表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/12

6.黒木の小箱


 起きた時から数時間は迷っていた。

 馬車の中でもまだ迷っていた。

 けれど、それでも頭の中にずっと張り付いて離れなかったのだ。


 だって、一昨日と昨日で劇的に改善するとは思えない。

 ああやって急かさねば食べれず、食後の眠気すら毒のせいと思うほど――満足に眠れない状況が、今日、いきなり良くなるとは到底思えなかった。


 だから私は、今日も殿下のもとへ行く。


………

……


「ああ、そろそろ来ると思っていた」

「え」

「なんだ、入らないのか」

「あ、いえ、」


 ドアをノックすれば、殿下はすんなり私を迎え入れた。

 丸テーブルの上には、昨日と同じ軽食――白パン、ハム、チーズとリンゴ。それから、湯気を立てるミルク粥。


「ほら、見ろ。ちゃんと……今から食べるから、もう毒味のような危険なことはするな。君の身に何かあったら、ヴァレンフォード子爵に顔向けできなくなるだろう。それに……」

「……?」

「いや、とにかく、毒味は必要ない」

「……承知、いたしました」


 確かに、ここで私が毒で倒れるなどすれば、とても面倒なことになる。その責任や後処理に走り回るのは父になるだろう。

 ……しかし、だからと言って、代わりに殿下が毒に倒れればよいという話でもないような……。


 と、その時。侍女がお茶を持ってきた。

 ふわりと漂うのは、甘く柔らかな桃の香り。

 これは、まさか。東方から輸入しているという、珍しい香り茶だろうか?


「……東方の香り茶ですか? 流石ですわ、殿下」

「? 俺は知らない。そうなのか」

「はい、リディア様。ご名答です」

「一昨日、輸入茶が流行っているとお話ししたではありませんか。かなり上等なものですよ。……いい香りです」


 ……そうして、美味しいお茶を飲みながら、殿下の昼飯を眺める。という奇妙な時間が始まった。


 私が一杯目の紅茶を飲み終わった頃。殿下はようやく一口目のリンゴを齧り。

 追加で出されたチーズの焼き菓子をゆっくり味わっている間も、殿下の食事はほとんど進まない。

 結局、スープカップのミルク粥に匙を伸ばしたのは一度きりだった。

 

 ちゃんと食べる、とおっしゃった割に、昨日ほどは召し上がっていない気がするけれど……それでも、もぐもぐと頬が動くたび、ごくり。と喉仏が上下するたび、わたしは肩の力が抜けるような、温かな気分になっていった。



「昨日は……」


 私が焼き菓子を食べ終えた頃。殿下が「もういい」とおっしゃったので、紅茶以外のものはすべて下げられていった。

 殿下は食後の紅茶に口を付けることなく、机を見つめながら呟く。


「昨日は、世話をかけた」

「……いえ、当然のことです。お気になさらず」


 そこでふと立ち上がった殿下は、執務机から小箱を持ってきて、それを私に手渡す。


「これはその礼だ」


 艶のある黒木で出来た小箱。

 蓋には淡い虹色の光沢を放つ装飾がされていた。傾きによって、じわりと色が変わる。


 開けて確認しろ。という視線の意図の通りに、蓋を開けた。

 そこには、昨日殿下に預けた髪飾りが入っている。


「あ、――ありがとうございます」

「箱は使える。裏も」


 わあ。便利ですね。と喉元まで出かかった言葉が、口から出た時には違う言葉になっていた。

 上蓋の裏には小さな布張りの部分があり、小さな仕切りと引き出しまでついている。


「私、言ったことありましたか? 刺繍を、すること……」

「見ればわかるだろう。その指は、針を持つ人間の指だ」


 え。と思って、咄嗟に両手を見た。けれど、針で突いた痕も、指ぬきの痕さえついていない。

 刺繍は、やりすぎると令嬢に相応しくない労働者の手になる。分かっているから、気を使ってコールドクリームで手入れをしていたのに……。


 でも、暴かれたそれを不快には思わない。

 自覚したことの無い所を、そっとくすぐられたかのような、むず痒い感覚。


「ありがとうございます。殿下」


 と、そこで視界が晴れた。きちんと昼食を食べ、昨日よりは元気そうな殿下。


「今日も、お昼寝なさいますか」

「いや、今日はしない。仕事が溜まっている」


 少しでも眠って欲しいけれど、お仕事なら仕方がない。

 食べることも眠ることも今すぐは必要なくて……つまり……私がここにいる理由がなくなってしまった。


「では、今日のところはお暇させていただきますわ。早く、この箱を刺繍糸で一杯にしたいのです」

「ああ。そうするといい」


 肺の奥から、自然と微笑みが漏れていく。

 幼い頃に必死に直した顔を傾ける癖が出てしまいそう。


「それでは、失礼いたします。殿下」


 閉じるドアの奥。殿下はもう執務机に向かっていた。


「ああ、気を付けて」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ