第44話 大海賊サルアンドロ・ラゴ
船から降りてきたひとりの男を見て、俺は警戒度を上げた。
……こいつは危険だ。
実力的には俺からすると大したことない。
ティンクよりは上だろうが、今のサクラでもどうにかなるかもしれない。
だが、死の臭いがキツすぎる。
命のやりとりを数えきれないほどにこなしてきた者たち特有の雰囲気を纏っている。
自分の実力以上の敵も手にかけてきたのだろう。
姑息でありながら、徹底した殺しの技術とこだわりを持っているはずだ。
港に残っている人々は、完全に逃げ遅れたと自覚して女神に祈り始めた。
「サクラ、ティンク」
俺は名前を呼んだだけだが、彼女たちはわかってくれたようだ。
自然と左右に別れ、俺と睨み合う男の視線から離れた。
「さっきの魔法はお前か?」
サクラとティンクの動きに合わせ、海賊たちも俺たちから離れるように左右へ別れた。
「フンッ、お前は相手の技量もわからん程度の雑魚なのか?」
俺はあからさまに挑発してみる。
なるべく俺だけに集中させるように。
「馬鹿言え。挨拶みてぇなもんだろうが」
男はギラギラした風を纏いながら、笑みを深めて言い返す。
俺の懸念は不要だったようで、男は俺だけを見ている。
やりにくい相手だ。
「俺の名はアザール。お前が【サルアンドロ・ラゴ】だな?」
レオンやヴァルデスから聞いた名だ。
アブカリンも“要注意人物”として口にしていたかもしれない。
「いかにも、俺こそが【黒風の肉食鳥】の船長、サルアンドロ・ラゴだ」
互いに自己紹介が終わった瞬間、サルアンドロは風の刃を俺に向けて放った。
俺に向かって飛来するいくつものそれは、港の石畳を音もなく切り裂いてくる。
傷跡から、その攻撃がいかに鋭利であるかは一目瞭然だった。
避けるのは簡単だ。
だが、俺の背後には逃げ遅れた商人や観光客が多数いる。
サルアンドロの風の刃がどこまで届くかもわからない。
彼らは悲鳴を上げて死を直感していた。
ガリッ。
俺は解放していた魔力を風の刃に向けた。
それだけで石畳は削れ、サルアンドロの攻撃は霧散した。
「なんだ、お前は“そよ風”が得意なのか?」
俺は奴の言葉を笑顔で返す。
サルアンドロは何も言わず笑顔のまま、視界がぼやけるほどの風の刃を放ってきた。
あ、キレたな。
***
「ティンク、いけるな?」
それはティンクにとって、この旅が始まって一番の嬉しい言葉だった。
サクラ様が私の力を信じてくださる。
そう感じられたティンクは、先程までの恐怖や倦怠感などすべて忘れ去っていた。
「はい、いけます! 左翼はお任せください!」
ティンクは元気よく答えると、街に迫る海賊たちに向け、魔法を放った。
「風の剛鞭!」
太い帯状の風の鞭が前線の海賊たちを襲う。
致命傷には至らないが、戦線復帰に時間がかかる攻撃。
風の鞭を受けた海賊たちは脚の骨が砕かれ、立ち上がることができない。
「くそぉ! 痛ぇ!」
「あいつ、船長と同じ風の魔法を使うぞ!」
「攻撃は目で追えん! 大盾持ちは前に出ろ!」
海賊たちも世界に悪名を轟かせる黒風の肉食鳥の一員。
ティンクの攻撃を一瞬で見極め、すぐに対応をみせる。
「獣風情が! 調子に乗りやがって!」
「奴の攻撃は痛いが死にはしねぇ。タンクが仕事すりゃ楽勝だ!」
暴言を吐きながらティンクに迫る海賊たち。
彼らはティンクの魔法に溜めが必要だと見抜き、数の有利を活かして攻めに転じた。
「……は?」
だが、ティンクは北極狐の獣人。
人族とは隔絶したバネとスピードを持つ、生まれながらの戦士。
海賊たちは黄金の何かが自分たちの間を抜けていった、くらいにしか認識できなかった。
自分たちの身に起こったことがすぐには理解できず、間抜けな顔を晒す。
気付いた瞬間には脚の腱を切断されており、血を流しながら倒れ込んだ。
「てめぇ、なにしやがる!!」
無事に立っていられた海賊が叫ぶが、ティンクはその男に視線も向けない。
「風の剛鞭!」
ティンクにとっては充分な時間があったのか、再び海賊たちを風の鞭が襲った。
一方、サクラは既に終わらせていた。
ティンクが海賊相手に暴れる姿を認めて、やっと意識を自分の前に向ける。
「俺たちを前によそ見か?」
顔面を怒りで歪ませた海賊たちがサクラの目前に迫っていた。
最初こそ「良い女だ! 今夜が楽しみだぜ!」と下品なことを言っていた彼らだが、目を開けることもなく、意識を別のところに向けているサクラに侮辱されたと怒り狂っていた。
一番近くにいた海賊の振るうカットラスがサクラの綺麗な顔を切り裂こうとした瞬間――
「尼剌部陀」
サクラが一言発すると、海賊たちは動きを止め、手にした武器を落としてしまった。
彼らの全身には鳥肌が立ち、それが潰れ、至る所があかぎれを起こす。
「わたしに何かいったか?」
恐ろしく冷たく、鋭い声で海賊たちに問うサクラ。
海賊たちがそれを聞き取れたかどうかはわからない。
耳の奥深くまであかぎれを起こしていただろうから。
海賊たちに許されたのは、ただ震えることだけだった。
寒さからなのか、恐怖からなのか。
激しい戦闘音が響く左翼と対照的に、右翼側は戦場とは思えないほどに静かだった。
***
ドン・ヴァルデスは島主になって以来、最も焦っていた。
「おい、ロカ! 大丈夫なんだろうな!?」
いつもの老獪な様子とは程遠く、髪も服も乱れ、思春期の少年のようにロカへ言い放つ。
「奴は御館様の名を叫びながら上陸しました。私からは何とも……」
ヴァルデスは自分の執事の物言いに腹が立った。
そんなことはわかっている、それでも確認するしかなかった。
執事の返答は、おおよそ「大丈夫」と言えるものではない。
「クソが! おい、お前はサルアンドロに勝てるんだろうな!?」
唾をまき散らしながら、なおもヴァルデスは叫ぶように確認し続ける。
「わかりません。ですが、御館様だけはこの命に代えてもお護りいたします」
「そんなことは当たり前だろうが!!!」
ヴァルデスは想定し得るいくつもの未来を考えてみる。
だが、いずれの未来も明るいものではない。
大海賊サルアンドロ・ラゴとの取引で欲を出してしまったのが原因だ。
奴は相手が聖職者であろうとも、貴族であろうとも関係ない。
気に入らなければ殺す、ただそれだけの男だ。
若くして島主に上り詰め、長年その地位を守り続けたヴァルデス唯一の失敗。
日陰者とのやり取りにも自信があった。
誰が相手でも自分の思い通りにことを進められる自信があった。
大海賊との取引においてもそうだ。
ヴァルデスは黒風の肉食鳥を相手にしても、自分の方が上だと疑わなかった。
「こんなことで……! たった一度の小さなミスで……!!」
理不尽な暴力を前にして、ヴァルデスは半狂乱になっていた。
贅の限りを尽くした執務室で暴れ、手当たり次第に物を壊して回る。
その腕が振るわれるたび、小市民が何人も食べて暮らせるだけの資産がゴミとなる。
「お前にいくら払ってきたと思っている!? この無能が!!」
ヴァルデスは金細工の美しい万年筆をロカ・ザラルへ投げつけた。
ブルサ王国の誇る伝統的な技術の結晶である万年筆だ。
ペン先はロカ・ザラルの額に当たるが、カツンと高い音を立てて落ちるだけ。
彼は微動だにせず、荒れる主人の暴行を受け入れた。
ひとつの傷もつくことはないが、不快なものは不快だ。
だが、ロカ・ザラルはそれでも表情ひとつ変えず、主人の気が治まるのを待った。
ヴァルデスはロカ・ザラルが魔族であることを知りながら雇い入れた。
完全に信用することは互いになかったが、ロカ・ザラルの強さが欲しくて手に入れた。
人族とは比べ物にならないほどの魔力。
獣人族とは異なる強靭な肉体。
一等地に大きな商館が買えるほどの値段を出したが、ヴァルデスにとっては安い買い物だった。
実際、護衛以外は簡単な身の回りの世話ができれば良いと考えていたが、執事としてもロカ・ザラルは優秀だった。
彼の手腕があったからこそ、ドン・ヴァルデスは島主として長年君臨できたと言える。
「御館様……」
ひとしきり暴れた後、体力がなくなったのか無言で座り込むヴァルデス。
ロカ・ザラルはそんな主人に一言だけ残し、執務室を後にした。
「サルアンドロ・ラゴのもとへ向かいます」
主人から返答はなかった。
ロカ・ザラルは、不要となった主人を捨て、“自分の目的のため”に動き始めた。
次回、第45話「油断大敵」




