15.夜闇
廃屋敷の捜索は空振りに終わり、アレクシス達は教会へ引き返した。
また地図を見ながら、情報の精査をしなくてはいけない。
「ヴァレンフォード家の馬車に乗っていた御者、令嬢の尋問結果が出ました」
と、また地図に向かい合ってすぐに、報告を受ける。別の場所で行っていた尋問が終了したようだった。
アレクシスは霞む視界を瞬きで矯正して「報告を」と促す。
「御者は金で雇われたと供述。令嬢は『婚約が解消されれば、自分が殿下の婚約者となる約束だった』と認めています」
「ッ!」
――「……自分の息がかかった相手と結婚させたい?」
――「そうだ」
兄との会話がよぎる。
分かっていたのに、次に据えられるかもしれない令嬢について考えていなかった。
そこにも当然、政治的な思惑が働いて然るべきだろうに。
「……後釜」
「そうだね。用意周到な事だ」
年頃の令嬢がいる家。
その家と繋がりの深い場所。
そして、ヴァレンフォード家の馬車を襲えるだけの力を持つ者。
その関係者が所有する空き家へ兵を走らせた。
またピンを打ち、報告を聞いて、バツを打つ。
誘拐から二十一時間が経とうとしている。範囲は広く、物件も多い。
その中でも確率が高いと思えるものから選別して人を割り振って、一刻も早く――。
「報告! モンフォール家管理の廃屋敷、複数の不審情報が一致しました!」
兵が入り口で敬礼した。
周囲の手が止まる。
地図を書き込んでいた兵も、剣帯へ手を伸ばしかけた。
「現在、夜間の人の出入り、及び新しい足跡を確認しています」
ガタリ、とアレクシスも立ちあがり、すぐさま――さっきのように、兵を集めようとした。
けれど、固まる。
思考の引っ掛かりのせいで声が出ない。すぐに動きたいのに。
「――また、逃げられる……」
代わりに出たのは、あまりにも弱気な発言。
敵がこちらの動きをどこまで把握しているか分からない。大きく動けば、また……。
止まったまま、どうしますか。という周りの兵の視線。
隣で座ったままのアドリアンが、冷静に呟く。
「その可能性は高いだろうね」
「――しかし……ッ時間が、」
喉まで出かかった言葉は、それ以上続かない。アレクシスは険しい目を兄に向けた。
けれど睨まれたアドリアンはさらりと殺気をいなし、全体に聞こえるように。
「もう少し、怪しい場所がないか調べる。固まったら夜闇を利用し包囲して、同時に叩く」
「……ッ」
「それでいいね」
それが正しいと、アレクシスはどうしようもなく理解していた。
「……はい……」
それから、アレクシスにとって拷問に等しい数時間が過ぎた。夜はとうにとっぷりと暮れて、兄の言う夜闇がすぐそばまで来ている。
「よし。人員を振り分けろ。到着した隊から包囲を開始。二時間後、全地点同時突入」
アドリアンの号令で、兵は静かに動き出す。
怪しい廃屋敷、廃屋は三件まで増えた。それらを同時に包囲できる人員も集まりつつあって、あとは突入を待つだけ。
「……ッ」
しかし、アレクシスはあと二時間なんて待っていられなかった。
あの地下室の机に残っていた血痕が、頭から離れない。
彼女は怪我をしていて、命さえ危ないかもしれない。
敵は一度目の移動を誘拐から約半日で行ったと考えられる。
そして今、また半日が過ぎようとしていた。
それなのに――今にも、また逃げられる。一刻も早く、救い出さなければいけないのに!
テーブルの周りをぐるぐる歩き回っていたアレクシスは、壁に立てかけてあった剣と外套を掴み、教会を出る。
包囲作戦のために次々と教会に集まってくる兵の流れに逆らって、外套を被り夜闇にまぎれた。
………
……
…
「おら起きろ!」
「――ッ⁉ ――げほッ、ケホッ」
バシャッ、と水をかけられて目覚める。
意地悪なことに、俯いている顔に下から浴びせたのか、鼻にも口にも水が入った。
咳き込むと――顔が腫れているのだろう。皮膚が引っ張られて痛い。
何度か瞬いて滴を落とすと……壁の色が変わっていて、部屋の匂いも少し違うように思う。
失神している間に、移動したのだ。
「――ッ゛……!」
頭の中にずんと突き刺さる絶望。
何時間失神していたのだろう。王都の外に出たかもしれない。
数時間……いや半日か、もしくは丸一日経っていたなら……ここはどれほど遠くなの。
――もう、助けが来ないかもしれない。
「どこ、ですか」
「知りたいですか?」
目の前には男が二人。
さっき殴ってきた男と、初めて見る男。
署名役――とでもいうのか、暴力男に比べて男は穏やかに問いかける。
けれど顔は真顔だし、その手には――何度も目にしたあの書類があった。
紙は少しくたびれている。
「――、ッい、いいえ、どこであろうと」
「アァ゛ッ⁈」
「ひッ……」
暴力男――さっき水をかけてきた男が、その桶を振りかぶりながら怒声を出す。
男の人の大声って、どうしてこんなに怖いの。
頭の中が真っ白になって、固めていた意思丸さえ粉々に砕けてしまう。
「しょ――署名、しません。おことわり、ですわ」
振りかぶった桶が飛んでくるかも。また、頭をぶつけられるかもしれない。それでも私は、痛む瞼をぎゅっと閉じながら、そう宣言する。
一拍。どうやら暴力はないみたいだと薄目を開けると、署名役の男は真顔のまま立ちあがる。
「まぁいずれにせよ、その濡れた手で書類に触って欲しくないですし。乾くまでその男と楽しくお過ごしください」
「ぇっ、あ。ま――」
この、暴力男と二人きり。
そう思うと恐ろしくて、繋がった両手をじゃらりと鳴らしてしまう。
「? どうかしましたか」
けれど、寸でのところで正気を取り戻す。
なんてこと。今、私は「待って」と言おうとしたの。
「い――いいえ、なんでもありません」
そうですか。と無表情にそう言って、署名役は退室する。
部屋に満ちるのは、暴力の気配と私の怯え。
「ッぐ」
いきなり胸ぐらを掴まれ、体が椅子ごと引き寄せられた。
「オイ。これ以上、手間かけさせんじゃねぇぞ」
服がぶちぶちと悲鳴を上げる。
「さっさと署名しろ」




