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幸せの代償

 ――昔のことを、夢に見た。

 まだ私が、十歳にもなっていなかった頃。

 屋敷の大広間には、たくさんの花が飾られていた。


「リリアーナ、お誕生日おめでとう」


 父が笑っていた。

 目の前には、大きな箱。

 リボンを解くと、中から白いドレスが出てきた。


「お父様……」


「気に入ったか?」


「はいっ!」


 あの頃の私は、何も疑っていなかった。

 父が自分を愛してくれていること。

 使用人たちが自分に笑いかけてくれること。

 美しい花が咲いていること。

 明日もきっと今日と同じだということ。

 全部、当たり前だと思っていた。


 その日は、とても幸せだった。

 食事の席には大好きな料理が並び、父は何度も私に笑いかけてくれた。

 夜になっても、私はなかなか眠れなかった。

 嬉しくて。

 今日という日が終わってしまうのが惜しくて。

 窓辺に座って、月を眺めながら思った。


 ――こんな日が、ずっと続けばいいのに。


 心から、そう願った。


 翌朝。

 屋敷が騒がしくなった。

 廊下を走る足音。

 使用人たちの慌ただしい声。

 何が起きたのか分からず部屋を出ると、父が険しい顔で立っていた。


「お父様?」


「リリアーナ。部屋に戻りなさい」


「何があったのですか?」


「……使用人が、階段から落ちた」


 頭の中が真っ白になった。

 昨日まで、元気に笑っていた人だった。

 姉のように慕っていた、大好きな人。

 命に別状はなかったが、その後使用人は屋敷を去った。


 それから数年後。

 初めてできた友人と庭でお茶をした日。

 その子といる時間が楽しくて、帰る時間になっても離れたくなかった。


 ――ずっと友達でいられたらいいのに。


 そう思った。


 その数日後、その子の家で事業上の問題が起きた。

 家族は忙しくなり、彼女も遠くへ行くことになった。


 また別のとき。

 アレクシスと庭で遊んだ。

 子供だった私たちは、時間を忘れて走り回った。

 彼が笑った。

 私も笑った。

 あんなに自然に笑ったのは、あれが最後だったかもしれない。


 ――殿下といる時間が、ずっと続けばいいのに。


 そう思った。


 数日後、アレクシスが乗馬中の事故に遭った。

 幸い命に別状はなかった。

 けれど、馬から落ちて腕を怪我した。

 私はその知らせを聞いた瞬間、理解した。


 ――まただ。


 胸の奥が冷たくなった。


 それ以来、私は幸せを恐れるようになった。

 嬉しいと思ってはいけない。

 楽しいと思ってはいけない。

 まして、

 この幸せがずっと続けばいい。

 そんなことを願ってはいけない。

 そうしなければ。

 誰かが傷つく。


 夢から覚める。

 私は自室の天井を見つめていた。


 朝だった。

 薄いカーテンの向こうから、柔らかな光が差し込んでいる。


「……また、あの夢」


 私はゆっくりと身体を起こした。

 胸が苦しい。

 何年経っても、あの日のことを忘れられない。

 けれど、父は知らない。

 きっと、ただの偶然だと思っている。

 だから父は今でも、私を幸せにしようとする。

 それが嬉しくて。

 とても、怖い。

 侍女が部屋に入ってきた。


「お嬢様、おはようございます」


「おはよう」


「朝食のご用意ができております」


「ありがとう」


 侍女が微笑む。

 私も微笑み返そうとして――やめた。

 笑ってはいけない。

 そんな考えが、もう癖になっている。


「……お嬢様?」


「なんでもないわ」


 私は立ち上がった。

 窓の外では、今日も穏やかな朝が始まっている。

 何も起きていない。

 それなら、それでいい。

 幸せでなくてもいい。

 平穏であれば、それでいい。

 私はそう自分に言い聞かせた。


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