↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/21

14.残された温度


 教会の一室を臨時本部として使うことになって、早くも太陽が真上を通過しようという頃。

 壁は地図や聞き込みメモで埋め尽くされ、テーブルの上はあらゆる書類が何枚も重なり合って散らばっていた。


 懐柔派、と呼ばれる数人の貴族。その親兄弟を含めた二十数人の所有物件を地図にピンを打っては、墓地に近い場所から偵察を走らせて「異常なし」の報告のたびにバツを打つ。


「灰鐘通り、異常ありませんでした!」

「旧貴族街、同じく異常なし!」


 地図前に張り付いて、報告を聞いては積極的に書き込むアレクシス。その顔は、疲労も相まって死神のような鋭い殺気を放っていた。

 その隣で、穏やかなままの兄が地図を指さす。懐柔派の建物として色分けされていて、けれどピンもバツも打たれていない。


「ここは? どうして偵察しないの」

「この区画は地下配管の関係で、地下室を造れません」

「地下室とは限らないでしょ。殺されたって小鳥みたいな声しか出さない令嬢もいる……リディア嬢は、大声を出せる子なの?」

「……いえ……しかし、地下室に絞っているのは、遮音性の問題だけではありません」

「ふーん。ねえ、ここも確認して」

「は、ただちに」


 アレクシスの方針とは別に、アドリアンは隣に控えていた執事にその建物を探るよう指示した。

 兄に信用されなかった。そのことについて、アレクシスは何も思わない。


 けれど――「大声を出せる子なの?」という言葉が、嫌に脳内に残った。


 知らないのだ。自分の前では令嬢然としているけれど、あの押しの強さから見て、いざとなればなんでもするタイプにも思える。


 知らない。彼女――婚約者について、知っていることはあまりにも少ない。


 その時、兵の一人が足早に駆け込んできて、敬礼する。


「報告! クロスフォード家管理の廃屋敷、出入口に新しい足跡を確認! 近隣住民も昨夜から人の出入りを証言しています!」


 ガタンと立ち上がるアレクシスを、またしてもアドリアンが抑えた。


「出てる兵を集めろ。二十分後に突入。アレクシス、お前は一番後ろだ。分かっているね」



 手入れのされていないイチイの木に囲まれたクロスフォード家所有の廃屋敷は、大通りからも少し外れていて薄暗く、とても都合がいいように見えた。


 入り口に固まった兵が、王国の強制捜査である旨を宣言してから、勢いよく扉を蹴破る。

 一斉に突入していく兵隊。裏口でも同じことが行われているはずだ。


 永遠に思える数分を外で待っていたアレクシスは、玄関から駆け足でこちらにやってくる兵を見た瞬間――その報告を聞く前に、もう屋敷へと走り出していた。


「アレクシス!」


 兄のやれやれ声が聞こえるが、アレクシスは振り返らない。


 玄関から兵が誘導する方向へ向かい、書斎の端にある床下扉から地下へ。


 突入後に争う音が聞こえず、兵のみが帰ってきた。

 ここに彼女はいなかったのだろう。それでも、この屋敷は怪しい。地下室を自分の目で確かめなくては。



 小さなテーブルに、ランプが一つ置かれていた。

 触れると――まだわずかに温かい。

 その芯は摘まれ、火は丁寧に落とされている。

 オイル切れで火が消えたわけでは無い。


「……慌てて逃げたわけじゃない」


 指先に伝わるそのぬくもりは、呟いた瞬間に消えてしまう。


 あと一歩――遅かった。


 そう唇をかみしめるアレクシスは、机の上の小さな染みに目を止める。

 インクを零したような数滴は――兵から渡されたランプで照らせば赤黒く、血痕に見えた。


 飛び散ってない。量も少ない。刃物による傷には見えない。


 そっとその赤黒に触れる。……乾いている。しかし、まだ新しい。

 

 数滴のそれは、かえって彼女が生きているように思わせた。

 けれどその血痕は、残された時間が多くないことも示している。


………

……

…


 いつからか、常に見張りが付くようになった。

 部屋の端に座っている見張りの男は、私が眠りそうになると必ず「おい」といって揺り起こしてくる。


「……、」


 また、肩を掴まれた。

 爪を食い込ませたまま、ぐらぐらと揺さぶられる。痛い。


「おい、寝るんじゃねえ。お前、状況分かってんのか」

「さわら、ないで……ください……」

「お前がさっさと書かねぇからこんなことになってンだろうがよ!」


 耳元で怒鳴られて少し意識は浮上するけれど、眠いのに変わりはないし、瞼が重くてしょうがない。

 両目が熱い。体に食い込む鎖が痛い。

 目の前が赤黒くて、そこに夢か現実かも分からない数多の人影が現れては消える……。


「お辛そうですね」


 そこに、またあの男がやって来た。

 パサ、と書類の束を机に広げて、手にしたペンでトントン、と署名欄を叩く。


「お名前一ついただければ、楽になりますよ」


 ぐっと胸が苦しくなった。

 手枷がはまった両手が――ずっと固く握りしめていた両手が、気が付けば開いている。


 辛い、とても辛い。

 眠らないことが、こんなに辛いとは思わなかった。


 体全部がぐらぐらして気持ち悪い。

 物事は悪い方にしか考えられないし、何が正しいのかも曖昧になりつつある。


 目の前は常に黒ずんで、その中で示された署名欄は輝いて見えた。


 がくり。

 体を支えられなくて前のめりになる。光り輝く署名欄の、その上には、


『私、リディア・ヴァレンフォードは、ここに自らの意思をもって、アレクシス・エルヴィア第五王子殿下との婚約を辞退することを願い出ます――』


 お父様が繋いだ大切な婚約。

 ……家族は、今頃どうしているだろう。心配をかけているだろうか。泣かないで、クララ……。


 ああ、殿下。

 ろくに食べず、眠れないことが、こんなに辛いなんて。知らなかったの……。


 会いたい。

 お顔を見てせめて、どうしてと、聞きたい。


 ――そうだ、だから。

 こんなものに勝手に署名してはいけないの。


「いいえ、……お断り――っぐぁッ⁈」


 ガァン!! と頭に何かぶつかって、意識が急速に覚醒した。

 

 何事か分からなくて体が暴れる。

 再び強く頭を押し付けられたことで、机に頭を打ち付けられたのだと理解した。

 痛い、痛いッ!


「ぁ゛――ッ⁈」

「いい加減にしろッ!! いつまで意地張ってやがる!」

「馬鹿! やめろ!」

「貴族のお嬢様がッ、――このッ」

「ぅぅゔッ、」

「止めろ! 手を離せ!」

「殺されねぇと思ってんのかァッ!! ああッ⁉」


 ブチブチと髪が抜ける音がする。打ち付けられた顔半分が熱い。

 逃げたくて体を引きたいのに、下半身の拘束のせいで抵抗できない。


「何してくれてんだ、計画が狂うだろ!」

「知らねぇよッこの女が悪いんだッ!!」


 放り投げる勢いで、髪が離される。勢いそのまま、ゴンッともう一度木目におでこが叩きつけられた。

 その時、頭の奥で何かが千切れたのだと思う。


「クソッ寝てんじゃねぇッ!」

「はぁ。いい、寝かせておけ。予定より早いが、移動しよう」


 急速に現実が遠のく――ドクドクと脈打つ赤い痛みの中で、私は意識を失った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。