嫌われるために
王都では、噂が広がるのが早い。
特に貴族社会では、昨日まで知られていなかった話が、翌日には誰もが知るところになっている。
そして最近、私の名前を含む噂が増えていた。
「リリアーナ様って、やっぱり……」
「何?」
「ほら。以前、仲良くしていた令嬢がいたでしょう?」
「ああ……」
「あの方の家、最近大変らしいわ」
「まあ……」
「それだけじゃないでしょう」
廊下を歩いていると、そんな会話が聞こえてきた。
私は足を止めなかった。
「屋敷の使用人が怪我をしたって」
「殿下が昔、事故に遭われたのもリリアーナ様が原因なんでしょう?」
「だから言われているのよ」
「何を?」
「――あの方は、不幸を呼ぶって」
胸の奥が、ずきりと痛んだ。
けれど、私は歩き続けた。
否定しようと思えばできる。
友人の家の問題だって、私が原因だという証拠はない。
使用人の事故だって、ただの事故だったのかもしれない。
アレクシスの怪我だってそう。
偶然だった可能性のほうが高い。
それなのに。
私は否定できなかった。
なぜなら、私自身が一番その噂を信じているからだ。
午後、王宮からの帰り道。
馬車の窓から外を眺めていると、街の人々が行き交っていた。
子供が笑っている。
母親がその手を握っている。
店先では、主人らしき男性が客と楽しそうに話していた。
当たり前の光景。
私には、その当たり前が少し眩しかった。
「……幸せそう」
思わず呟く。
すぐに口を閉じた。
今の言葉すら、怖くなる。
幸せ。
その言葉を口にするだけで、何かが起こるような気がした。
屋敷に戻ると、父が玄関ホールで待っていた。
「おかえり、リリアーナ」
「ただいま戻りました、お父様」
「今日は王宮だったな。疲れただろう」
「大丈夫です」
「そうか」
父は少し迷ったような顔をした。
「……夕食は一緒にどうだ?」
「申し訳ありません。今日は少し疲れておりますので」
「そうか……」
父の表情が曇る。
胸が痛んだ。
本当は一緒に食べたい。
父と話したい。
昔のように、くだらない話をして笑いたい。
でも。
それを望んではいけない。
「お父様」
「なんだ?」
「……お気遣いありがとうございます」
「いや。私が勝手に誘っているだけだ」
父は笑った。
その笑顔を見るのが辛かった。
「では、失礼します」
私は頭を下げ、その場を離れた。
廊下を歩く。
一人になったところで、ようやく息を吐いた。
「……これでいいの」
自分に言い聞かせる。
父に嫌われたわけではない。
むしろ、父は私を大切にしてくれている。
だからこそ、距離を取らなければならない。
私が父と過ごす時間を幸せだと思えば。
その幸せが、父から何かを奪うかもしれない。
そんなことになるくらいなら。
私は一人でいればいい。
夜。
自室の窓辺に座り、私は王都の灯りを眺めていた。
遠くで馬車の音がする。
人々の話し声がする。
誰かの笑い声がする。
私は膝の上で手を握った。
――不幸を呼ぶ令嬢。
今日聞いた言葉が、頭から離れない。
嫌だった。
悔しかった。
悲しかった。
できることなら、そんな噂を全部否定したかった。
私は人を不幸にしたいわけではない。
誰かを傷つけたいわけでもない。
本当は。
本当は、誰かと笑っていたい。
誰かと一緒に食事をして。
くだらない話をして。
明日もまた会えると、何の疑いもなく思いたい。
けれど――
私は知っている。
幸せのあとには、不幸が来る。
少なくとも、私がそう願ったときには。
「……だから、嫌われたほうがいい」
誰にも聞こえない声で呟く。
「誰も私に近づかなければ……誰も、不幸にならない」
それなら。
私が悪役だと思われても構わない。
高慢で、冷たくて、人を見下している女。
そんなふうに思われたほうがいい。
嫌われていれば。
誰も私を好きにならない。
誰も私に幸せを与えようとはしない。
そして私も――
誰かの幸せを願わずに済む。
窓に映った自分の顔を見る。
そこには、噂されている通りの冷たい令嬢がいた。
けれど。
その瞳だけは、泣きそうなほど寂しそうだった。




