第40話 ヴェルネカルタ島の夜
冒険者ギルドを出ると、俺たちは受付嬢から薦められた宿へ向かった。
改めて街並みを楽しみ、時折店に立ち寄りながら歩いていく。
小さな島々が近く、往来が激しいからだろう。
街にも海を引き込んだ運河が無数にあり、大理石の柱がそれを支えている。
多くの人々が日常的に運河を使って移動しているようだ。
運河にせり出す商館は、尖ったアーチ窓があり、壁面は真っ白な漆喰で塗られていた。
豪奢なバルコニーの真下を支えるのは、精緻なアーモンドの花が彫られた太い円柱だ。
建物はどれも高く、空が狭く感じる。
屋根を金色のモザイクで覆った商館がいくつもあり、威圧するように富を誇示していた。
「……凄いな」
俺は素直に感動していた。
シュヴァイツのような生命力溢れる荘厳さのある街ではない。
ブルサ王国のような工業的に洗練された計画的な街でもない。
ただ純粋な人間の欲と営みによって生まれた街だ。
宿は、そんな街でも一際目立つ建物にあった。
中央広場に聳え立つ通称“金の天秤の塔”。
角張った高い塔の頂上には女神像が佇み、その手には黄金の天秤が乗せられていた。
天秤の皿は時折、カーンという金属音を立てて傾く。
「あれは為替変動を表しているんですよ。こちらから見て右側が帝国金貨、左側が古金貨です。あの高低差を見てその日の為替相場がわかるようになるのが、一人前の商人としての第一歩だと言われているんですよねぇ」
アブカリンの説明に「そうなのか」と相槌を打つ。
俺にはわからない話だが、商人の街らしいなという感想を抱いた。
「ん? おい、お前何で当たり前の様について来てるんだよ」
冒険者ギルドでレオンのところに置いてきたはずなんだが。
ティンクを見ると、逆に不思議そうな顔をされた。
「ギルドからずっと一緒でしたよ?」
俺だけ気付いてなかったパターンなのか。
自分の察知能力の低さに呆れてしまうが、アブカリンを見ると違和感を覚えた。
じっと見ていても、どこか認識し辛さを感じる気がする。
何というか、輪郭がぶれて見えるというか、気配はあるが人間っぽくないというか。
「あらぁ、気付いちゃった? 気付いちゃいましたぁ~?」
アブカリンがまた得意げな顔になった。
サクラは珍しく頭が痛そうな素振りをしている。
「ティンクさんにはまったく効果がなかったみたいですけど、これは世に出してない魔道具でして、名付けて『みつからないくん』です!」
アブカリンは髪を上げ、耳を露出させると、そこには何の変哲もないピアスがひとつ。
「こんなもので認識阻害できるのか?」
小指の爪ほどしかない。
銀色に輝くそれは、よく見ると細い銀線で迷宮模様が刻まれていた。
「効果を疑いますか?」
悪戯顔で楽しそうに聞いて来るアブカリンに俺は答えることができなかった。
「戯言はよい」
サクラの一言で、俺たちは会話を止め、宿へ入っていく。
カーンという金属音がひとつ、また響いた。
***
街のシンボル的なこの建物は、意外なことに冒険者専用の宿だった。
欲望の渦巻く商人の街において、「冒険者が見てるぞ」という威嚇の意味もあるらしい。
冒険者登録をしていないサクラだが、ヴィネグレットに乗っていたため、助けの必要な冒険者の家族扱いということで、宿泊が認められた。
サクラとティンクは二人部屋、俺は個室をとる。
宿で別部屋をとるのは、意外なことに初めてだ。
今までは金銭的な理由から同室だったが、海竜の一件で懐具合は非常に良い。
「じゃあな、アブカリン」
俺が別れを告げると、何故かアブカリンは俺の隣の部屋の鍵を受け取っていた。
先に手続きを終えたサクラとティンクは既に部屋へ上がっている。
「明日の朝までお別れですね。それとも同衾します?」
やや頬を赤らめ、上目遣いで俺を見るアブカリン。
「ここは“冒険者専用”の宿だと聞いたが?」
あからさまな演技を無視して、俺が質問すると、アブカリンは頬を膨らませて大げさに不満を表し、胸元からチェーンの先端にぶら下がった指輪を取り出した。
それは正真正銘、Dランクの冒険者リングだった。
「お前、そんなものまで偽造しているのか」
俺は「早く冒険者ギルドへ自首しろよ」と言う。
アブカリンは怒ってポカポカと俺の胸を叩いた。
「偽造じゃありません! 本物です、ホ・ン・モ・ノ!」
偽物でないことはわかっていたが、意外だった。
アブカリンは「冒険者リングはあたしでも造れないんですよねぇ」と言っている。
こいつにもこいつの事情があるのだろう。
冒険者という存在は、どこまでいっても社会からのはみ出し者が多い。
この世界でも、普通は生まれた土地でその生涯を終える。
アブカリンほどの技術を持っているなら、なおさらだ。
生まれた土地を離れる必要がない。
ましてやこの世界での移動は海を越えなくてはならない。
安全な航路が確立され、経験値が高いといっても、危険が伴うことに違いはない。
「そうか。じゃぁ、達者に生きろよ」
一度、こいつを匿わないと判断した以上、つながりは最小限にしておきたい。
何よりもこいつと一緒にいると疲れる。
俺はそれだけ言うと、自分の部屋に向かって行った。
「いやです! 助けてくださいよ、アザールさん!!」
当然、隣の部屋のアブカリンは後をついて来る。
うるさい。
「さっきあたしの胸元を見たでしょう? 結構大きいですよ、あたし!」
人の目があるところでそんなことを叫ぶな。
サクラに聞かれたらまた面倒なことになる。
あ、ティンクが一緒にいるんだから手遅れか。
「知らねぇって言ってるだろ。大丈夫、お前ならひとりでも生きていける」
俺が突き放すように言うと、アブカリンはまた嘘泣きで声を上げて縋りついてきた。
叫ぶように「あたしは遊びだったのぉ~!」と根も葉もないことを言っている。
同じフロアの客らしい冒険者が部屋から顔を出し、ギョッとした目でこちらを見た。
「だぁー、もう!」
俺は乱暴にアブカリンを肩に担ぎ上げ、自分の部屋へ入ると、そのまま放り投げた。
部屋の外からひそひそと何か言っているのが聞こえる。
絶対に良くないことだ。
床に転がったまましたり顔でこちらを覗くアブカリンを見て、俺は頭を掻きむしった。
どうしてこうなるんだよ!
俺が崩れ落ちるようにその場で座り込むと、アブカリンが頭をポンポンと叩いてきた。
「まぁ、そういう日もありますって!」
……こいつ、世のためにここで息の根を止めといた方がいいんじゃねぇか?
***
「サクラさんは凄い人ですね」
突然そんなことを言うと、「あんな綺麗な人を見たことないです」とアブカリンは呟いた。
「なんだ、急に?」
アブカリンを“俺の意思でなく”連れ込んだ後、紅茶を飲んで一息ついた頃。
そんなことを急に言い出した。
「いえ、レオン様を目の前にして、彼の“商売”を避けられる人はあまりいないですよ」
アブカリンは優雅な様子で紅茶に口をつけると、そう答えた。
「商売? 交渉っていうならわかるが、別に金の話はしてないだろ」
アブカリンを匿ってくれってだけの話だ。
レオンが何の商売をしているのか知らないが、それを商売と言うのはわからん。
「アザールさんはCランクですよね? ルーキーじゃないんですから」
いや、実は登録したてのルーキーだ。
どこか小馬鹿にされた気がしたので、黙っておくが。
「ギルドを通さない依頼なんて危険すぎます。何であの時レオン様がギルドにいたのかはわかりませんが、少なくとも正規の手続きで何かの依頼を出してたんだと思います」
少しずつだが、アブカリンの言いたいことがわかってきた気がする。
ブルサ王が言っていたアレだな。
「おそらく、あたしの指名手配を取り下げるような話か、自分の館であたしを匿って護衛をつけるような話でしょうね」
ありそうな話だ。
前者はともかく、後者の護衛依頼なら違和感は少ない。
島主の館に追加の護衛依頼があったとして、誰か客人でも来るのだろうくらいにしか思われないだろう。
「レオンは良い奴そうだったけどな」
俺の呟きにアブカリンは目を鋭くして、忠告するように言った。
「良い人であることと、人が良いということは、同じではありません」
それはアブカリンらしくない、どこか棘のある言い方だった。
アブカリンは何かを思い出したのか、そう言うと顔に影が差したように見える。
そのまま何も言わず、アブカリンは窓の外を見た。
狭い空は暗くなっていたが、街は光で溢れている。
しばらくアブカリン越しに窓の外を眺めていたが、頭を振って明日の準備に取り掛かった。
俺は茶器を片付け、宿のサービスである洗濯に出す旅装をまとめる。
「そろそろ寝るぞ、部屋に帰れ」
アブカリンに視線を戻すと、いつの間にか寝巻に着替えていたアブカリンがひとつしかないベッドで横になっていた。
わざとらしく空けた自分の横をポンポンと叩く。
「優しくしてくださいね」
俺は部屋の外にアブカリンを放り出し、すべての鍵を閉めた。
次回、第41話「とある路地裏にて」




