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夢の中で僕を励まし続けたのは、死にゆく未来の彼女でした。【長編小説】   作者: 金森 亮
第九章 最期の一週。

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第26話 卒倒

 4月18日、僕らは近所の公園に訪れていた。遠出は禁物だということが、暗黙の了解となっていたが、家に籠ることはしたくなかったので、近所で既に満開を迎えていた、ソメイヨシノにでも縋ろうと考えたのだった。デートになったら嬉しいと、そう願うのも虚しかった。


 彼女は顔に笑顔を残しつつも、なんとなく無力感に支配された様子でこう語る。


「優斗は、桜の花言葉を知ってる?」

「美麗とか、純潔とか、とにかく綺麗だという意味合いがありますよね。」

「そうなんだけどね......、もう一つ、系統の違う意味合いがあるの。」


 僕は身構えた。でも、その構えが功を奏すことはなかった。彼女は包み隠さずに言った。


「死よ。桜の散り際を想っての意味合いね。それにしても、今年は温暖化のせいで、去年よりもずっと早く散るのね......。」

「......僕はまだ、散るときじゃないと思います。」


 僕が明らかに四苦八苦するのを、彼女の笑顔が満たしてくれるのだった。




 そのときだった。




 僕が目を離した刹那、彼女は倒れた。


 僕は五度も『唯花』と声を荒げたが、道端に横たわる彼女は反応することなく、必死に胸を押さえて悶え苦しんでいた。


 いままで頑固だった病院への拒絶も消え、僕は遂にそのときが到来したのだと悟った。


 僕は心拍を確認することもせず、ただ百十九番にだけ通報した。彼女はもう、意識を失っていた。


 救急車のサイレン音が、棄て去ったはずの過去をぶりかえさせた。血圧は二桁前半を示している。破裂やら解離やらが生じている合図だった。そんな僕の冷静に、救急隊員は妙な空気を吸っていたことだろう。



 やはり一命は取り留めた。緊急手術で人工血管を巻き付けて、長いこと眠ったままだが、血中酸素濃度も血圧も安定している。



 今日、彼女は目を覚まさなかったものの、彼女の身体は常に熱を持っており、それだけでも僕は、心の平穏を保つことができた。




 4月19日、家の人に懇願して、学校を一週間欠席することにした。この際、最愛の人がいることを暴露した。



 お昼前になって、北海道の帯広から駆けつけた彼女の母親と合流し、医者に彼女の容態を聞いた。医者は、大動脈解離で上行大動脈の内膜が破裂......、と専門用語を羅列して、彼女の深刻度合いを提示した。

 加えて合併症が生じると、死は免れないとまで言い放った。


 僕はなにも願わなかった。その代わりに、神頼みをする彼女の母親を静観していた。



 少しして、彼女の母親は、僕と彼女の関係性について尋ねてきた。彼女が女子高の生徒である以上は、親友というのもおかしいし、たとえご近所だと言っても、ここに来る所以はどこにもない。


 よって、僕は包み隠さず、彼女の彼氏だと自白しておいた。


 彼女の母親が僕にどんな態度を示すか、嫌悪を抱かれないか、非常に憂慮していた。その憂慮とは裏腹に、彼女の母親は僕に向かって、深々と頭を下げてきた。


 世話になったという接頭辞に始まり、ここまでの軽い経緯や、彼女の性格・態度について、母親らしい物腰で問うてくるのだった。



 4月20日、昼、彼女は未だに深い眠りの中にいる。すると例の医者がやってきて、ここで遂に、彼女はあと二日の命だと宣告した。


 心不全の予兆がみられ、下手に外科手術をした暁には、身体への深刻な負荷が避けられないという理由から、ここで緩和治療に入ることになり、薬物の類いであるモルヒネが投与されることとなった。


 彼女の身体は、既に末期を迎えていた。


 夜19時を回った頃、夕飯代わりの総菜パンを食べていると、彼女のまぶたが微妙に振動していることに気がついた。


 三分程度見張っていると、彼女は次第に瞳を露にし、開眼した。奇跡的に目を覚ましたのだと、このとき皆がそう思った。そして真っ先に、僕の方へ眼差しが向けられた。


 彼女はしばらく僕を見つめ続けて、やがて目元から水滴を零した。そののち、彼女は蚊の鳴くような声でこう言った。


「......優斗。」

「今日は4月20日です、あなたは金咲唯花。」

「......私が、分からないとでも?」


 この何気ない一言に、僕は笑顔を見せつけながら、目頭を熱くしてしまった。彼女の母親は、すぐさま涙を垂れ流して彼女に抱きつく。感動の再会という様子だった。


 そんな時間が五分ばかり続くと、彼女はいつもの声色を取り戻し、最終的に僕と二人きりにするよう母親に告げた。そうして、二人だけの聖域が誕生したのだった。


 すると彼女は、こんな突飛なことを言い出した。


「私ね、優斗にお願いがあるの。」

「......なんですか、お願いって。」

「私に会ってきてほしいの、夢で。」

「......え、な、何を言ってるんですか。」


 彼女は変な回想を始めた。それも、どこかで聞いたことのあるような内容だった。


「私ね、2017年......、中学二年生の頃にこんな夢を観たの。端的にいえば、男の人に喝を入れられる夢よ。その人は孤独な人にこそ、希望を抱いてほしいって言っていたの。その頃、私は少し鬱気味になっていたから、本当に救いの手だったわ。だって私は、未来への希望を手に入れられたのよ。でも、いままではその男の人を、夢想上の存在として処理していたの。」

「それは......、そうだったんですか。」

「......でも、こうして優斗を見ていると、その男の人と風貌・語り口調・柔和な顔、全てが合致するの。それで、分かったのよ......。」

「......なにがですか。」



―――中学二年生の私を救ったのは、紛れもない高校二年生の優斗だった、ってことに......―――



 僕は彼女の告白に、頭が真っ白になる。そんな夢物語を信じられるはずがない。信じてしまったら、なにもかもが想定と違ってくる......。僕が勝手にそう思っていても、彼女は話を止めなかった。


「......その事実に気づいたのは、つい最近のことなんだけどね。これでやっと、私が優斗に惹かれていた理由が分かったわ。優斗は、私を未来に連れ出した命の恩人だったのよ。......だからお願い、行ってきて。夢で過去の私と会ってきて。そして運命に従って、私を救ってきて......。」


 僕は少し考えさせてと言い、彼女の元を離れ、各階に設置された待機所の椅子に座った。そして次にこう思うのだった。



 僕が彼女を救わなかった場合、彼女は独りで倒れることになり、運命の期日まで生きられたとしても、僕に夢の中で、あんな啓蒙をすることはできない。


 つまり、彼女が希望をもって、今日まで生きる覚悟を保持し続けたのは、先に僕が彼女を夢で鼓舞したことにあって、彼女は僕の言葉に陶酔してしまったのだ。


 そしてその言葉を、彼女は死ぬ直前に僕に送り返した......。



 僕はとんだ大馬鹿者だ。



 朧気な記憶だけで、僕の高校に来るわけがない。


 僕をからかうわけがない。


 僕と手を繋ぐわけがない。


 僕と一泊するわけがない。


 僕のために泣くわけがないし、僕とキスするわけがない。



......いや、そもそも、僕を好きになるわけがないんだ。


 彼女と出会わない世界線の僕は、きっと心を酷く病んで、底なしの闇にでも葬られていた。その中で、僕のいらぬ善意が、二度と誰も同じ目に合わせまいとでも考え、その結果、僕は夢中で、彼女と巡り合ってしまったのだろう。



 結果的に、僕は精神的に病んでいる、彼女の心情につけ込んだ。

 そして運命に対して、人一倍の希望を抱かせてしまった。


 普通の暮らしを、追い求めさせてしまった。全部、僕が始めた物語だった。



 必要以上に己を罵倒した結果、僕は僕の存在そのものが、憎たらしくなっていった。


 でも、確実なことが一つだけあり、それは僕と彼女の間で、縁は決して結ばれず、双方ともに報われない運命にあるということだけだった。僕らは、存在しないはずの恋をしていた⋯⋯。

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