4.ミルク粥
ほんのわずか笑っただけで、こけた頬に皺が入る。
気が付けば、殿下の小さな笑顔が頭から離れなくなっていた。
あのあと、何か食べられただろうか。
まさか紅茶を飲んだから夕食も朝食も「いらない」と突き返したり……?
想像できてしまえば、どうにも居心地が悪くなる。
………
……
…
「アレクシス・エルヴィア第五王子殿下。リディア・ヴァレンフォードが参りました」
紅茶をふるまった翌日も、私は殿下のもとを訪れていた。確かめたいことがあったから、お昼時に。
少し待てば、素直に扉が開く。けれど相変わらずのやつれ顔を出した彼は首を傾けて。
「……手紙を送っていない」
と呟いた。私は思わず目を閉じてしまう。
私はそれなりに真剣に受け止めて通っていたというのに。あの手紙を、私を呼び出すチケットか何かと勘違いなさっているのだろうか?
……ため息一つ飲み込み。思考を切り替える。
「手紙無しに、来てはいけませんでしたか?」
「そうは言っていない――いや、やはり帰れ。親しくしたいわけじゃない。会う理由もない」
「理由……なしに、伺ってはいけませんか? 一応、婚約者なのですが」
「……婚約は、破棄だと。何度も言っているだろう」
ぐう、と喉の奥で何かが詰まってしまう。
いつもは弱々しい殿下に一撃入れればすぐに通してくださっていたのに。
手詰まりになった私は、正攻法で行くことにする。
「心配、だったのです。殿下。とても痩せられました」
上手い言い訳はもう思いつかなかった。残ったのは本音だけ。
キ、と扉のきしむ音がする。
「昼食は、食べられましたか?」
顔を上げると、殿下は後ろ――部屋の中を見返していた。
昼食。確かそんなものがあったな。と言わんばかりに。
その隙間を縫って、私はするりと部屋に忍び込む。
いつもの丸テーブルの上には、白パンと、薄く切られたハム、柔らかなチーズと皮をむいたリンゴがあった。湯気はもう消えかけているが、小さなカップには温かなスープまで用意されている。
食べられるものを、少しでも。そんな気遣いを感じる献立。
全ての食材に少し切り取られた跡があって、毒味が済んでいると分かる。
スプーンも湿っているから、きっとスープだけは、ほんの少し口を付けたのかもしれなかった。
「……食べたいなら。毒味は済んでいる」
殿下が、言い訳のように片手を広げる。
「そうではなくて……」
呟きながら、わずかな引っ掛かりを感じていた。
「少し、失礼いたします」
白パンを手に取り、そっと割る。
時間が経ったせいか、思ったより力がいる……これは……。
私は廊下へ顔を出した。突き当りあたりに控えていた侍女にパンを渡し、小さくお願いをする。
そしていつもの席へ着席した。
誘われるように、殿下も対面に座る。
「何を?」
訝しげに細くなる青の瞳。表情は尋問のそれに歪んでいて少し怖い――と思ったのは一瞬のこと。やはり、頬から顎にかけては骨が浮き出るようだし、握り締めた拳は蝋のように白い。
「すぐに分かりますわ」
王宮の使用人は本当に優秀だ。予想よりも早くノックがあって、侍女が食事を持ってきた。
「これで、よろしいでしょうか」
「ええ、十分です。ありがとう」
頼んだものは、ミルクで柔らかく煮込むように指示したパン粥だった。
湯気の奥で拒絶の表情をする殿下を無視して、まずは一口。
「ん。パン粥の味は王族でも変わりませんのね」
ちゃんと舌の上で溶けるほど煮込まれている。熱くて、ほんのり甘くて、美味しい。
「妹が風邪をひいた時も、よくこれを作ってもらいました。喉が痛くても食べやすいので」
口を付けてしまったスプーンをハンカチで拭い、お皿を殿下に差し出す。
「さあ殿下、冷めないうちに」
「悪いが、いらない。食欲がない……」
テーブルから両手が下ろされる。小さく震える頭。
「……そうですか……」
いつもの私なら、このまま置いておいて、いつか食べてくださればいいと思っていた。
でも今日は、今日だけは……絶対に今、食べて欲しいと思う。
熱で顔を真っ赤にした妹が、喉が痛くて何も食べたくないと駄々を捏ねているのを見ているのと、同じ気持ち。
――それでも、食べないと。
「では、お手伝いいたしましょうか」
「え」
立ちあがり、椅子を持った。彫刻の施された上等なもので重く、絨毯に引っかかって手間取ったけれど、殿下の隣に移動する。
お皿を引き寄せ、スプーンを手に取った。
「熱いものを扱うのは慣れております」
そう言って、お皿を持ち上げた瞬間。
「あ、あっまて、食べる。――食べるから、皿を置け」
弾かれたように、殿下が立ちあがった。蝋のような指が小刻みに震えながらテーブルを指さす。
「左様ですか」
良かった。
自分で召し上がられるなら、もちろんその方がいい。
座り直し、目の前のミルク粥をしばし睨みつけた殿下は、意を決したようにゆっくりと一口目を口に入れた。
小さく喉が動いたあと、困ったようなアイスブルーと視線が重なる。「偉いですね」と言いかけ、慌てて微笑んで見せた。
一口。
また一口。
ゆっくりと、けれど匙に乗る量が段々多くなっていく。
もぐもぐ。と殿下の頬が動いている様子を見ているだけで、こちらまで体の芯が温かくなっていくようだった。
そうして、ミルク粥が半分ほどなくなった頃。
「はぁ……もういい、」
疲れ切った様子で、殿下が匙を置いた。
こんなに食べている姿は初めて見たかもしれない。張りつめていたものが、ようやくほどけていく。
「美味しかったですね」
「……」
立ちあがり、穏やかな心地でテーブルを片付ける。
殿下はやや俯いて――はぁ。と息を吐く。
それから。
ガクン、と上体が跳ねた。
「……殿下?」




