第22話 克服
飲み物も飲み切った僕らは、ケーキ屋を退店して、葛西臨海公園に向かった。
ここへ訪れるのは四ヵ月ぶりだが、今日もまた休日なので、駅前の時点から既に大盛況といった様子だった。
僕は彼女がどこへ行きたいのか知らなかったので、一度尋ねてみることにした。
「唯花は葛西臨海公園の、どこに行きたいんですか?」
「観覧車と、海が見れる場所よ。観覧車は、せっかく優斗が熱弁してくれたのに、前回行きそびれちゃったもの......。心残りがあったのよ。」
「まぁ、あのときは鮪を観ることで精一杯でしたもんね......。」
「そして海が見たいのはね、単に優斗と海をみれていないからね。」
「たしかに......、松島で太平洋と対面したぐらいですね。」
「だから、今日はどっちも達成したいのよ!」
「えぇ、どっちも行きましょうね。」
彼女は海と観覧車の情景に期待を膨らませているようで、いつもの笑顔に増して希望に満ち溢れいる雰囲気だった。
まず僕らは、海辺に近い海浜公園に向かう。時刻は16時を回っており、そろそろ日の入りに近い時間。
ただ冬場の夕刻に、わざわざ寒い思いをしてくる人は少なく、海浜公園の人口密度は、そこそこ低い状態だった。
砂浜の上で立ち止まった彼女は、僕にこう言う。
「海が揺らめいているわね。」
「夏に比べたら、波もそれなりに穏やかですね。」
「どうする? 水の掛け合いっこでもしちゃう?」
「西巣鴨までびしょ濡れは、勘弁してください......。」
目の前の彼女は高校生というよりも、少女と呼ぶのが相応しい無邪気さに溢れていて、西日に白髪を照らしながら、可憐に笑っていた。どこでそんな笑顔を学んだのか、誰が伝授したのか。僕はなにも知らなかった。
だから僕は、純粋に彼女の『可愛い』を享受できていた。
彼女は海に近づいて、指先で海水をチョンと触れる。すると、相当冷たかったのだろう、彼女はすぐに指を引っ込めた。
その様子を観察していた僕は、彼女がこちらを向くと、思わず顔を綻ばせてしまった。彼女も少し顔をしかめた後、僕と同じような顔をするのだった。
16時27分、日の入りの時刻がやってきた。太陽が沈む光景を、僕らは何度か観てきた。しかし今日は、いままでの雰囲気とは違った。
冬の外気に触れることで、命が少しばかり奪われている感覚を覚え、僕は喪失感に圧倒された。太陽が地平線の先に、半分沈んだとき、彼女は僕にこう言うのだった。
「飽きないわね。」
「日の出と日の入りは、一生付き合っていくことになる景色ですし、飽きないに越したことはないですよ。」
「......優斗とも、一生付き合えるかしら。」
「唯花が僕のことを飽きなければ、ですけどね。」
「絶対に飽きないわよ......。」
「それなら、僕は一安心です。」
いままでは返答の仕方が分からなかった、彼女の発する悲痛の叫びに、僕は柔軟に対応できていた。僕がまた一歩成長した証であり、すぐさま幸せを再帰させるための、術が身についたことを意味していた。
西の方角に立ち並ぶ工場地帯とビル群が、太陽の光を反射して、空模様はさっきまでと一変する。
海風によって、寒気がジャンバー越しに伝わり、凍えてしまうような気がしたが、手のひらだけは温かかった。
冬の17時はもう夜で、街灯が懸命に辺りを照らしていた。そしてなんといっても、遠くにそびえたつ観覧車が、ひときわ異彩を放っており、これだけでも夜景としては十分だった。
次に僕らは、第二目標の観覧車に乗車するべく、乗車口にやってきた。
土曜日ということもあって、僕らよりも先に複数のカップルが列を作っていた。
僕らもその列に並んで、5分後にはゴンドラに辿り着いた。座席に隣り合って座ると、身体が微妙に密着し合い、デートのムードを引き立てていった。
観覧車が地上から離れると、彼女は僕にこう言う。
「......当たり前だけど、空調がないから寒いわね。」
「これが夏だったら、今度は灼熱なんでしょうね。」
「......扉の隙間から空気が侵入しているのね。」
「こればかりはどうしようもないですね。」
彼女は声に出す程度には寒がっている。それもそのはず、彼女は制服に薄いカーディガンを着ているだけで、見ているだけで寒くなってくる。
そこで僕は、暑くなってきたと言ってジャンバーを脱ぎ、彼女の制服に被せた。これが普通の彼氏の所作だろう。
「......寒くはないの?」
「寒くないことはないですよ。でも、誘い出したのは僕ですし、これが彼氏としての役目だと思うんです。」
「......それは素晴らしい観念ね。」
「僕のことを気にするぐらいなら、目の前の夜景を気にしましょうよ。」
「そうね。」
ゴンドラからは、無数のビル群に東京スカイツリー、遊園地や京葉工業地帯の夜景を見ることができ、文句ひとつない絶景に、僕は一種の感動を覚えていた。
頂上に達しようかというタイミングで、彼女は僕が渡したキーホルダーを取り出す。
それを見た僕も、同様にカバンから取り出して、頂上に到達した瞬間に二つをドッキングさせ、黙って愛をたしかめ合った。
彼女は前にここに来たときとは違い、笑顔でしかなかった。
ゴンドラから降りると、彼女は笑顔でこう告げてきた。
「今日も、楽しい思い出をありがとう。」
「楽しんでもらえたならよかったです。改めて......、誕生日おめでとう、唯花。」
「本当に人生最高のバースデイを、ありがとうね......。」
「えぇ、こちらこそ、ありがとう。」
彼女のバースデイは、遂に最後の日を迎えた。もう彼女が歳をとることはない。
僕が祝えたのは、今日の一回だけだったが、その一度で、彼女に大きな幸せを提供できたのなら、僕はこれ以上なにも望まなかった。
⋯⋯ただ、彼女をそれなりに幸せにしたところで、この誕生日の終幕が4月23日を、より一層僕の元に近づけてしまい、僕は自分の今後という別の課題が浮かび上がってきた。
どうやら僕はまだ、普通に暮らすことができないのだった。




