
その日、黄金の毛を持つひとりの少女が、人生の大きな決断をした。
***
「私を連れていってください! サクラ様のお世話は私がすべて担います。旅の雑務もすべてやらせてください。だからどうか、私もその旅に同行させてください!!!」
俺は面食らっていた。
ティンクが一方的な要求を俺にしてくるとは想像もしていなかったからだ。
「ティ、ティンク様! お戯れを。つい先日も熊の部族と怪我人が出る衝突が起きたばかりですぞ!」
「そうです! 大鹿の部族も最近はこの辺りまで足を伸ばしてきています。族長が自由に動けない現状、族長間での交渉はティンク様しかできません!」
俺が答える暇もないほどに里の連中が口々にティンクを止めようとする。
ヴァルディをちらりとみると「僕が族長だってさっき聞いたと思うんだけどなぁ」と呑気な様子。
ティンクは里の連中に応えることなく、真剣なまなざしで俺をじっとみつめている。
どうしたもんかと考えていると、数人に抱えられながら族長が、元族長といった方がいいか、やってきた。
「若いもんの門出を祝えん老害にはなるな、見苦しい。族長は使者殿が言った通り、ヴァルディで決まりだ」
開口一番、そう宣言した。
ざわつきは残るが、静かになる。
「使者殿、お前さんからみると弱っちい小娘かもしれんが、ティンクは大切な孫娘。大事に預かってもらえると嬉しい」
「おい、俺は連れてくなんて一言もいってないぞ」
いきなりぶっこんできたが、どうも俺の言葉は聞こえないらしい。
勝手に話を進め、「本当に可愛い子でな、生まれたときからずっと可愛くて……」と語り始める。
「お爺様!! も、申し訳ありません」
流石のティンクも真剣な表情を崩し、やや頬を赤くして間に割って入ってきた。
ヴァルディはくつくつと笑っている。
俺は盛大なため息をひとつ吐く。
「それで、俺は俺のやりたいようにするぞ」
「え? あ、はい」
ティンクは空返事だ。
「俺はこの世界のことを知らない。お前の大切なこいつの世話もろくにしないだろう。だが、俺は誰かを気遣って自分の足をとめることもしない。それでもいいのか?」
キョトンとした顔を見せた後、やっと言葉が理解できたのか、ティンクの顔が徐々にほころぶ。
「はい!!」
ティンクが明るく、だが真剣な声色で返事をすると、俺を囲んでいた里の連中の後方から「よっしゃー!!」といくつもの声があがった。
ずっとティンクを支えていたカーリたちだ。
彼女の離郷にはいろいろと思うところもあるだろうが、結局、彼らはティンクのことが純粋に好きで応援しているんだろうな。
ティンクも彼らに向かって大きく手を振った。
***
「へぇ、思ったより立派な船じゃないか」
「そりゃそうだよ、先祖代々の守り人たちが作っては改修してを続けてきたんだからね」
誇らしげに語る“族長”さん。
ヴァルディから差し出された手を俺は握り返す。
「巫女の解放、感謝する。我が妹と共に巫女の完全復帰も託したぞ」
そう言いながら俺を見る彼の眼は、真剣そのものだった。
だが、思わず俺は「ぷっ」と吹き出してしまった。
つられてヴァルディも大声で笑い始める。
「ひどいよアザールさん、僕は真剣だったのに」
「クッ、すまん、いやなんだ、クックック、任せとけよ、族長さん」
俺は何年ぶりかもわからない心からの笑いが込み上げてきて、それを抑えられない。
最初は出来損ないの兄かと思っていたが、忘れていた感情がこいつとは生まれそうだ。
だが、次の瞬間、ヴァルディはグッと俺の耳元に顔をやり、囁いた。
「僕の本当に大切な妹なんだ。泣かせるなよ。言質はとったからな」
俺でもゾクッとするような声色。
思わず距離をとってみると、そこにはいつもの飄々とした顔があった。
やべぇ、前言撤回したくなるほどにこいつはやべぇかも知れねぇ。
そんな一幕があり、里が総出で船出の準備を手伝ってくれた。
船に乗り込み、改めて守り人たちをみる。
カーリは、「ティンク様~!!」と泣き叫ぶ若い連中の中心におり、静かに小さくこちらに手をあげた。
あいつなりのはなむけなのだろう。
族長はじめ、多くの者がティンクや巫女との別れを寂しがっているようだ。
ヴァルディは口パクだが「わかってるな」と確実に言っている、怖い。
「それじゃあ、行くぞ」
「はい!」
俺の合図にティンクは元気よく返事する。
守り人たちの声がいっそう大きくなった。
「サクラは?」
「自室で休まれています」
「そうか」
最後くらいは顔のひとつでもみせてやれば良いと思うのだが、奴の性格なのか、それとも体調がそこまで悪いのか。
俺が言うことでも気にすることでもないので、特に口には出さないがな。
空は晴れ。ノルディックらしい寒空だが、風が気持ち良い。
異常な極寒地だったこの島にも徐々に雪解けが訪れるだろう。
「今なら里に戻れるぞ?」
こいつがいなければ、この船旅はどれだけ静かだったか――そんな卑怯な期待が、ほんの一瞬だけ頭をよぎる。
小さくなっていく里の連中をみながら、俺は冗談交じりにそう聞いてみた。
「いえ、私は私のすべきことをしますから」
俺の言葉をなぞったつもりなのか、そういう彼女の顔は決意に満ちていた。
ヴァルディから聞いた話だと泣き虫らしいが、最後は涙も見せなかったティンク。
俺はフンと鼻を鳴らし、島から視線を外して船の向かう先を見た。
思っていたより長旅になりそうだが、焦っても仕方がない。
そっと掌に小さな【渇き】を乗せてそう自分に言い聞かせる。
何百年も待った、ようやく可能性を見つけた。
遠くに見えた自分の”死”をこの手に入れるまで、あと少しのはずだ。
俺はノルディックの空に向けて、再度、ソレを投げつけた。
次回、第6話「荘厳の国シュヴァイツ」
新章のスタートです。




