プロローグ
大好きだった祖母が亡くなった。
ある日、私が大学の講義を終えて家に帰ってみると、いつもいるはずの母の姿がなかった。夕飯の食材の買い出しに行ったにしては時間が少し遅かったし、ダイニングのテーブルの上には、母がいつも合間に読んでいる文庫本だけが、逆さに置かれたままになっている。
「お母さんったら、また近所の人とお喋りに夢中になっているんだわ」
私はそう呟くと、先に部屋着に着替えてしまおうと、二階の自分の部屋へと上がる。こんなことは、よくあることだった。いつだったか、親しくしている近所のおばあさんが、旅行から帰ってきたとかで、お土産を渡すからと昼間にちょっと誘われただけなのに、外が暗くなるまでお喋りに夢中になっていたことがあった。
訝しげに見つめる私と仕事から帰ってきた父に向かって、「えへっ、ちょっと誘われちゃってね」なんて性懲りもなく言ったものだから、私たちは開いた口が塞がらなかった。
きっとそうだ、「もう、お母さんったら……夕飯、どうするのよ」と、誰もいない部屋の中に向かって、言ってみる。
そのとき、家の電話が鳴った。リビングの中に置いてある電話。私はもっぱらスマホを使って会話しているので、家の固定電話なんてもうだいぶ長く出たことがなかった。呼び出しの電子音は、なおも鳴り続けている。居留守を使う手もあったが、あまりにけたたましく鳴り続ける電子音に、何か切迫するものを感じ取った私は、慌てて階段を駆け下りると、リビングに入って受話器を取った。
「あぁ、莉乃、莉乃なの。何度も携帯に電話したのよ。大変なの、大変なのよ」
母だった。よほど慌てて喋っているのか、金切り声とも言えるその声の意味がよくわからない。
「えっ、お母さん、ちょっと落ち着いてよ。どうしたの?」
「おばあちゃんが、病院に運ばれたの。それで、お母さん病院に来ているんだけど、ちょっとね……」
「えっ、おばあちゃん? 病院?」
母が、話を途中で遮ったところを考えると、どうやらその続きの言葉が、あまりよくないことは、なんとなく想像がついた。これとよく似たシーンが、少し前に見たドラマの中であったから。
「おばあちゃん、よくないの」
「えっ?」
「とにかく、よくないのよ。莉乃、今から病院に来られる?」
その言葉を聞いた瞬間、ドラマのヒロインのように、受話器を落としてしまった。その受話器からは、母の私を呼ぶ声が続いている。このときの私は、慌てながらもまだ自分の行動を冷静に振り返るくらいの余裕はあった。人って、慌てると本当に受話器を落としてしまうんだと、思ってしまったほどだった。
どうやって、病院に行ったのかは覚えていない。霊安室のような場所に駆け込んだときには、すでに祖母は息を引き取った後で、母や駆けつけた親戚の人たちが涙声で、ベッドの上に寝かされているであろう祖母に向かって、話しかけていた。
何が起きたのか、まったくわからなかった私は、祖母が穏やかに眠る姿を、涙を流すことも忘れて、ただ呆然と見つめることしかできなかった。




