3.渋めの紅茶
十一通目の婚約破棄通知。
なんとなく二か月おきに届いていたそれが、こんなに早く。
また暗殺未遂があったのだろうか。――いや、きっとあったのだ。
心臓が嫌な音を立てて、何ができるわけでもないのに焦ってしまう。
スカートの端を持ち、急いで部屋の外へ一歩。
けれど廊下の途中で、ようやく令嬢らしい冷静さが戻ってきた。
例えば、三回目の婚約破棄通知が届いたとき。その時殿下は切りつけられて流血し、世間は大騒ぎとなった。
その時ほどの騒ぎは聞こえない。
もちろん暗殺未遂はいつだって恐ろしく、心配だ。けれど大慌てで飛び込んでいくほどではないのかも。
次に会うとき――こんな形で呼び出されなくとも――私は考えていたことがあった。
最近流行っている紅茶をお出ししてみよう。と。
私の目の前でならクッキーを食べてくださったし。次は温かいものを飲んでほしいと思っていたのだ。
だから私は使用人を引き留めて、準備を頼んだ。
………
……
…
「ご無事ですか、殿下」
今回は庭師用の道具置き場から、管理外の時間にハサミが持ち出されていた。
持ち出した使用人と責任者が捕らえられ、解雇されたらしい。
その刃先が殿下に向けられることはなかった。
けれど、庭仕事に使うただの道具すら、彼にとっては脅威になってしまう……。
「……ここ四年、常に〝ご無事〟ではない」
確かに。私はいつもの丸テーブルに座りながらわずかに俯く。言葉を間違えてしまった。
殿下は分かりやすくため息をついて。
「ボディチェックは、不快だろう。疑われることは」
だから帰れ、もう来るな。と細められるアイスブルーが――充血しているからだろうか、泣き出しそうに見えて辛い。
「疑われることは、確かに少し悲しいですが。しかし仕方のないこと心得ております。チェックは侍女がしてくれますし、不快ではありません。これで信用を買えるのなら、安いものですわ」
「しかし、」
コンコンとノックの音。テーブルの上の殿下の手がぎゅっと固くなる。
「お茶をお持ちいたしました」
「どうぞ」
私が頼んでいたのだ。お茶道具一式とお湯が乗ったティーワゴンを侍女から受け取り、何をするつもりか、とこちらを睨む殿下に、顔を傾けて微笑む。
「温かいものでも飲みましょう。殿下」
そう言って私は、ティーワゴンの天板に茶器を並べる。
「最近、輸入の紅茶が市場に出回っているのをご存じですか? これを自分で淹れてゲストをもてなす茶会が、令嬢の間で流行っているのです」
音を立てないように。できるだけ優雅に。
こんなに早く実践するとは思っていなくて練習が浅いけれど、それでも精一杯。
「カップと茶葉は持参いたしました。茶葉は三種類から選べますが、好みの香りはありますか?」
ワゴンから丸テーブルに缶を並べて見せる。けれど殿下はその缶をちらりと見ただけで、手に取って中を確認しようとはしなかった。
「……俺は、飲まない……」
「左様ですか」
小さく震える前髪。
けれど私はてきぱきと手を動かし続けた。
飲まないなら、飲まないでいい。でももし気が変わって一口でも口を付けてくだされば……きっと幽霊のような血色も少しは回復する。
ハンカチをお湯で濡らし、ソーサー、カップ、ポット、茶こしと、一つ一つを目の前で拭いていった。
三つの中から一番上等な茶葉を選んで、ティーポットに入れる。
静かにお湯を淹れて、それから砂時計をひっくり返した。
「そのカップは」
前方を睨みつけていた殿下がぽつんと呟く。
「……はい」
「以前は、もっと装飾が多かったのではないか」
「……!」
「違ったか?」
「いえ……その通りです。花の飾りがついていたのですが、少し使いづらくて」
「削ったのだな」
「はい」
きちんと処置をして、改めて磨いてあるけれど。王族に欠けたカ茶器を出したなんて、怒られるだろうか。けれど何故か、いつも私が使っているカップを選んでいた。
膝の上の両手を握り締める。でも、俯きはしなかった。
やましいことは何もない。疑われることは、何も。
殿下はカップを眺めながら。
「流行より、使いやすさを選んだのだな」
「……、」
「合理的だ」
どくり。と改めて血が巡る。安堵と、見透かされてしまった気恥ずかしさが胸の中で混ざった。
微妙な雰囲気に、今は何を言っても言い訳になるな。と唾液を飲み下した時。
殿下が少しだけ、小さくなったような錯覚を覚えた。
眉を下げ、寂しそうな顔をして。
「その柄は……俺も好きだ」
「……」
「だから、気にしないでくれ」
「殿下」
「また、見なくてもいいものを見てしまっただけだ……ところで、砂が落ち切っているが」
「ぇ、あ!」
テーブルの上を見ると、小さなそれはとっくに役目を終えていた。体感としては二十秒超過といったところだろうか。
慌てて立ち上がり、カップに茶こしをセットした。
ふわりと立ち上る香ばしく芳醇な香り。
いつもなら相手にカップを差し出すところだけれど、今回は二つとも手元に置いたまま。
一口、毒味をする。
……渋い。
思わず眉間に皺が寄った。飲めなくはない。けれど、これではお出しできない。
「はぁ、いけませんね。少し渋いです……お時間を頂けるなら、淹れ直してもよろしいでしょうか」
「いや……それを頂こう」
殿下が立ちあがった。想像より長い腕が、あっという間に目の前のカップを攫っていく。
「い、いけません、美味しくありません」
ソーサーを持ち、揺らめく琥珀をしばし眺める。それから躊躇うことなく、殿下はカップに口を付けた。
そして眉間に皺を寄せる。
「渋い」
「言ったではありませんか。返してくださいまし、――あ、」
淹れ直さないとしても、ミルクで調節するべき。そう思って手を伸ばそうとしたのに、殿下はもう一口、一口。と飲み進めてしまう。
……お腹がすいていたのだろうか? ワゴンには軽食も乗っていたけれど、出した方が良かっただろうか?
「毒よりは、マシだ」
「ッ、もう一度機会をいただけければ、次はもっと上手く……淹れてみせますわ」
「ふ。そうだな。これでは誰ももてなせん」
「……」
だって、殿下があんなものを送ってくるから。もう少し練習すれば、こんなことには。
表情に出さないようにするのに苦労した。悔しくて、もどかしくて。
だからこの時、殿下が少し笑っていたことを――私は家に帰ってから気が付いたのだ。




