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夢の中で僕を励まし続けたのは、死にゆく未来の彼女でした。【長編小説】   作者: 金森 亮
第八章 地獄の春が立つ。

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第24話 桜の媒介

 4月9日、僕らは共に進級することができた。かろうじて、彼女の身体は持ち堪えていた。


 だが、彼女はいつ卒倒してもおかしくない。二度と会話を交わせなくなる日は、なにも死に日に限定されることはない。


 そして僕は、次のデートがまともに彼女と執り行える、最後のデートになると把握していた。結果的にそのデートは、今日、4月9日に行うことになった。



 上野公園で桜の花見。実は彼女が何度か、僕に要望していたデートだった。そして一昨日、桜の満開が告げられたので、もはや行かないという選択肢は存在していなかった。



 10時30分、僕は、きっと正門で待っているだろう、彼女の元に向かった。


 そして見覚えのある背景には、孤独に咲く一輪の花のような女性が立っていた。


 この光景がまもなく見納めになると思うと、僕は日常の消失にパニックを引き起こしそうになる。


 しかし、それを引き起こす直前になって、彼女がこう話し掛けてくるのだった。


「高校二年生になったのね。」

「唯花は最上級生ですか......。とりあえず、おめでとうございます。」

「とりあえず、ありがとうね。」

「せっかくこの時間に集まったんで、お昼も兼ねて、もう上野の方に向かいましょうか。」

「それなら、早く行かないと混んじゃうわよ! どこにしようかしらね! 今日の楽しみがまた一つ増えちゃったわね!」

「......そうですね。じゃあ、僕についてきてください!」


 彼女が一体なぜそんな無邪気でいられるのか。死期が手の届く場所まで迫っているのに、どうして彼女を演じてくれるのか。いまの僕には、それを導こうとする余裕がなかった。


 ただ彼女の手をとって、上野公園に駆け出すことしかできなかった。



 彼女と対面してから、かつてないほどのアドレナリンが放出されている。僕にはその実感がある。僕は緊張も不安も吹っ切れて、ただ目の前の彼女を、笑顔で見つめていた。



 電車に乗り込むと、彼女は僕にこう言う。


「......ちょっと顔こわばってるわよ?」

「そう見えますか......?」

「......明らかにそう見えるわ。桜は逃げないんだから、そんな神経質になる必要はないわよ。だから気楽に行きましょ。」

「......そうですね。気楽に行きます。」

「そうよ。」


 僕は若干の心的余裕が生まれた。そしてその余裕が、僕の笑顔を取り戻した。


 対する彼女は、正門からここまで、ずっと笑顔を貫いている。きっと意識しても不可能だ。僕はこれが真の笑顔であることを実感した。



......この真の笑顔が、次はいつみれるだろうか。いや、もう一生みれないかも分からない。そう感じた僕は、彼女の顔をまじまじと見つめた。


 彼女の頬は、僕の見つめている時間に連動して、わかりやすく赤色味を増している。最初は僕の行動に、疑問の表情を浮かべていた彼女だったが、いまはもう恥じらいしか残されていない。


 僕は誤って笑顔を消してしまったが、それ以上に貴重なこの顔色を、堪能させて頂くことにした。そして十数秒経った頃、彼女は僕にこう言う。


「そんなに顔をじっくり見ないでよね......。」

「じゃあ、どこを見ろと?」

「頭上の電光掲示板でも観たらいいんじゃないかしら。」

「それだと僕の首が回らなくなりますよ......。」

「......なら、好きにすればいいわよ。」

「では、お言葉に甘えさせてもらいますね。」


 僕がそう告げると、彼女はそっぽを向いてしまった。最初は微妙に好感度を下げたことに猛省したが、彼女が向いた方向は車窓側だったので、窓の反射で微妙に彼女の表情を伺えた。


 彼女の面上には、笑みが溢れていた。ただ一つ、トンネルの中を走行していたことで、反射に映る彼女の顔をモノクロで拝むことしかできず、その点が非常に悔やまれた。


 電車を二本乗り継いで、僕らは11時を少し回った頃には、上野に辿り着いた。


 そして駅から少し離れたところに、適当な定食屋があったので、僕らはそこで昼食をとり、12時30分頃から花見を始めることにした。



 上野公園の桜は一昨日に満開を迎えたものの、今日まで別段、雨嵐に見舞われることもなかったので、今日も同様の桜並木を眺められることになった。


 これも運命なのかは知らないが、僕はこの一年間、御天道様には一度も裏切られることはなかった。



 メインの道に進入すると、枝と幹の茶色を除いて、桃色一色の風景と、桜の花弁で埋め尽くされた路上、そして彼女の明媚さが、「綺麗」という表現に拍車をかけて、狂気の域にまで達していた。彼女も桜の美しさに、うっとりした様子でこう呟く。


「本当に綺麗ね......。」

「自分のことですか?」

「......私もこの桜並木みたいに、綺麗だったら嬉しいな。」


 僕は彼女の斜め上の回答に、少し戸惑った。だが、僕はすぐにこう返答する。


「唯花は綺麗です。誰かって、この僕が保証しますよ。」

「......桜は綺麗じゃないの?」

「桜は既に世間が綺麗って言うので......、なんかズルいですし。」

「ズルいもなにもないでしょ。」


 そういうと、彼女は身体を揺らして笑いを堪えるのだった。


 桜並木は完全に脇役と化して、彼女を上野公園のヒロインに昇華させた。僕はこの光景の尊さに、思わず涙しかけた。


 実際に目は潤んだものの、涙するよりも笑顔でいることを重んじた僕は、それを必死に堪えた。



 僕は彼女と手を繋いで、園内を案内する。とは言っても、今日のために軽く園内マップに目を通した程度で、メインは桜を見ることだったため、下手に知識を得て披露する真似はやめにした。


 平日のお昼過ぎだと、道行く人の数は少数だが、その分だけ、時間に囚われない大学生カップルの桜観賞が目立っていた。


 僕と同じような感覚を抱いたのかは知らないが、彼女は僕にこう言う。


「私たち、大学生の色恋を先取りしちゃったみたいね。」

「明治神宮のデートなんて、結婚式に片足突っ込んでいましたよね。」

「いっぱいデートしたんだね。」

「......僕はこの一年、唯花と全然デートができなくて後悔しています。」

「そうかな。私は幸せだったわよ。この一年間......。」

「唯花が幸せなら、いいのかな......。」

「ダメだよ。優斗も幸せじゃなくっちゃ。」

「大丈夫ですよ。僕は唯花の顔を見ているだけで幸せなんで。」

「それだと、私が欲求の多い女みたいじゃないの......。」

「僕が少なすぎただけです。」


 そう言い切ると、彼女はメインの道から少し離れて、人気の少ない区域に向かい、やがて桜の木と木の間に隠れようとする。


 彼女の行動の意図が全く読めない僕は、どうしたんだと声を掛ける。やがて位置が決まったようで、彼女はそこで立ち止まった。すると彼女は、僕にこう質問する。


「......優斗。優斗はいまなにが欲しいの?」

「......え。」

「いまなら、この場が許す限りのことは......。」


 僕はこの質問の回答が、直後の彼女の行動に作用すると思った。もしここで僕が的外れなことを言って、最後の青春を潰してしまったら、それこそ一巻の終わりだ。


 僕はじっくりと時間をかけて、彼女にこう言うのだった。


「......キス。」


 僕がそう言い切る寸前、彼女の額が僕の額に接近して、僕の唇は彼女の唇で覆われ、湿っぽくなった。これが僕らの「ラスト・キス」になることは、想像に難くなかった。


 二人して同じことを思ったのか、数秒程度で解消されることはなかった。彼女は自分の髪に、桜の花びらが何枚も付いていることを知らない。



 そして三十秒が経過して、ようやく額が一定の距離を保つようになった。


 長いような短いような、そんな絶妙な時間が経過していた。



 接吻が終わると、彼女は僕にこう言う。


「......この一年間の記憶は、墓場まで持っていくわ。」

「えぇ、僕もです。」

「優斗が忘れちゃわないか心配ね。」

「心配ご無用です。」

「......そう。」


 彼女はずっと朗らかだった。朗らかな態度を見せていた。そのため彼女は、いま自分が目から水滴が垂れていることに、全く気づいていなかった。


 僕は彼女に、桜の花びらが付いていると言って、額の涙を拭うのだった。その後に彼女が言い放った「ありがとう」は、彼女が必死に隠している内情を、僕に暴露してしまったのだった。



 あとになって、僕はこの場で涙しておいて、彼女と何らかの苦痛を分かち合ってもよかった気がした。


 しかし幸せリストは、彼女の前で不幸が契機である涙を流すことは、認めていなかったので、僕はただ笑い顔で彼女と分かり合おうとした。きっと、ある程度は分かり合えたと感じている。



 僕らはメインの道に戻って、花見を再開した。時刻はまだ14時30分で、やっと日が傾き始めていた。



 以降、僕らの会話は、明らかになにかを悟ったような言い回しで繰り広げられた。なにも共有していないのに察し合った結果、普通に会話が成立してしまっていた。


 でも、僕は心の中にあった、しがらみが消失したような気がして、デートに集中することができた。目の前の彼女を、大切に扱うことができたのだった。


 僕は今日のデートに、後悔はなかった。

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