第43話 大海賊の襲来
「でも、アブカリンさんは置いてきて良かったんでしょうか」
船着き場に向かって歩いていると、ティンクが心配そうな顔で呟くように聞いてきた。
俺は気の抜けた返事をしながら、サクラの方を見る。
「心配には及ばんだろう。あやつは一度、ヴァルデスの手から抜け出ておる」
食客としてヴァルデスの館にいたアブカリン。
数々の問題を起こした後、島を越えてヴェルネカルタ島まで逃げ延びていた。
俺はアブカリンが自慢げに見せてきたピアスの形をした魔道具を思い出す。
ロカ・ザラルを含むヴァルデスの警備網を突破した事実は運だけでは説明できない。
「大丈夫だろ、多分な」
サクラがどこまで狙っていたのか不明だが、分厚い氷で簀巻にしていた。
あれでは手足に枷をかけて拘束することもできないはずだ。
おそらく、そのまま牢にでも放り込まれただろうな。
ティンクは完全に納得した感じではないが、俺たちの言葉からそれ以上は何も言わなかった。
「良いか、商人とは極力揉めるな。私情を捨て、より先を見据えよ」
サクラがティンクを諭すように言った。
その姿はまるで、師弟関係を思わせるものだった。
こいつはこいつなりに余裕が出てきたのかも知れない。
「なんだ?」
俺がそんなことを考えながら見ていると、サクラが睨んできた。
大げさに肩をすくめ、なんでもないと伝える。
そのまま俺たちは言葉を交わすこともなく、ギルドを目指した。
常にうるさい誰かがいなくなったことで、それはとても静かに感じた。
雲は空に留まるように動きがなく、ミラリアらしい商人の声があちこちから聞こえる。
少しだけ、肌で感じる微風が涼しくなったような気がした。
その時だった――
港の方面に広がる青い海が、まるで墨汁を流し込んだかのように漆黒へと変色していった。
昼下がりの暑さを避けて陰に座っていた商人は、数えていた金貨を落としてしまう。
「なんだ、あれ?」
俺が呟いたと同時に、突如として五感を狂わせるほどの轟音が街を揺るがした。
大気を強引に引き裂いたような、不穏な海鳴り。
静かだった空は瞬く間に重苦しい黒雲に塗り潰され、暴風が吹き荒れる。
「おかしいですよ、あの竜巻……」
天候の変化を肌で感じられるティンクは、信じられないといった表情でこぼした。
明かに自然現象ではない。
だが、人為的なものにしては竜巻の成長速度もその規模も異常だ。
シュヴァイツ王や海竜といったこの世界の“脅威”を目の当たりにしてきたが、今回のものはそれらを凌駕しているようにも感じられる。
「アザール、見つけたぞ」
混乱する街へ駆け出そうとした俺にサクラは告げた。
そうか、やっぱり“お前の”が関係しているか。
俺たちは港へ急ぐことにした。
狂ったように逃げ惑う人々と逆走する形で向かうため、ぶつからないように気を配る。
何度か転倒する者に手を貸すが、正直、全部は救えなかっただろう。
港は阿鼻叫喚といった様子だった。
港に停泊していた何十隻もの交易船は、激しく風と波で揺さぶられている。
まるで子どもが湯船で遊ぶおもちゃのような現実味の無い光景。
「早く! 船を繋げ!」
「少しでも多く荷を降ろせ!」
少なくない数の船乗りたちは、それでも必死に自分たちの資材を守っていた。
命が惜しくないのか、船や荷が無くなることは彼らにとって死を意味するのか。
港にはまだ多くの民が逃げ遅れており、街の兵士たちが叫びながら避難を促している。
ティンクが魔力を練り始めた。
大粒の汗が額に浮かび上がり、かなり無理をしているのがわかる。
「ティンク?」
何も言わず急に無茶をし始めたティンクに首を傾げてしまう。
獣人へ侮蔑的な目が多いこの街では、何かをしようとしているティンクにギョッとして距離をとる人が多い。
中には兵士に大声で「あの獣をどうにかしろ!」と叫ぶ者までいた。
だが、ティンクはそれらに耳を傾ける素振りも見せない。
「反転の暴風!」
ティンクは港に迫る竜巻に向けて、巨大な竜巻をぶつける魔法を放った。
ぶつかり合うふたつの巨大な竜巻。
ティンクは脚を震わせながらも、竜巻から目を放すことなく手を伸ばし続ける。
「くっ……」
漏れ出る苦しそうな声。
伸ばし切った腕の血管が避けたのか、血が滲み始める。
俺が助力しようとした時、ズゴオォンという大きな音を立ててふたつの竜巻が爆ぜた。
ティンクは片膝をついて荒い息を吐いている。
「おいおい、何が始まるんだ?」
竜巻が爆ぜ、爆風のような鋭い風が街を襲う中、俺は港から目が離せなかった。
視界が開けたことで見えたのは、港を覆い尽くすほどの船。
すべての船が同じ旗を掲げており、海賊であることを疑う余地はない。
「戦争でも始まるのか」
その海賊旗に気付いた民は、ガタガタと震え出す。
恐怖は一瞬にして港中へ感染し、気丈に振る舞っていた船乗りや兵士たちも我先にと逃げ始めた。
既に混乱状態だった港は、更に混沌とした様子へ変わっていく。
狂気が支配していた。
『よぉ、ドブネズミのヴァルデス! 用件はわかってるよなぁ!?』
海賊船団の先頭を走る一際大きな船から、拡声の魔法なのか、島中に響くほどの大きな声が届く。
声の大きさが気に障ったのか、サクラは顔を顰めた。
ティンクはまだ立ち上がることもできず、息も整えられていない。
『まさかさっきの“そよ風”を凌いだ程度で良い気になってねぇよな?』
圧倒的な自信に裏打ちされた強者の脅し。
一切の傲りも感じられないその声色は、争いのない事実なのだろう。
ティンクが反応して顔を上げるが、その表情は絶望を示していた。
溜めを伴う全力の一手でやっと相殺したあれは、奴にとってジャブにもなっていない。
『ドン・ヴァルデスを出せ!!』
魔力の乗った声だけで、港にいた多くの者が泡を吹いて倒れた。
「なぁ、サクラ」
「なんだ?」
「ドン・ヴァルデスが出てくると思うか?」
俺はティンクを庇う様に一歩だけ進むと、サクラに馬鹿げたことを問う。
「たわけが、来るわけがなかろう」
思ってた通りの返答があったことで、俺は魔力を解放して港全体を威圧する。
それだけで港を囲んでいた外側の船は押しつぶされ、何隻も海に沈んでいった。
だが、俺の想定以上に削ることはできず、多くの船がゆっくりとこちらに進んでいる。
声の主がいるだろう先頭の旗艦とその周りを囲う船は、何事もなかったかのようだ。
「チッ」
俺は思わず舌打ちをしてしまう。
厄介なことになりそうだな。
息を整えたティンクが立ち上がるが、彼女から感じられる魔力は微弱で乱れている。
目に力強さは戻ってきているが、脚はまだ僅かに震えていた。
「俺を殺してみろよ、ヤドカリ野郎」
船団が港へ荒々しく到着すると、蟻の巣でもつついたかのように大量の海賊がわらわらと降りてきた。
次回、第44話「大海賊サルアンドロ・ラゴ」




